京阪の中書島駅から京橋方面へまっすぐに進むと龍馬で知られる寺田屋がある。寺田屋を訪れたのはもう随分以前の事である。寺田屋こそ以前の面影を残していたが、周辺道路は拡張整備されており、その変りようには驚いた。
だが今回のみてあるきは、その寺田屋ではなく江戸時代の風情を彷彿とさせる伏見の宇治川派流界隈である。伏見は秀吉が伏見城を築城したことにより城下町として発展するが、本格的な賑わいを見せたのは江戸時代に入ってからのようである。
当時、角倉了以により高瀬川が開削された事により、宇治川、淀川を結ぶ運河が構成される。伏見は伏見城の外堀を利用した現在の豪川を、京都と大阪を結ぶ物流の拠点として発展をとげ、なかでも賑わいをみせたのは現在の京橋、南浜界隈のようである。
その南浜界隈には今でも酒蔵が立並び、その端正な風景は現在京都市界わい景観整備地区ともなっている。酒蔵の裏には酒樽運搬のためなのか、宇治川の派流が流れる。現在、この派流には当時旅人の足となった三十石舟を模した十石舟が観光用として往来している。
ところで三十石舟にはどのくらいの人が乗れたのであろう。一石は100升な
ので現在の重量に換算すると150Kgとなる。さすれば三十石は4500Kgとなる。乗船する人の重さが平均で60Kgとすると単純計算で75人となる。このように考えると、三十石舟はかなり大きな船であったようであるが、これは単純計算上の話であるので実際はこの半分程度の40人前後であろうと推測できる。
それでは現在観光用に使われている十石舟はといえば、同じように単純計算で25人が乗れる計算となるが、三十石舟と同様に考えれば12,3人程度であろうか。
伏見の酒蔵までは幾度か来たことがあったが、派流沿いを歩くのは初めてである。残念ながら私が訪れた時には、この十石舟が往来する風景こそ見る事はできなかったが、周りに漂う風情は誠によいものであった。
十石舟に乗船し派流から川岸の柳を眺めると、また別の世界が見えてきそうである。
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