矢田寺は寺町三条にある寺院で、通称「矢田地蔵」として知られている。
その名のとおり、本尊は地蔵菩薩であるが、奈良金剛山の満慶が彫らせたと伝わり、寺伝の逸話より「代受苦地蔵」と呼ばれている。
矢田寺は当初五条坊門に創建されたが、その後場所を移動し天昇七年に現在地に移ったとされている。三条小橋から寺町通へと進むとあるのだが、その建物は初めての人は見逃してしまうほどの大きさである。
京都では、お精霊迎えに六道珍皇寺の迎え鐘、これに対して矢田寺の鐘は送り鐘として知られているが、そろそろ夏の風習である盂蘭盆会も終わりを告げる。
****六道珍皇寺 迎え鐘****
京都では盆のならわしとして16日に有名な五山の送り火があるが、これが済むと盆も終わった感じになる。しかし、実はこの後地蔵盆、大日さんなどのならわしを経て盂蘭盆会が終わってゆく。
ところで、この盂蘭盆会で多くの方が不思議に思っている事があるようだ。実に単純な疑問なのである。
盆にはご先祖様が家に帰ってくるのになぜ墓参りに行くのか? 家にご先祖様が帰っているのだから、墓には誰もいないのではないかといった疑問である。
至極もっともな疑問である。盆休みの間に少し調べて見ると、かなりいろりろな諸説があるようだ。はたしてどの説が正しいのだろうか。だが、この手のものは、本物探しといった視点など意味がなく、その地域に伝わる風習でよいのであろう。
こう書くと「なんだ、答えはなしか」と、思われる人のために、諸説ある中で私なりに納得した説は次のものである。
12日夕刻に墓参し、この時の灯明を提灯に移し、ご先祖様が迷わないように家まで持ち帰る。この灯明にはお精霊さんが移っていると考えられている。←迎え火
16日はこの逆となる。←送り火
では墓参の灯明にはいつもお精霊さんがいるのかと、なぜ8月12日なのかといった疑問が次に湧いてくる。これにはまた諸説があるうのである。
このように、風習といったものには、現代社会から考えると幾つもの不思議がある。しかし、これらをここで説明すると、延々と書き綴らねばならなくなるので割愛する。
現代社会でこのような状況を実現できるのは、ごく限られた地域であろうが、その在り方を変えつつも守り続けられている風習のひとつとしてお盆があるのであろう。
しかし、時を経ると世相も変わるようである。先日TVで盂蘭盆会について、どのような行事なのか原宿を行き交う若人に尋ねているシーンがあった。なんとなく、それらしきところは肌で感じ取っているようであるが、それなりの答えをした人は皆無であった。
なかでも、このような珍回答があった。インタビュアー「お盆ってなんですか」、回答「おじいちゃんが、帰ってくる」、インタビュアー「おじいちゃんは、なくなったんですか」、回答「家にいる」、インタビュアー「・・・・・」
「こらぁぁぁああああ」である。ところで、なんでおじいちゃん? きむたくのセコムのCMの見すぎでは。
ついでにお盆であるが、語源は「ウランバーナ」であり、インドの言葉で逆さ吊りの意味だそうである。この言葉が中国に渡り、訛って盂蘭盆会となったそうである。
釈迦の弟子である目蓮という弟子が、自分の母親の死後のの様子を見たところ、逆さ吊りにされ苦しんでいた。救いの方法を釈迦に相談したところ、毎年7月15日に、供物をいっぱいささげ供養すればよいといわれる。このことがお盆の始まりといわれているようである。
しかし、この風習がなぜ日本に根付いたのかを考えると、私見であるがおそらくこのあたりで休息をとり、栄養を補給し秋の収穫期への体力をつけたのではないだろうか。
昔の人の知恵は、科学的根拠に欠ける場合が少なくないが、その的確性は侮れない。
さて、仏教には輪廻転生という考え方がある。この中で六道という考えがあり、転生の際には六つの世界のうちどれか一つの世界に生まれ変わるというのである。
よく知られる地獄もその一つの世界の一つである。
この六道を行脚し、地獄道に行き苦しむ衆生を救えるのは、数多くいる菩薩様の中でも地蔵菩薩だけなのである。
この事からの矢田寺の地蔵菩薩は苦しみを肩代わりしてくれる「代受苦地蔵」として信仰の対象となっている。
それにしても、暑い日がつづきます。 熱中症にお気を付けを・・・・