一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

2197  春時雨足湯に空のワンカップ  裕

2021年04月20日 | 

 (はるしぐれ あしゆにからの わんかっぷ)

 足湯は、裸足で入る。その湯の中に、空のワンカップが沈んでいる。ガラスかもしれないし、缶かもしれない。いずれにしても、不快な光景である。最近の都会の若者たちの立ち食い、歩き食い、ポイ捨てなどがよく報道されるが、私の回りの山中に電気製品や瓶、缶などのポイ捨てが横行している。

   戦後の経済発展の75年、例えば、日本人一人が一日に出すゴミの量はおよそ1㎏、日本の年間のゴミはおよそ4,000万トンだそうである。工業化が進み、便利になるということは、大量の商品を作り出し、究極その全てがゴミになるわけだ。大量のゴミは、一体どこに捨てられ埋められているのだろう。

 人類が、科学技術の進歩といって生産している、そして使っている、例えばプラスチック類、牛乳パックなどの紙類などは、生産を中止して、繰り返し洗浄して使えるガラス瓶などに戻すことが必要だろう。

 物を作る仕事に携わっている人間として、自分の作っているものが本当に必要なのだろうかと、つい考え込んでしまう。

スノーフレーク


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