一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1598   指先でもの思う日よ林檎剥く   喜久

2015年10月28日 | 

 初心者に陶芸を指導する時、「指先で考えよう」と、私はよく言う。指先に神経を集中せよ、という意味だが、物作りにたずさわる人なら、すぐ分かるはず。

最近の都市化した消費生活からは、物を作ることが極端に減ってしまった。例えば、味噌や漬物は作らないし、魚も切り身を買えば済む。裁縫はせず、衣類は買って使い捨てと、まあ全て人任せで金を出す方が便利な世の中になってしまった。

作る怪しげな専門家と、無知な消費者に二分化したと言った方が良いだろうか。従って世の中、単に作る経験がないからだが、不器用な人が多い。

 さて、この句の「林檎を剥きながら、指先でもの思う」とは、実際解釈がなかなか難しい。作者にその意味を聞かねばならない.

ダイモンジソウ(大文字草)

コメント
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