(おくりびをこころにおきていしひとひ)
お盆の迎え火・送り火をするかしないかを、信仰や習慣・環境などを含めての論議を、ここでする必要はなかろう。
送り火をしなかった理由はともあれ、作者はその後ろめたさを感じつつ、亡き人との鮮明なる記憶を思い起こしたり、言い訳なども含め精霊と対話しているのであろう。
ここで大事なことは、何故「迎え火」ではなく「送り火」にしたか、ということ。俳句には読後の余韻というものが重要である。どちらが良いかは、季語を置き換えて読んでみれば明白だ。つまり、この句は「送り火」の選定によって成り立っているのである。
尚、「一ト日」と言っているが、夕刻から就寝までの数時間と考えるのが妥当であろう。
閻魔大王さま