チェン・スウリー詩集「カフェデリコ・カフェリーニ」
東京エレガントス・定価1000円
ウェブマガジン「ジャンク派」代表、チェン・スウリー氏の詩集である。初期の「詩のボクシング」等でも活躍していたチェン氏だが、意外にもこの夏刊行されたこれが第一詩集となる。
その「まえがき」で、彼は中原中也とフェデリコ・フェリーニという二人の巨人への、偏愛とも呼べる熱い思いを吐露する。そして、自分がなぜ詩を書き、発表しようとしているかを正面から述べてゆく。
・・・詩というのは、「言葉」という僕たちにとって最も身近なものを取り扱った表現であるにも関わらず、今日、最もマイナーで、多くの人にとって馴染みの薄い表現へと成り下がってしまっています。これは、詩人の責任です。もっと云えば、内ばかり見て外を見ずコミュニケーションを怠ってきた「現代詩」の思い上がりや勘違いが、詩を「ダサいもの」にしてしまったのです。・・・
無論、「現代詩」の側からはこの一文に反論の余地はあるだろう。しかし、重要なのは、チェン氏にとっては、詩という表現は自己の中で完結するものではなく、自分を取り巻く世界との関係性の中で成立するものであるということであり、そして、何よりも彼自身が、それを知った上でその世界と向き合って生きようという姿勢を有しているということだ。
この詩集に収められた数々の詩には、ほぼ常に一人称の自分以外の誰かが、あるいは何かが出てくる。そうでない詩はほんとうに少ないのだが、その中の一篇、「直進」はこんなふうに始まる。
ぼくがこんなに迷っている今も
迷いなく血は流れ続ける
細胞は蘇生し続ける
外の世界と向き合うという作業は、自分自身とは何者なのかという問いを避けて行うことはできない。自分の外側だけでなく、自分の内側にさえ「他者」が存在することを彼自身が認識していることが、彼が世界を、そこに生きる全ての他者を見つめるビジョンに、優しさを与えている。
詩集は、彼にとって「親友であり、家族」であった、一匹の犬に捧げられている。詩集の最後を飾るのはその犬の運命を切々と描いた、まったく無技巧とさえ言える8ページに渡るリアリスティックな一篇である。それは犬を、いやそうではなく、自分以外の誰か、あるいは何かを深く愛したことのある多くの人間の心を、深く打たずにはおかない。
おもしろいですよ~。
フェリーニが好きな、言葉の世界の人はご一読をお勧めします!
ありがとうございます!(*^_^*)
ああ、長くペットを飼っていらっしゃる人にもきっと刺さると思います。機会がありましたら是非!