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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 79

2024年04月23日 11時15分53秒 | 甲越軍記
 甲州の御館武田晴信の合戦、当家の危急存亡の戦であったが、山本晴幸(勘助)の陣立ての妙に依って、敗戦を転じて勝利に導いた。
されども侍大将の討死もあり、諸方に配置した軍勢をしばし召し返した。
伊奈、木曽、小笠原は幸いに後詰を出さず、左馬之助信繁も塩尻より帰城した

その頃、上野国には上杉大夫憲昌(諸書では憲政)という人あり
関東八ヶ国の管領として代々武威を示していた。
しかし憲昌の代になると武威は次第に影を潜め、近年は北條相模守氏康は管領の指図を無視し、かえって管領の地に戦を仕掛けて侵略していく始末であった。
いかにして北條を討伐するかと頭を悩ませていたところに、信州上田の村上義清から使者が着いた。

使者が申すには「上野、信濃は国境を接している隣国であります、されど上野国の碓氷峠より西は武田晴信の領地となっております
このままにしておけば、武田が上野に攻め込み蹂躙するのは確かであります
われら村上、小笠原、木曽の信濃の者は同意して、近々武田を攻め滅ぼすこととなりました、ついては上杉家も我らに同意していただき上野より兵を進めていただきたい
武田を滅ぼした暁には上野の境まで上杉家の所領と為し賜え」

これを聞いて憲昌は小躍りして喜んだ「今、同意して武田征伐に加勢すれば、後に北條攻めの時には、信濃勢は後詰として働くであろう」と思い、信濃に兵を送ることを快諾した。
やがて武田が再び、戸石城を攻撃するとの報せが村上から届いた
使者の口上は「武田本隊が戸石に向かって小県に入ったら、碓氷峠より乱入すれば、軽井沢より西、小諸追分まで上杉家の領分となりましょう」

これを聞いて上杉憲昌は領国である上野(上野=群馬県)の主だった国人たち、箕輪城主長野信濃守、倉賀野越中守、同六郎、同淡路守、箕田五郎左衛門、上田又次郎、松本兵部丞、和田左衛門尉、新田、舘林、山上、白井、忍、深谷、五甘、沼田、厩橋、白倉、長松、松井田等に陣触れを出すと五千騎が碓氷峠に押し寄せた。

板垣信形は諏訪の郡代であったが、上野国人の抑えとして原美濃守と共に二千三百騎で引き受け、三月十二、十三日の両日の戦に向かい勝利した。
しかも十四日には戸石合戦で村上方の敗北を聞くと、上野勢は大いに力を落した。
そこに板垣勢二千三百が高きから地の利を得て夜討ちをかけて逆落としに攻め込んできたので、上野衆は右往左往して逃げ惑い、討たれる者多し。




参考
甲州(山梨県) 信州(長野県) 関八州(北関東、南関東全域)
関東管領(足利幕府から任命された関八州を治める最高責任者)
相州(神奈川県) 武州(埼玉県、東京) 上総・下総(千葉県・茨城県)
越後(新潟県) 越中(富山県) 上野・上州(群馬県)






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