神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

手習い 真似

2024年06月30日 18時26分19秒 | 趣味
 ちょっとスケッチして見た、ずいぶんと下手になった
絵になっていない、線をうまくひけない、曲線にならない、顔にならない
体の動きが角ばって棒状になる
これでは絵とは言えない

筆字を書いてみた、ちびった鉛筆の字みたいだ
ペン字を書いても先を急ぐばかりで、なめくじの通ったあとのよう

いったいなんでこんなに書くことが下手くそになってしまったのか

ちょっと考えた
どうして絵をかくことが好きになったんだろうか と
生前、母が言うには「5歳ごろ、家の前の小路に、木の枝で毎日汽車の絵を書いていた」と
時々、いなくなるので、ある時、後を追って行ったら
5分ほど歩いて寺の裏の小路へ行き、少し先の田んぼの中を行く汽車が来るまで待っていたと それをじっと見て、また急いで家に戻り
汽車の絵に何かをつけ足していたのだそうだ
見に行くたびに汽車の絵は、細々と部品が増え、車両が増えて言ったそうだ
私には、そんな記憶はないが幼児の頃から絵を書くのが好きだったようだ

蛇足だが、ここに書いた「寺」は女房殿の叔母さんが嫁いだ寺だったから、不思議な因縁があるものだ。

同じころだったが、近所に仕事をしないで毎日プラプラしている20歳前のMさんが住んでいた
窓からのぞくと、いつも寝転んで漫画を書いていた
面白いので時々見に行った、そしたらいろんな絵が描いてある小さな本を見せてくれた
絵(イラスト)の参考書見たいな本だった
動物、乗り物、人物などジャンルごとに書いてあって、それをまねてテクニックを付けて行くらしい
私も小学生になって、どうしたのか知らないが、そんな本を手に入れて、いつも見て書いていた、それで絵の形を覚えたらしい

それを思い出して、有名美術家のイラストをまねて書いてみた
ふむふむ 形にはなった
ここから始めて見るか。

散歩の途中でアジサイに見とれた



「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (126) 長尾家 39

2024年06月30日 10時48分09秒 | 甲越軍記
 砦を作り、しばし兵を休ませて再び長尾平六俊景の勢は栃尾城に攻めかかった
されども城はびくともせず、攻めあぐねている三条勢に、長尾景虎十五歳が率いる百騎余りの勢が間道を通って、突如、敵の本陣の横合いから突き入れた
同時に火矢を飛ばし、一同に鬨の声をあげ攻め入れば、本陣は突如の事とて慌てふためき混乱に陥った。

陣中は猛火に包まれ、切って出ることもならず、上を下へと騒ぎ立てるのみ
景虎は、直ちに下知してさっと兵を引く
引き上げながら敵先陣の背後から矢を射かける、城中ではこれを見ていて、本庄美作守が再び城門から打って出た
敵の先陣は、本陣より火の手が上がるのを見て、浮足立っており、本陣の方に引き上げるところだったので、今度は本庄勢に背後を襲われ手も打てず、本庄の成すがままになった
そこに景虎勢も挟み撃ちに攻め立てるので、討たれる平六勢は数知れず
本庄と合流した景虎は引き金を鳴らし軽々と引き上げた。
これより夜討ち、朝駆けに臨機応変、出没の奇計を巡らせて寄せ手の寝る間もなく悩ませる
老巧の平六俊景も景虎のために戦うごとに敗北を喫し、思い通りの戦が出来ぬところに、宇佐美駿河守が援軍を率いて三か所に砦を築き、城方と連携して俊景勢を包囲する形をつくった
挟み撃ちの形になって、平六は「これではどうにもならぬ」と急ぎ兵をまとめて三条に引き上げた。

栃尾に合戦ありと府内の屋形上杉定実にも注進ありて「急ぎ栃尾を救援すべし」と府内城の長尾晴景に命じた
長尾弾正左衛門晴景は自ら五百騎を率いて府内を進発した
栃尾に着陣して弟、景虎と対面する、景虎は大いに喜び諸侯に回文を回せば、上郡には只見次郎左衛門、島倉内匠介、長与蔵、村山与七郎、上野源六、小島弥太郎
中郡には山吉丹波守、同弥右衛門、平子孫太郎、斉藤八郎、安田治部を始め諸将数多集まり、宇佐美定行は琵琶島に千数百を留め、自らは五百騎を率いて栃尾に参陣した。
ここに集まらぬ将も、それぞれの城、砦に依って平六に抵抗する者あり、府内の上杉館に参じるものあり、あるいは日和見の者あり、そして平六に味方する者ありと越後はまさに二分して戦乱の真っただ中となっている。

上田の長尾越前守、同新五郎は府内長尾家と近い一門であれば、家士栗林肥前守、金子与十郎、樋口惣右衛門、斉木伊予守を加勢として栃尾に着陣する
大熊備前守、庄新左衛門も迷っていたがこれを聞き、急ぎ勢を率いて景虎に加わった
いよいよ栃尾勢は強大となり、三条を攻め討たんと軍議を始めた。