「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

子ども(孫)からの愛

2019-01-24 11:40:00 | 雑感
昨夜「ママにばーちゃん家の電話番号を教えてもらっていて〇〇〇番でしょう、自分で電話したんだよ」と小1の孫からの初めての電話。ママと下の子はお風呂だという。内容は覚えていないぐらい大したことではなかったようだったが、ラブレターを好きな人に貰ったぐらい、人生でいちばん嬉しかった電話だった。普段は電話を代わってと言っても、ふざけてばかりだったが、しっかりちゃんと話しをているのにジーンときた。知らない間に成長している。ババ馬鹿でした。

最近、子どもの虐待のニュースが増えてきているという気がする。子育てをしていると、「思うように子どもが育たない」「言うことを聞かない」など反抗的に感じて知らず知らずのうちに「躾け」という大義名分のもとで体罰から虐待という道に走ってしまっているのだろう。

私の父も普段はとてもいい父親だったが、口答えをすると平手打ちをしたり、押し入れに入れられたりと躾という体罰があった。私が子どもだった頃の親はそれが親としての教育だと思い込んでいることが多かったと思う。そして今でこそ父の愛情だったと理解できるが、子どもだった頃は恐怖だけで、何が悪かったのか理解できていなかったと思う。少し大きくなってからも、親の生きた時代の教育や周りの環境で自分を受け入れてもらえないと感じ、親との確執は大きくなるばかりだった。

そのような環境で育った私の子育ては、「体罰は使わない」「話すことでやって良いこと悪いことを徹底して理解させる」という方針を貫いた。しかし、子どもであることでの我儘や人に迷惑をかけるような行為もあったが、それでも話すことは怠らなかった。今は理解できなくとも、そのうちに「家の親はこんな考えをしているのだな」と言う理解をするようになってくれれば良いという考えだった。

娘たちに聞いてみないとわからないが、とくに我が家は子どもにとっては厳しかったかなと今では思う。その基本になったのは、良いのか悪いのかは別にして、まさに親である自分の価値観である。今でも人間としての価値観にはちゃんとしたものを持ち、筋を通したいと思う。

しかし、そのために暴力で価値観を押し付けることには本末転倒だと思う。たとえ子ども相手であっても、親である自分はこのような考えを持っていると言うことを理解させるために努力を惜しんではいけないと思う。そして子どもの言い分にも十分耳を貸すこともである。そしてそれは子どもを理解して、認めると言うことだと思う。

その基本になってるのは、大人になってからも価値観の違う人たちも「自分とは違う」と思っても理解するように努力して欲しく、他者も自分も認められるようになって欲しいと願っていたように思う。

今回の電話は孫からの「愛」のプレゼントを送られた気持ちになり、これからも私からいつも「愛」を送りたい。そうして、ちゃんとした価値観の持てる大人に成長して欲しいと願った。





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