「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

雨の日。絵を描く

2022-01-12 08:49:00 | 芸術(絵画 音楽他)
昨日は雨。今日もどんよりとした曇り空。ここ数日部屋にこもって絵を描いていた。今の私にとって集中できることがあるのは幸い。この年齢になると、大切なことはやることがあるということ。そして時間を忘れるほど楽しいということ。

今まで生きてきて子どもの頃は、何をやっても楽しい遊びとなって毎日が繰り返されていたような気がする。それが大人になってくるに連れて、他者が気になったり、仕事となって社会的な位置ができたりで徐々に自分の立ち位置が理解できるようになり「しんどい」と感じることが多くなる。


歳を重ねると子どもに返るという。本当に子どもに返れたら幸せではないだろうか。よく認知症などになったら子どもに返って来ると言われるが、私のいう意味は少し違っている。

極端に言えば、「いろんなものが捨てられる」という意味合いがあると思う。それは子どもから大人になり社会に出て色々直面する自分を制約するものから少しずつ解き放たれるということかもしれない。例えば、こんなことを言ったり為ては恥ずかしい。これは常識はずれだからと自分の狭い枠に自分を追い込む。自分は大したことがないと思ったり、また傲慢になったり、自信満々になり奢れたり、常識に囚われて何もできなかったりなど、他にもあると思うが自分を規制する枠から自分を抜け出すことかなと思う。

だいぶ前になるが、朗読を習っていた先生がいろんな人の朗読を評価するときに、私が上手いなぁと当時思っていた人によく「ヌードになりなさい」と言ってあまり細かい注意をしなかった。そう言われた人は「評価してくれない」と不満いっぱいだったようだ。

今ではその先生の言われたことが、なんとなく理解できる。自分を曝け出して自分を表現する。自分に規制をかけて自分の価値観に固執しない、という意味合いだったのかと。

そろそろいろんなものを捨て、小手先のことに惑わされず、人に迷惑さえかけなければ自由に思うままやりたいことをやったらいいのではないか。自分を解き放ってもいいのではないかと。

子どもの頃から絵を描くのが好きで、小学生の頃勉強のノートや教科書の隙間に絵を描いていた。その頃は無意識に漫画やお姫様を描いていたのだが。それが講じて仕事にした。しかし、才能がないことは少しは自覚していた。かなり無理をして頑張った時期もある。お金をいただくのだからそれに見合うものを作らなくてはと絶えず自分を追い込んでいたようだ。勤めていたときはかなりの激務で胃痛が起こり神経性胃炎から潰瘍らしいと診断され痩せ細っていた。それでも頑張らなくては、良いものを作らなくてはと当時は自分を追い込んでいたように思う。それは自分をある意味では過大評価していたのかもしれない。ダメな自分を認めたくないと。

しかし、この年齢になると自分というのがわかり過ぎてしまっていてる。
子どもの頃に楽しいと感じた気持ちに素直に戻ればいいのだなと感じている。
人は「多趣味でいいですね」なんて言って下さるが「一枚ずつ脱いでヌードになろうとしているだけです」と言いたい。

そして以下がこの雨の日に描いた絵の一部です。
自画像も初めて描いていますが、まだ公開には至りません(笑)
今のところこんな感じで遊んでいます。








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