「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

春ですね

2016-03-03 21:56:00 | 雑感
この時期になると、やはりムズムスしてきます。
といっても花粉症ではありません。
心が山の方にいってしまうのです。

今年は、自分のやりたいことに制約はなくなりました。
寒い間は、畑仕事もすることもなく家にこもっていることも多かったのですが、気持ち的にはアウトドアに向かっています。
気候のせいもあるのでしょうね。
草木の芽吹きと一緒です。
私の芽吹きは、やっぱり山だったのです。

毎日山の計画を練りながら、空想の自然の中に自分を埋没しているときは最上の至福を感じます。

夏の計画は出来ました。
北海道の大自然の中で花を楽しんできます。

昨年は、いろいろあって大変でした。
ほとんど山に行けなかったのですが、紅葉を見たくて急に計画を立てて一人で北アルプスの縦走をしてきました。
一年ほとんど歩かない生活からの山だったので、ダメだったら引き返すつもりでした。
登り始めはとても辛く、最初の鏡平小屋に着いたときは明日は帰ろうかなと思っていたのに、朝になると元気になっていました(多分、大自然の風景が活性剤になったのでしょう)。結局次の日は槍の肩の小屋で泊まり、次の日は槍に登って、前から行きたかった天狗池の紅葉を見て上高地に降りて帰ってきました。
しかし、帰ってから3日ほど足はひどい筋肉痛で階段を降りるのもままならないほどでした。

しかし充実感と達成感、そして山の雄大な風景は、まさに寝ている子を起こすことになってしまったようです。

ふと自分の歳をこのごろ考えます。
いつまで、山に登れるのでしょう。
もう先が見えてきている気がします。
やりたいことは今のうちにやっておかなくてはならないような気がします。

それは、昔山にいってきたようなことをやりたいという気持ちとはちょっと違うような気がします。
山に夢中になっていた頃は「クライミングのグレードを上げる」ということを目標として書いていたが、今はそんな気持ちは全くありません。
クライミングについては、ほんとうに楽しいクライミングがしたいと今は心底思っています。辛いのはいやです。それに、クライミングはいつ辞めてもいいとこのごろ思うことがあります。
そのころの夢の最後の一つに「老後の山はスケッチ山行と花見山行」とも書いています。今はまさにそのときが来たのかなと思います。
自分の歩ける範囲で歩き、行けるところで自然や花を楽しむ。
歳とともに楽しみ方も変わっていくことは、自然なことではないかと…

そう考えると、そのときに「楽しい」と思うことだけをやればいいのではないでしょうか。
今、夢中になれることがあり、知りたい見てみたいと思うことがあるというのは幸せなことだと思います。

偶然ですが唯一定期的に購読している「家の光」(3月号)という雑誌に私の好きな人である画家の掘文子さんが載っていました。

『97歳の今も現役の画家として、飽くことなき好奇心を持ち、この世の不思議、自然の中の生命を描き続ける掘文子さん。「制作はわたしの感動の記録」の言葉通り、作品は観る者の原始の心を呼び覚まします。』(紹介文から)


『心揺さぶる感動的なものしか描けないのです。次になにに惹かれるのかわたくし自身もわからない。』


『花は命なのです。生きている人間と同じなのです。人間も自然の一部でしかありません。そういうふうにわたくしはものを見ている人間です。』


この歳までわたしは生きているとは思わないのですが、最後まで感動する気持ちを持ち続けていたいと思います。
掘文子さん、やっぱり素敵です。

もう歳は考えなくてもいいですね。