一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

湯川博士先生にお会いした日

2009-04-20 23:05:08 | 愛棋家
3月15日(日)、インターネットで女流最強戦の決勝戦を見終わったあと、自宅の固定電話に電話がかかってきた。出ると、湯川博士先生からだった。
私は友人が皆無なので、知人から私あてに電話がかかってくることはほとんどない。昨年7月に金曜サロンの件で藤森奈津子女流三段から電話をいただいたことがあったが、その前となると4年くらい前になってしまう。だから私はセルラーフォンも持っていないのだ。
それはさておき、何事かと思えば、3月21日(土)に「将棋ペンクラブ春号」の発送作業をやるので、あんたも手伝いに来てくれ、という。
いくらヒマな私でも、週末は人に言えない予定が時々入るのだが、将棋ペンクラブの会報には何度か拙文を載せてもらっているし、断るわけにはいかぬ。快諾させていただいた。
当日は千駄ヶ谷の某所に幹事数人が集まり、手早く封入作業を済ませたあと、場所を居酒屋に移して懇親会となった。
湯川先生は将棋ペンクラブ発起人のひとりで、現在は統括幹事の要職にある。人相は悪いが情に厚く、話もおもしろい。しかしいつも酒が入っているので、記憶がとびとびになるらしい。だからペンクラブ交流会などでお会いしたときに、
「キミが一公君か!」
という言葉を3回は聞いた。
湯川先生は、なぜか私の文章を気に入ってくれているようで、同じことを人伝にも聞いていた。乾杯のあと、はたして文章論議になり、
「キミは文章の勉強をしたことがあるのか?」
と訊かれた。
「否」と答えると合点がいかぬ様子で、その後も
「卒業大学は?」「好きな作家は?」
と矢継ぎ早に訊いてくる。しかしいずれも湯川先生の納得のいく回答ではなかったようだ。
湯川先生は私の文章力を、将棋の棋力でいえばアマ三段ぐらいに認定しているらしかった。アマ三段程度なら全国にゴロゴロいるが、将棋ペンクラブ会員限定となると、かなり数がしぼられる。
そこで湯川先生は、好奇心から私の「勉強法」を聞き出そうとしたのだが、「自然に強くなりました」と同義の回答をしたものだから、「それはおかしい」となったらしい。
強いて湯川先生の得心のいく回答を挙げれば、中学生のころから将棋の観戦記を読んできたので、その宝石のような文章のひとつひとつが自然と自分の中に染みこんで、「湯川好み」の文章が書けるようになった、ということになろうか。
この日は二次会にもお付き合いさせていただいたが、そこでは湯川先生との会話の中で、私がプロ棋士を軽んじるような発言をしてしまった。むろん私にそんな意はなく、話の流れでそう取られてしまったのだが、すかさず先生は激怒され、たしなめられてしまった。
私はこのとき、湯川先生の、プロ棋士に対する深い畏敬の念を感じたのだった。
ところで湯川先生がこの日私を誘ってくれたのは、いろいろな世界を知ることで文章力に厚みをつけてもらいたかったことと、ゆくゆくは私を幹事のひとりにしたかったためらしい。
前者の配慮はありがたいが、後者はどうだろうか。
ヘンに幹事になって交流会で将棋が指せなくなり、ペンクラブ会報に書きたい話を書けなくなってしまうのも困る。湯川先生の中では「幹事」は既成事実のようだが、現在、返答を長考中である。
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金曜サロン・北尾まどか女流初段①

2009-04-19 16:22:47 | LPSA金曜サロン
現在、将棋ペンクラブ次号投稿用の原稿を執筆中である。
こんな天気のいい日は外に出たいのだが、その理由もないので家にこもっている。
さて17日の金曜サロン、夕方は北尾まどか女流初段の担当だった。
北尾女流初段は気風のいい性格で、ポジティブ志向の女流棋士である。私のような陰気な男には、まぶしいくらいだ。
北尾女流初段といえば、一昨年6月に新宿で行われた、日本女子プロ将棋協会発足イベントでの10面指しが印象に残っている。
浴衣姿にタスキをまいて、アマ棋客を相手に対局する姿は凛々しく、指導を受けられる方を羨ましく思ったものだった。
平手で挑む猛者もいて、世間知らずというか、身の程知らずのお客さんだなあ、と訝ったものだが、そんな自分がいまでは、金曜サロンで女流棋士に厚かましくも平手で挑んでいるのだ。人生、一寸先に何が起こるかわからない。
北尾女流初段との印象的な将棋といえば、金曜サロンではなく、昨年11月に新宿のカフェバー「Who's Who」で指した1局を挙げる。
私の四間飛車に北尾女流初段が玉頭位取りでこられ、終盤はこちらが敗勢。しかし下手も反撃をして、なんとか形にはなった。だが下手の▲2二飛に、上手が△4三玉と上がったのが痛恨の大悪手。以下▲4二桂成から、なんと上手王がトン死してしまったのだ。
むろんその順は、北尾女流初段は詰まないと見ていたのだが、私からの王手が結構続くので、途中から「ええっ?」となった。
私が▲6五金と打ったところでハッキリ詰み筋に気付いたようだ。ここで北尾女流初段の手がピタッと止まった。指すと詰んでしまうからだ。
結局王を引いたが、以下数手進んで、▲7三歩まで北尾女流初段の投了。最後は9一の成銀までが詰みに一役買うという奇跡的な手順で、この将棋を勝ったときは、心底将棋を続けていて良かったと思ったものだった。
対して北尾女流初段の悔しがること悔しがること。
「エーーーーッ、これ詰みだったのーっ!?」
と絶叫する北尾女流初段がいい。
北尾女流初段に勝たせていただくと、その反応が尋常でないだけに、指しているこちらも楽しいのだ。
そんな北尾女流初段は、女流名人位戦の予選決勝で伊奈川愛菓女流1級に勝ち、見事B級昇級を果たした。伊奈川女流1級は今年度の休場が決まっていたが、女流名人位戦のB級は休場しても降級はないので、伊奈川女流1級にとっても重要な対局だったのだ。
北尾女流初段も松尾香織女流初段以上に、棋風改造を行っている。その努力が実って将棋は好調のようで、17日の私との指導対局では、ゴキゲン中飛車からの急戦で、わずか58手で吹っ飛ばされてしまった。
B級リーグでも幸先よいスタートを切った北尾女流初段、今期は大いに期待できる。
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文章の推敲

2009-04-19 03:08:17 | 将棋雑考
紙媒体とインターネットの大きな違いのひとつに、訂正の可否が挙げられる。
紙媒体はいったん発行されたが最後、訂正が利かない。雑誌の場合、次号でお詫びはできても、当該号しか買わなかった読者には伝わらない。
その点インターネットは、間違いがあればすぐに訂正ができる。もっともこれも、読者が訂正箇所を再読してくれないと意味はないのだが。
私もブログを書くようになって何回かアップしてきたが、折にふれ過去の日記を読み返し、細かい推敲(修正)を重ねている。
昨日アップした「金曜サロン・藤田麻衣子女流1級」の日記では、終盤の局面で△1四香と△5七桂が抜け落ちていた(むろん現在は訂正済み)。もし局面を再現してくださった方がいらしたら、深くお詫びするしだいです。
私が勝手に書いているブログでさえそうなのだから、法人などがネット上で正式に発表している文書などは、とくに注意を要する。
たとえば新・女流棋士会が2日に発表した「女流棋士会分裂の経緯についてのご説明」だが、文章の巧拙はともかく、文の途中で不自然な改行がされている箇所が2つある。
「分裂の経緯」が世間に公表されてから、何十人もの女流棋士会関係者が、この文章を目にしてきたはずだ。それなのに、これらのいびつな改行に誰も異議を唱えなかったことが不思議でならない。
かつて広告代理店に勤務していた私には、意味不明の「つづく」より、こうした細かいことのほうが気になってしまうのだ。
むろんこれは女流棋士会のサイトに限ったことではなく、たとえば日本女子プロ協会のサイトにも同じことがいえる。
ある作家は、「いい文章を書くには、推敲推敲、また推敲」と言った。
サイトなどの文章に関しては、アマチュアの書き手がほとんどだろう。だから何度も推敲を繰り返して、なるべく100点の文章に近づけるよう、努めたいものである。
…と書きながら、対藤田女流1級戦で局面の不備があったことをはぐらかす私であった。
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金曜サロン・藤田麻衣子女流1級①

2009-04-18 16:36:42 | LPSA金曜サロン
金曜サロン、17日の担当は、昼が藤田麻衣子女流1級、夕方が北尾まどか女流初段だった。
この日は珍しく午後2時直後にサロンに入った。いままでこの日記を読まれた人は、「お前、昼からサロンに入れる環境なのか?」という疑問も持たれよう。
たしかにそのとおりで、私も夜から入りたいのだが、ご多聞にもれずウチも世間の不況をモロにかぶっていて、仕事が少なくなってしまったのだ。だから私は現在、金曜日は休日になっている。しかし陽の明るいうちからサロンにお邪魔するのは、ある意味むなしい。
さて藤田女流1級は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)を代表する秀才である。デザイン能力や企画性にも優れ、藤田女流1級発案の「日めくりカレンダー」は大ヒットとなった。現在話題沸騰の「どうぶつしょうぎ」のキャラクターも、藤田女流1級のデザインである。
観戦記者の顔も持ち、「将棋世界」平成13年11月号付録に収録された藤田女流1級の自戦記は、のちの観戦記者人生を彷彿とさせる、瑕瑾のない文章だった。いまや藤田女流1級は、LPSAになくてはならない、司令塔的存在といえよう。
そんな藤田女流1級には、私がまだ金曜サロンに通っていなかった昨年1月に、大阪で行われた1DAYトーナメントの席で、指導対局を受けたことがある。プロ棋士に指導対局を受けたのは、私が高校生のときの1983年11月、真部一男七段(当時)に教わって以来24年振り。だから藤田女流1級とは、LPSA棋士との記念すべき初対局だったわけだ。
このときの模様は「将棋ペンクラブ会報」にも掲載されたので重複を避けるが、自分の棋力が女流棋士にどこまで通用するのか、たいそう緊張したことを憶えている。
その後も藤田女流1級は、イベントや金曜サロンで顔を合わせるたびに、「あっ、一公さんだー!」と気軽に挨拶をしてくれた。
そんなこともあって、LPSA棋士の中で、藤田女流1級は私にとって特別な存在になっているのだ。
ところが肝心の指導対局では、以降私の成績が芳しくない。大阪での角落ち戦はいいとして、金曜サロンは3戦全敗なのだ。
いずれも平手で、1局目は私の四間飛車に△6五歩早仕掛けでこられ、70手で吹っ飛ばされた。
2局目(サイン勝負)は、私が中盤に銀バサミの筋で駒得したのに、上手の攻めを受け損ねて逆転負け。
3局目(当然サイン勝負)は中盤の入口で飛車銀交換の成果を挙げたのに、やはり逆転負けした。
最初から非勢の将棋で順当負けなら納得もできる。しかし2、3局目は中盤まで明らかにこちらが優勢だったのだ。こういう負けは本当に堪える。
こんな状況で迎えた17日の指導対局(もちろんサイン勝負)は、これが2、3局目とは較べものにならない、ひどい将棋となった。
私の四間飛車に藤田女流1級が居飛車穴熊を明示したので、私は向かい飛車に振り直し、急攻に出た。以下折衝があり、藤田女流1級が△8四飛と私の歩を払った局面が絶好のチャンスだった。局面の一部を記すと、先手のおもな駒の配置は7六歩、7七角、9一成桂、持駒は香。後手のおもな配置は7三桂(ヒモはついていない)、7四歩、8四飛、8五歩、9三歩。
ここでふつうの対局者なら、10人が10人、▲9五角と出る。△9四飛や△8二飛は▲7三角成。△8三飛なら▲8四香で飛車を殺して先手良しだ。
それを私は▲6六角とやった。すかさず△7五歩と突かれ、▲同角に△5四飛と回られては、一遍に形勢が混沌となってしまった。
以降形勢の針は微妙に揺れ動き、迎えた127手目▲3二金打の局面が以下のごとくである。図面は載せないので、ヒマな方は並べていただきたい。

下手・一公:1七桂、1九香、2七歩、2九銀、3二金、3七歩、3九玉、4二竜、4七歩、4八金、5六歩、6七銀、7六歩、7八金、9七歩、9九香。持駒は銀、香、歩2
上手・藤田女流1級:1二王、1三馬、1四香、1六桂、2二銀、2三歩、3三桂、3四歩、4三歩、4四飛、5七桂、8四歩。持駒は角、金、歩6

ここで藤田女流1級が突然△4九金と打ってきたので飛び上がった。何か受けると思っていたからだ。藤田女流1級には、2、3局目はキレイな即詰みに討ち取られている。とにかく寄せが鋭いのだ。また今回もトン死を喰らってしまったのだろうか。しかしよく読むと、以下▲4九同金△同桂成▲同玉△4七飛成には冷静に▲4八歩と受けて詰みはない。
実際局面もそう進んだ。しかしそこであらためて読み直してみると、ここで△5八角の継続手がある。以下▲5八同銀に△同竜▲同玉△5七銀▲4七玉△4六馬▲3八玉△5六馬▲4七合△同馬▲同歩△4八金まで、ピッタリ詰むではないか!!
はたして藤田女流1級は、ペシャリと△5八角。
やっぱり、また負けた…。中盤の▲9五角を逃してから落胆していた私はこの局面で、消え入りそうな声で「負けました…」と潔く投了した。
ところが事件はその後に起こった。形式上感想戦に入り、「一応、詰みを確認しましょう」と先の手順を進めたところ、△5六馬の局面で▲4七香と受けておけば、△4七同馬に▲同歩でなく、玉で取って不詰めだったのだ!!
なんたることか! 手順中、▲4七玉といったん危ないほうへ逃げるのが地味な好手。この手も読んでいながら、以下とんでもない読み抜けをやってしまったのだ。将棋を始めて、不詰めの局面で投了したのは初めてだった。
いやその後の私の荒れっぷりといったらなかった。しばらくしたあと、今度は茫然自失となる。もう、藤田女流1級には完全に負け下になっている。
夜になって、「もう藤田先生の顔は見たくもありません!」と毒口を叩いたら、パーテーションの奥から、「なんですかー?」と、藤田女流1級の声が聞こえてきた。
藤田女流1級は仕事で残業していたのである。
く~っ!! 藤田女流1級との次の指導対局は5月15日昼である。この日はたとえ仕事が忙しくなっても、万難を排してサロンに乗りこまねばならぬ。
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タイトル戦のコメント

2009-04-18 02:20:56 | 将棋雑考
タイトル戦に臨む対局者のコメントというのは総じて味気ないものだから、私は大して興味はないのだが、あまりにも控えめなコメントというのも脱力する。
前期の女流名人位戦での、戦前の矢内理絵子女流名人のコメントは、
「将棋の形勢が悪くなっても簡単に投了せず、この苦しみを味わうことで強くなりたい」
というような内容だった。
良くない。気合が悪い。少なくとも、女流名人位を3連覇した棋士の発する言葉ではないと思った。
言葉には魔力がある。一度口に出してしまうと、たとえそれが本心でなくても、知らず知らずのうちに自分がその言に従ってしまうものなのだ。
その意味で、先の矢内女流名人のコメントは適切ではなかった。これでは初めから、
「私は苦戦を覚悟しています」
と白状しているようなものだ。このとき私は、今回のシリーズは、清水市代女流王将が名人位を奪取すると確信した。実際、結果もそうなった。
さてそこで、6月からのマイナビ女子オープン5番勝負である。
タイトル挑戦を決めた岩根忍女流二段は、直後の談話で
「獲りにいきます」
と言った。見事である。
対して矢内女王のコメントが注目されたが、
「防衛するのではなく、挑戦する気持ちで戦いたい」
と言った。若干弱気な気もするが、勢いのある言葉である。これは良い。
さあ、これで5番勝負の予想が立てにくくなった。
ま、岩根女流二段の女王奪取としておこう。あの愛くるしい「しーちゃん」の笑顔を、もう一度見たいから。
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