一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

羽生善治竜王の47歳4ヶ月

2018-01-31 01:04:35 | データ
この27日で羽生善治竜王は47歳4ヶ月となった。
当ブログは2009年8月6日に「大山康晴十五世名人と谷川浩司九段の、47歳4ヵ月」という記事を書いた。今日は改めて、永世称号棋士の47歳4ヶ月時の戴冠状況を調べてみよう。

木村義雄十四世名人…名人
大山康晴十五世名人…名人、十段、王将、棋聖、王位(全冠)
中原誠十六世名人…無冠
米長邦雄永世棋聖…王将
谷川浩司九段…無冠
羽生善治竜王…竜王、棋聖
森内俊之九段…無冠
佐藤康光九段…無冠

木村十四世名人は47歳4ヶ月、すなわち1952年6月21日の時点では名人だったが、その翌月、大山八段に名人位を奪われた。そしてその翌月、「よき後継者を得た」の名言を残し、現役を引退した。
大山十五世名人は47歳4ヶ月、すなわち1970年7月に内藤國雄棋聖から棋聖を奪取し、五冠王に復帰する。しかし年末に十段を失い、翌年1月に棋聖失冠。1972年以降も名人、王位、王将と失い無冠になるのだが、50歳を過ぎてから再び十段、棋聖を奪取し、計11期タイトルを獲った。最後の失冠は59歳。
中原十六世名人は1993年、45歳時に虎の子の名人を米長九段に奪われ、以後タイトル戦に顔を出すことなく、現役を終えた。私たちが「史上最強の棋士」を選ぶ時、大抵は大山十五世名人か羽生竜王かの二択となる。大山十五世名人との対戦成績が107勝55敗だった中原十六世名人の名がなぜ挙がらないのか、その理由は中原十六世名人の、45歳以降の停滞にある。将棋ファンは長期的に活躍した棋士を評価するのだ。
米長永世棋聖の47歳4ヶ月は1990年10月。この時点では王将を保持していた。この前年末に王将挑戦を決めた際、時の王将・南芳一に「横歩も取れないような男に負けてはご先祖様に申し訳ない」と挑発し、話題になった。七番勝負は1勝3敗の劣勢になったが、以後3連勝し、逆転奪取を果たした。
米長永世棋聖は翌1991年、南九段に王将戦でリベンジされ無冠になったが、49歳11ヶ月で中原名人から名人を奪取。いわゆる「50歳名人」で、当時は大きなニュースになった。引退直前には王将リーグにも入ったし、最後まで強かった。
谷川九段は2004年、41歳の時に最後のタイトル・棋王を失い(対羽生三冠)、無冠。2006年の名人戦を最後に、タイトル戦にはご無沙汰している。
羽生竜王は昨年、王位、王座と立て続けに失い、羽生時代去る、とまで囁かれた。しかし年末に完璧な内容で竜王を奪取したのが大きく、冷静に見れば群雄割拠の将棋界で二冠は最多。再び棋界の第一人者に返り咲いた。
森内九段は2014年、44歳の時に竜王を失い(対糸谷哲郎七段)、無冠。明日2月1日で47歳4ヶ月になる。
佐藤九段は2013年、44歳の時に王将を失い(対渡辺明竜王)、無冠。

永世称号者は40代でもタイトルを保持しているが、そこから先が大変だ。
そんな中、47歳でタイトルを保持している羽生竜王はさすがだ。今後も、いきなり無冠になることはないと思う。他棋戦でも番勝負に顔を出しそうだし、中原・谷川型より大山型になるだろう。
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