とても相手のことを思っている人なのに、なぜか苦手な人がいた。
そんな良い人を苦手に思う自分が嫌で冷たい人間に思え、何年も悩みました。
「ひとを〈嫌う〉ということ(中島 義道 著)」という本で、ひとを〈嫌う〉ことは仕方のない事だと書かれていました。( 2013年10月31日ブログ 、 2012年11月30日ブログ )
これで、少し自責の念が軽くなっていました。
そして、なぜ苦手なのか一つの答えを見つけ、心が楽になりました。
「相手に対する自分の思い」は強くあるのだけど、
「相手に対する配慮や心遣い」が感じられないのだ。
相手のことを思う自分の思いを押し付けているように思えました。
その自分の強い思いが、相手にどう受け取られるのか、相手に負担になっていないかなど、相手の立場に立った配慮が感じられない。
また、自分の強い思いからくる言動が、相手を傷つけているかもしれない、周囲に迷惑をかけているなんて思ってもいない。
これは以前に紹介した『「良かれと思って」の罪深さ』に通ずる。
結局、相手のことを思っているようで本当のところは自分の思いを押し付けているだけではないかと…
これまで漠然と苦手だった人の、どういうところが苦手なのかが分かりスッキリしました。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」から、苦手な原因以外のところは許せるようになりました。
この前、昔の私と同じように悩んでいた人のブログを見つけコメントしたら拒否されちゃいました。
お節介だったのかな…
私も偉そうことを言えませんが、「相手に対する自分の思い」と「相手に対する配慮や心遣い」を忘れないようにしたいと思います。
そんな良い人を苦手に思う自分が嫌で冷たい人間に思え、何年も悩みました。
「ひとを〈嫌う〉ということ(中島 義道 著)」という本で、ひとを〈嫌う〉ことは仕方のない事だと書かれていました。( 2013年10月31日ブログ 、 2012年11月30日ブログ )
これで、少し自責の念が軽くなっていました。
そして、なぜ苦手なのか一つの答えを見つけ、心が楽になりました。
「相手に対する自分の思い」は強くあるのだけど、
「相手に対する配慮や心遣い」が感じられないのだ。
相手のことを思う自分の思いを押し付けているように思えました。
その自分の強い思いが、相手にどう受け取られるのか、相手に負担になっていないかなど、相手の立場に立った配慮が感じられない。
また、自分の強い思いからくる言動が、相手を傷つけているかもしれない、周囲に迷惑をかけているなんて思ってもいない。
これは以前に紹介した『「良かれと思って」の罪深さ』に通ずる。
結局、相手のことを思っているようで本当のところは自分の思いを押し付けているだけではないかと…
これまで漠然と苦手だった人の、どういうところが苦手なのかが分かりスッキリしました。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」から、苦手な原因以外のところは許せるようになりました。
この前、昔の私と同じように悩んでいた人のブログを見つけコメントしたら拒否されちゃいました。
お節介だったのかな…
私も偉そうことを言えませんが、「相手に対する自分の思い」と「相手に対する配慮や心遣い」を忘れないようにしたいと思います。