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向き合う

2013-07-29 18:16:24 | 日記(~2023年)
私は小さい頃、母から「私(母)は身体が弱いから長生きできない」というようなことを聞かされて育ちました。
「結婚して子供を3人も授かったのが奇跡なくらい…」としみじみと話してくれたことを覚えています。

時々、死んだふりをして私達子供を驚かせていました。(この行為は教育上よろしくないと思います)
そのせいか、私は未だに静かに寝ている人が呼吸しているかどうか時々確かめてしまいます。

祖父は2人とも私が6歳の時、祖母は11歳の時と20歳の時に他界し、独身時代は病院に勤めていたこともあり、おそらく他の同年代の人達よりも若くして死を身近に感じていたのかもしれません。

母は少し霊感があり、祖父母が亡くなる1カ月前に霊的な出来事に遭遇
私は母が亡くなる直前に、黒い2つの影を見ました。
これまで死について読んだ本からも、死が悪いものとは思えません。
私がたまに見る不思議な夢からも、人は死んでも、心や魂は生きているように思えて仕方がないのです。

そして、私は本当に大切だった人とはいつか再会できるような気もするのです。
死んだときに迎えに来てくれるのか、それとも生まれ変わってまた大切な人として一緒に過ごすかもしれない…そんなことを思うようになったのです。

だから母が亡くなった時も、父が亡くなった時も、それほど取り乱さず冷静なほうでした。
悲しみに暮れることはなく、そんな自分がとても薄情な人間に思えたこともありました。
おそらく、今後身近な誰かが亡くなったとしても、やはりそれほど取り乱すことはないように思います。


人生は理不尽であることを思うと、生きることは人間がコントロールできるものではなくて、大きな何かの力に生かされているという表現がピッタリのような気がします。

自分でコントロールできないのなら、自分でできることをしたうえで後は天にお任せするしかありません。そういう覚悟があると、何かがあったとしても冷静になりやすいのではないか?


「人事を尽くして天命を待つ」

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候」(良寛)

「死とは、誰もがいつか行くところへ、先に行くことなんじゃないか」(宮子あずさ)