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神々の死

2016年06月15日 | 歴史
ニーチェは、西洋近代という時代をキリスト教の神が死んだ時代と考えた。また、ニーチェはキリスト教は弱き人間への同情のあまり虚弱になって死んだとも、人間が神を殺したともいった。

デカルトは中世以来の哲学の中心問題である神の存在と魂の不死を彼の哲学によって証明しているが、神はここで棚上げされている感がある。ニーチェのいうようにデカルト以来の近代思想の主流は神を棚上げし、神を無用にし、結局は神を殺したといえる。
こうして神を棚上げし、神を殺すことによって近代ヨーロッパは科学技術文明を生み出したといえる。今、この神の死、神の殺害という問題が近代文明の大きな問題になっているのではないか。
神の死は宗教の死ばかりでなく、道徳の死であるとすれば、宗教と道徳を失って、人間は果たして人間であり得るのか。

近代日本において、近代西洋文明を移入しながらその宗教は受け入れず、科学技術文明のみを採用したことによって、日本は今のような宗教を重んじない近代国家になったと漠然と思っていたが、明治の初め、西洋以上の神殺しが行われていたのである。

この神殺しが廃仏棄釈である。明治政府は神と仏を引き離し、仏を殺してしまった。仏の死によって、長い間仏と共に生きてきた神までも死んでしまった。廃物希釈は、実は千年の間日本人が信じてきた伝統的な神と仏を殺し、かつての神仏に代えて国家と天皇を新しい神とし、近代化しようとした甚だ巧妙な政策だった。
このようにして、日本はみごとな富国強兵の近代国家になったが、この神殺しは時間とともに大きくなる禍根を残した。


六世紀に日本に移入された仏を新来アラキの神と名づけた。八百万やおよろずの神を崇拝した日本人にとって新しくやってきた神にすぎなかった。蘇我・物部の戦いは、仏を信じた蘇我氏が勝利する。仏教的な勝利の象徴として、推古天皇のもとに聖徳太子が登場し、仏教を中心として儒教や道教をもとりいれ、日本を中国並みの律令国家にした。
しかし、神々の抵抗は執拗に続けられたらしく、このような争いを終わらせたのは聖武天皇であったと思う。藤原氏の氏寺・興福寺に代わる日本第一の大寺・東大寺を建てるにあたって神々の援助を強く要請したが、藤原氏の氏神である春日の神々と縁の深い伊勢の大神が、この国家大寺の建造に賛成しなかったので、代わりに東大寺建造を祝福したのは、はるばる宇佐から上京した応神天皇を祭神とする八幡神であった。
そこから神仏習合の歴史が始まるが、ここで重要な役目を果たしたのは、仏教を民衆の底辺まで布教した功績者、行基であった。

こうして神と仏の闘争時代が終わり、神と仏の習合時代がやってきたが、この思想の方向を決定的に進めたのが空海だった。
真言密教の本山である東寺の灌頂院の東に八幡宮があるが、そこに空海が作ったという僧形八幡の像がある。それは文字通り神が仏になった姿を表し、神仏習合の具象的表現である。神と仏の蜜月時代を作った思想家としても高く評価されるべきであろう。
最澄が始めた天台宗も、円仁、円珍によって密教化され、それとともに神仏習合の思想を深めた。このような神仏習合、神仏蜜月思想の中から生まれたのが修験道である。

その反動として、鎌倉仏教は、神仏習合という思想に対する批評の仏教であり、仏教の純粋化の思想運動とみられる。こうして、鎌倉仏教は日本の律令体制を破壊し、もっぱら貴族の支配した古代を終わらせ、新しい権力者、武士の支配する中世という時代を招来する思想的根拠を与えるのに役立ったということができる。

このように日本の歴史を振り返ってみると、神仏習合の思想は主として平安時代にもっとも盛んになり、それが日本人の宗教的思想の基礎を作ったが、鎌倉時代になると仏教の神道からの離脱が行われ、その意味で鎌倉時代は神道が仏教の反撃をこうむった時代であるといえる。

中世の殻を破ったのが織田信長である。比叡山焼き討ちを考えても、信長はニーチェのいう神も仏も信じなかった人間であると思う。
信長の暴挙によって、長い間日本を支配していた仏教が宗教的呪力を失ってしまったことは間違いない。
巨大な安土城を建て、その本丸の頂上に天守閣を設けた。天守という言葉は、キリスト教の神をも意味するがキリスト教の神は祀られていず、天守は信長そのものを指し、自己を神として祀る思想は、豊臣秀吉に受け継がれ豊国神社になり、次いで徳川家康に継がれ東照宮になった。これは、日本の伝統的な神の概念の大変革であったといえよう。

江戸時代は、長年の国教であったと思われる仏教に代わって儒教が国家統治の学問になった時代であるといえよう。キリシタン弾圧のために檀家制度ができ、僧侶の生活が安定したことによってかえって僧侶の腐敗・堕落がはなはだしくなり、民心が仏教から離反したともいえる。

本居宣長は、日本はすぐれた神の国であると礼賛した。廃仏論を実行し廃仏棄釈の挙に出たのは水戸光圀だった。「大日本史」を編纂し、国体を明らかにした。正確な史料に基づく科学的な日本史の最初の書といってよいであろう。そのうえ、自分の思想に反する仏教を弾圧し、999の寺院を壊し、344人の僧を還俗せしめたという。廃仏棄釈は黄門様にはじまるといってよいであろう。
このような国学および神道側の仏教批評は、鎌倉仏教以来の神道批評に対する反動といってよいかもしれない。

反仏教の水戸学者や国学者が倒幕運動に加わり、彼らが維新政府の要職を占めたことによって廃物希釈、神仏分離が国の政策として実行されたのである。千年もの間蜜月関係にあった神と仏を引き離し、長年の日本人の信仰の中心であった仏教を否定するのは実に乱暴な政策であった。
廃仏棄釈、神仏分離によってどれだけ多くの文化が失われたかは計り知れない。

明治政府は、天御中主神アメノミナカヌシノカミ高皇産霊神タカミムスビノカミ神皇産霊神カンミムスビノカミの造化三神と天皇家の祖先である天照大神アマテラスオオミカミを本尊として「大教院」に祀ることになる。この大教院のもとに総ての神道および仏教の各派は従属せしめられたが、ヨーロッパ諸国の宗教の実情を調べたところ、政治の宗教に対する干渉が厳しく禁じられ、宗教の自由が確保されていることから、解体せざるを得なかった。
大教院は解体され、一応政教分離が実現されたかにみえるが、少なくとも昭和20年まで仏教は国家の強い監視下にあった。
例えば、仏教の最大戒律は不殺生戒であるが、日本は日露戦争以来、ひたすら軍国主義への道を進み、戦争を礼賛してきた。しかし、あえて不殺生戒を犯す戦争を責め、反戦論を主張する仏教宗派および僧はほとんどいなかった。少なくとも、終戦のときまで形なき大教院は存在していた。
明治時代につくられた国家神道は仏教ばかりか神道をも否定し、日本国家と天皇のみを唯一の神とする新しい宗教であったといってよい。明治神宮、東郷神社および靖国神社はこのような新しい神道によってつくられた神社であろう。

戦後、鈴木大拙は仏教の神道への屈従を激しく責め、国家神道によって汚れた「精神」の代わりに「霊性」という言葉を用い、日本的霊性の目覚めを訴えたが、日本の霊性はまだ十分に目覚めていない。
日本の仏教は、信長の比叡山焼き討ち以後、政治に対抗する精神的力をもちえなかったのである。政治家の靖国参拝からもわかるように、いまこそ政教分離を声高に主張し、日本を真の近代国家にしなければならない。





   
「思うままに 神と怨霊」内の「神々の死」著者;梅原 猛 をまとめた。

    

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11 コメント

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難しい高尚なお話 (hide-san)
2016-06-15 11:39:23
ずいぶん難しい歴史ですね。

人とは何?をはっきり定義してから、述べるのが正しいように思いますが・・・・

政治と宗教と思想については、人それぞれ意見があって、
議論は平行線になり、結論が出ませんので、
これくらいにしておきます。

以前に鎌倉のシルバーボランティアガイドになりたいと思って、
鎌倉を勉強し始めたら、仏教を知らずして進めることが出来ず、仏教の勉強を始めたら、
とても鎌倉まで行きつくことが出来ず、鎌倉をあきらめました。
仏教の勉強は、五年ほどかかりましたが、結論に至っておりません。
中国の玄奘三蔵は、17歳で疑問を持ち、
中国の高僧」と議論しましたが結論を得ず、
インドに入った話は「西遊記」に面白いですが、
ボクもインドの仏教史跡を訪ね、玄奘の学んだ大学にも行きましたが、
仏教そのものもすべて理解したわけではありません。

ちょっとだけ言わしてもらいました。
悪しからず。
日本は信仰の自由 (らいちゃん)
2016-06-15 13:16:58
日本の宗教はこのような歴史を経て、現在のどんな宗教も認め合う宗教の自由がある訳なので、これでいいのでしょうね。
日本では山や海や川から草木や石、そして、亡くなった先祖を崇拝したのが神道の始まりなので、根本にあるのは八百万の神を信じる神道だと思います。
その神道を信仰するかしないかは自由です。
人によっては仏教も神も信仰し、更にはキリスト教もイスラム教も信仰しているかも知れません。
それで平和に暮らせているのだから、これでいいのだ。
と言うところですね。

>きのうは、gooブログ・メンテナンスでブログを遅くまで閲覧できなかったですが、今朝は9時頃の予約になっていました。
当日の0時に修正するのを忘れていました
ブログのメンテナンスがたまにありますが、メンテナンス完了に時間がかかっていることからいつも慌てます。
iina様のように前日までに記事が出来上がっていればいいのですが、私はそのようにできません。
困った性格ですね。

朝からコメントを投稿しているのですが、「現在IPが制限されているため、コメントできません」のメッセージが出て投稿できません。
こんにちは (延岡の山歩人K)
2016-06-15 17:01:46
本日は 朝から 難しい話題ですね
自分も昔々
ニーチェ全集を読んだ(途中まで・・)事ありますが
もう忘れました (^^;)。

(hide-san) さん へ (iina)
2016-06-16 08:56:39
相変わらずな (hide-san)さんの物言いでした。(^_^;)

本ブログは、読書感想にすぎません。iinaにとり興味深い仏教と神教の攻防の解釈でしたから、採り上げてみました。

宗教は、死ぬまでが修行であろうと考えますから、気軽に習得できるものではなさそうです。

(らいちゃん) さん へ (iina)
2016-06-16 09:11:41
>日本では山や海や川から草木や石、そして、亡くなった先祖を崇拝したのが神道の始まりなので、根本にあるのは八百万の神を信じる神道だと思います。
欧州は、山や樹などを神として祀るのは原始的な宗教だとして見下す傾向をみます。

キリスト教などは一神教ですから、ほかの宗教を許さずに十字軍を編成して布教を押し付けていくので争いごとばかりです。

日本人の宗教観は、八百万の神の中に神教も仏教や諸々の宗教を含んでますから、和をもって貴しとする風です。
それ故、一神教を信じる者には、いい加減にうつるのかもしれません。

(延岡の山歩人K) さん へ (iina)
2016-06-16 09:23:08
>ニーチェ全集を読んだ(途中まで・・)事ありますが もう忘れました (^^;)。
ニーチェとは、名を教わったばかりで本を読んだこともなく思想も知りません。

Kさんの若いころは、勉強家だったのですね。



暑中お見舞い申し上げます (慶喜)
2018-08-03 09:23:35
「思うままに 神と怨霊」「神々の死」のまとめ興味を持って読まさせていただきました。
「デカルトは中世以来の哲学の中心問題である神はここで棚上げされている感がある。ニーチェのいうようにデカルト以来の近代思想の主流は神を棚上げし、神を無用にし、結局は神を殺したといえる。
こうして神を棚上げし、神を殺すことによって近代ヨーロッパは科学技術文明を生み出したといえる」「この神の死、神の殺害という問題が近代文明の大きな問題?」日本でも神と科学文明も同様な推移をたどっているのではないか?
ある面で、その様にして発展した先進国では、少子化、移民問題等が持ち上がっている。
私は哲学書読んだことが余りありませんが、非常に参考になりました。有難うございます。
(慶喜) さん へ (iina)
2018-08-03 09:55:01
8月も暑い日々は7月に続き猛暑です。
こんな暑い日々に難しい話題は、ますますアタマをやられそうです。


「思うままに 神と怨霊」梅原猛に、 (慶喜)さんのブログのようなことを書いていました。
よく分かりませんが、ブログにiinaなりに只まとめたにすぎません。
                                 これを読むと、神と仏が 時代とともに交互に入れ替わるように浮かんでは沈みます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/586b4031fb29400184ef6361dadfb83d

さいきん読んだ「この国のかたち」司馬遼太郎が日本の宗教についてもおもしろく描いていました。

岩倉街道 (コスモタイガー)
2018-10-02 12:01:23
いえ、写真は岐阜城ではなく、犬山城です♪
見た目の豪壮さは岐阜城に譲りますが、犬山城は現存天守。
国宝になっています。
また、目の前を流れるのは、長良川ではなく、木曽川になります。
現在は「ライン下り」で有名ですし、名古屋市民の水道水にもなっています。

神仏の複雑さは、ちょっと自分には難しいですが、確かに織田信長が大きな転機になったことは何となくわかります。

6世紀の人にとっては、仏教は「新興宗教」だったのでしょうね。
(コスモタイガー) さん へ (iina)
2018-10-03 08:38:19
犬山城でしたか。たいへん失礼しました。
犬山城の天守閣からの眺めは壮大で好きです。木曽川の下流に足を進めたことはなく、そこから撮ったお城だったので勘違いしました。
いままでに3度「ライン下り」をしています。

> 6世紀の人にとっては、仏教は「新興宗教」だったのでしょうね。
おそらく宗教という意識は薄く、新しい文物を伴ったものと考えたのでしょうか ❔



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