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時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧西国街道編(3)

2020-07-15 | 旧西国街道run!!/更新中

【2018年5月某日】
爽やかな春の青空。
朝から布団を干したり、開店と同時にスーツをクリーニングに出したりしてるけどさ、疼くんだよね。
こんな天気の良い日に、一人で社宅に籠る理由はない!

ってことで、そそくさと準備し、毎朝利用している阪急京都線に乗車。
茨木市駅でバスに乗り換え、降り立ったのは、前回乗車した「中河原南口」停留所。

府道110号を北上、前回食事したアルブラザを通り過ぎれば、徒歩5分ほどで前回のゴール地点。
見覚えのある交差点に「中川清秀由緒地」の石碑。
ちゃんとやってきた証拠?にもう一度シャメしておく。

時計は11時半。
ちょっと暑いけど、午前中のうちにスタートできるのは◎。

前回の続き、西へ向かって走り出す。
前半はほぼ1本道で簡単なのさ。
そしてこの道はいかにも旧街道らしい道筋で、いきなりテンションup!

国道171号を渡ってそのまま川沿いに降りていくんだね。
100mほどで少し広い道に合流すれば、阪急バスの「宿川原」停留所。
そしてそこは同名の変則交差点でもある。

それにしてもさっきは中河原、こっちは宿川原。
「かわ」の字が違うってのが何だか余所者には面倒くさい。
まぁきっと何か理由はあるんだろうけど。

斜め(南西)へ進む少し狭い道を選択。
といっても、交差点には「←本陣入口100m」の案内板もあるし、いかにも旧街道を思わせる石畳風の舗装がしてあるからね。
途方に暮れることはないけどね。

で、何の本陣かという、ここからが郡山宿で、その本陣がまさに100m行ったところに現存している。

ここから先、特段見どころはなく、600mほどで勝尾寺川という小川を渡る。
鍛治屋橋、というらしいが、郡山宿はここまで、ということらしい。

住宅街の中をくねくねと進む。
突然ロータリーが現れ、幾何学的な建物と、線路らしき高架が現れた。
大阪モノレール、豊川駅。(冒頭写真

乗ってみたい気持ちはもちろんあるけれど、さすがに走り出して3km少々では止めるわけにはいかない。

またいずれ乗車することにして、今日は高架下を素通り。
くねくね続く1本道だから迷う状況でもない。
そしてここから箕面市に入ったらしい。

しばらくすると、「楠水龍王」。
要するに、前回桜井で息子と別れた楠木公。
この井戸でのどを潤した、ってことさ。

その真ん前には古い道標も残り「右 京ふしみ道」と読むことができる。

さらに道は続いている。
地図見なくてもいいぐらいで、効率いいなぁ。
所々に旧家らしき屋敷もあって、視覚的にもそれなりに楽しい。

右手に大鳥居。
この先、4kぐらい山上にある、勝尾寺への入り口ってことらしい。

お寺なのに鳥居。
神仏習合の名残だね。
もっとも鳥居自体は新しく、あの阪神淡路大震災で被害にあい、再建されたもの。

国171が右手に寄り添い、その1本南を付いたり離れたり…の状態がしばらく続く。
でもその状態も、「西宿西」の信号手前でついに国171へ吸収されて終了。

西国街道はここでいった消失しているようで、ちょっとの間、我慢して国道171を走るしかない。
最初の信号、「萱野4丁目」で左折し、100mほどで右折。
児童公園(向畑公園)があり、この辺から旧街道は復活している。


すぐに現れる大きな屋敷。
「萱野三平記念館」。

萱野三平は、赤穂浪士47士のうちの1人。
忠臣蔵が好きな人にはたまらない施設なんだろうけど。
ごめん、俺、忠臣蔵、そんなに好きじゃないんだよね。

討たれた吉良上野介は、現在の愛知県西尾市吉良地区を治めていたお殿様。
尾張と三河の違いはあれど、同じ愛知県人として、吉良の名君ぶりは知ってるからねぇ。

黄金堤を築き、地元吉良の街を善政で治め、領民にも慕われていたことを知れば、赤穂浪士を美化する気持ちには到底なれないなぁ。

吉良邸討ち入りの伏線となった松の廊下事件。

大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士の面々からすれば、「喧嘩両成敗なのに、我が殿(浅野内匠頭長矩)だけが一方的に処罰され、吉良が無罪なんて!」という理不尽が吉良邸討ち入りの(表向きの)動機になってるわけだが。

そもそも松の廊下事件は「喧嘩」なのか?という話だよね。
「喧嘩」ということにして、討ち入りを正当化しているだけのような気がする。

吉良さんは刀に手も付けず。
というより、普通に廊下を歩いていたところを、浅野君が背後から突然襲撃した。

これは喧嘩じゃなく、暴漢だよね。
ならば暴漢という罪を犯した浅野君だけを処罰した幕府の裁定は、理不尽でも何でもなく、当然のこと。
いくら武士の世でも、平時に普通に歩いてるだけの人を一方的に襲うなんてことを正当化する法度も道理もありません!

理不尽なのは、突然襲われ、大怪我を負った吉良さんの方だろ!と思うんだけど。
しかも理不尽はそれで終わらず、数年後には逆恨み?した47人の部下たちに屋敷を急襲され、刺殺されてしまう。

現代なら、敵討ちどころか、むしろ吉良のご遺族や領民から莫大な慰謝料を請求されて賠償しなきゃいけなんじゃないの?
歴史は生き残った人たちによって都合よく盛られて語られることを示す典型的な例だ。

いかんいかん、熱くなって脱線してしまった。
とりあえず建物自体は歴史を感じる佇まいだから、シャメだけ取っておく。

すぐ先でY字路。
ここは左ね。

しばらくは街道らしい1本道。
やがて国171に合流し、「牧落」の交差点に出る。

国道を反対側に渡って100mほどで、右斜めに分岐するのが西国街道で、さらに200mほど進んだ十字路に、当時のままの道標が残る。


道標の示す通り、ここは西国街道と箕面道の交わるところ。
当時から十字路だったわけだね。

ここからまた1本道。
400mほどで変則交差点に出るけれど、ここも方角は変えずに、阪急箕面線を踏切で渡れば正解。

そして見えてくるのが桜井駅。
前回、楠木公で有名な「桜井駅跡」を通ったばかりで錯覚してしまいそうだけど、こっちはリアルに阪急電車が停車する、現代の桜井駅ね。
住所的には箕面市桜井。

ここでやめ…ないよ。
まだまだ!
頑張るよ!

しばらく走ると「半町2丁目」の交差点。
この辺りがかつての瀬川宿、ということらしいが、それを偲ぶものはほとんど残っていない。

自動車学校の前に、本陣跡を示す案内板が建つのみさ。


瀬川2丁目の交差点をそのまま直進。
200mほどで住宅街の中の変則のT字路を左折。
特に目印もなく、わかりにくいけれど、「今井橋」の手前、というのがキーポイントかな。

ややこしいけれどそのまま進むと、阪急箕面線&国171バイパスの高架下を通り、国171(旧道)に合流。
瀬川5丁目の交差点に出たら正解。

100mもすればまたまた右に旧街道が分岐。
とはいえ、特段見るべきものはない。
ただし、この辺りで池田市に変わるようだ。

少し西側には阪急石橋駅(2019年10月に「石橋阪大前」と改称されました)。
宝塚線と箕面線の合流する主要駅のため、この辺りは個人商店も多く、ごちゃごちゃした感じだ。

また国171に出た。
「石橋阪大下」の交差点。
でも交差点の斜め向こうに分岐する街道を確認。
もう「慣れ」さ。

風格のある大きな屋敷。
どんな由緒があるのかと思いきや、お寿司屋さん!
さすがに今、お寿司を食べてる場合ではないが、気になってシャメしてしまう。

阪急線の踏切に出た。
その手前にあるのが、旧石橋村高札場跡。
案内板の説明によれば、ここは線路を挟んで、変則の十字路になっている。
しかもその間に小さな川があって、そこに石橋がかかってたんだね。
説明されるまでもなく、恐らくこれが地名の由来だよね。

そして南北の道が能勢街道、今自分が走ってきた東西の道が西国街道。
要するにここが石橋村の中心地だったわけね。
高札場ができたのは当然の理だ。

踏切を渡って道なりに。
しばらくはチェックポイントもない。

街道案内のつもり?なのか、道の両側に緑のラインが入っているのが分かりやすい。

「住吉2丁目」で信号を直進、そのまま進むけれど、やがて中国自動車道に行く手を阻まれてしまう。
ここで地下道が用意されてるからさ、反対側に出ると、街道が続いてるわけさ。

わずに街道らしさを感じる一角で、右側に「受楽寺」。
ここに「春団治の碑」なんてものがある。

要するに、この寺は3代目の春団治が建立した、とのこと。
ごめん、詳しくないんだけど、確か落語の人だよね。

野球好きのコスモタイガーにはかつての阪神タイガースの代打男、川藤選手のイメージしかない。

しばらく走ると、大きな高架道路(大阪中央環状線)と箕面川にぶつかり、西国街道はいったん途切れる。
階段を上がって、箕面川を渡るしかない。(新聞橋)
そして渡り終えると国171。

ここからはしばらく国道runとなり、伊丹市に入った。
片側2車線のこの国道が旧街道をベースにしていることがわかるのが、旧入江家住宅と旧中村家住宅。

隣り合って建っている。

さらに国道を進む。
「軍行橋」。
下を流れる大きな川は猪名川。

橋の真ん中の景色って、なんかいいんだよね~。

渡り終わってすぐの交差点が、「軍行橋西詰」。
ここに階段があり、西国街道踏破(走破)者は、この階段を下りるように案内表示してある。

降りてから案内板通りに堤防道路を行き、400mほど南下したところから西国街道が復活、となるんだけど。
降りたところでコスモタイガーはコースアウト!

そろそろトレーニングを締めたいのさ。
そのまま国171に沿って高架下を走る。

約200m。
JR福知山線(通称宝塚線)。

右に視線を移せば、そこには北伊丹駅。
快速も通過してしまう、ちょっと地味な駅だけど、駅前に大きな公園(県立西猪名公園)があるのが魅力。

まだ時計は14時を少し過ぎたところ。
着替えたりしながら、少し公園を散策。

西国街道は近いうえに密度が濃いからね。
随分頑張ったつもりだけど、距離としてはロス分も含めて16~17kmといったころかな?

帰路も特筆すべきルートでも何でもないけど、駅名標でもシャメっとくか!
とはいえ、ここから伊丹駅までのわずか1駅は初乗りかな?多分。

やって来た電車に乗って、尼崎駅で東西線に乗換、北新地駅下車。
あとは徒歩。

まだ明るい時間に社宅に到着し、布団も片づけ、のんびりしたコスモタイガーであった。
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コスモタイガー漂走記~旧西国街道編(2)~後編

2020-05-16 | 旧西国街道run!!/更新中

駅前広場?を抜けてすぐ、西国街道に再開。
やっとここからが前回の続き(笑)で、右(西)へ向かう。

旧街道らしい雰囲気がかなり残ってはいるものの、府道67号にもなっているらしく、抜け道になっているのか、そこそこの交通量もある。
すぐに升形。
左手に大きな祠みたいなものがあって、関大明神と称するらしい。
ここが県境になっているらしく、大阪府三島郡島本町に代わるんだよね。

直線になってみれば、いかにも街道らしいうねった道が続いている。(冒頭写真

通勤ランで何度か走ってる道。
しかも1本道だから、地図も見ずに一気に走る。

懐かしい雰囲気の住宅街と個人商店が続く。
飽きないなぁ。

JR東海道本線が近づいてくると、旧街道は左へ緩やかにカーブ。
通勤者用かな?
自転車置き場と公園がある。
公園に隣接して、JR島本駅。

この公園こそ、旧桜井駅跡史跡公園。
桜井駅なんていうと、「島本駅の旧称?」なんて思われそうだが、鉄道の駅じゃないのさ。

この西国街道は、古代律令時代の五畿七道の山陽道が再整備されたもの、とされる。
その山陽道時代に設置された駅(または駅家)の跡であり、ここで馬を取り替えたり休ませたりしてたんだね。

そして有名なのは「桜井の別れ」。
公園の片隅にひっそりと祠が建てられている。
足利尊氏を討つべく、湊川の合戦を前にして、死を覚悟した楠木正成が、ここで息子正行と涙の別れをしたんだね。

数々の書物はもとより、大河ドラマ「太平記」でもこの名場面は大切に扱われた。
武田鉄矢さんの熱演が印象に残っている。

戦前の歴史の教科書ではかなりのヒーロー扱いだったらしい楠木公も、現代ではチョロッとしか扱われないからね~。
損得抜きで自らの信念を貫き通す。
コスモタイガーは大好きなキャラなんだけどなぁ。

島本駅前を通過。
ここにも「歴史文化資料館」なんてあったりするけど、さすがにキリないからね、素通り。

右手に大きな団地。
唯一の紛らわしい地点がココ。

Yの字型になっていて、左に進むのがメインらしく、人も車も左を選びがち。
なぜならその先に阪急電鉄の上牧駅があるから。

でも西国街道は右を選んでね。
すぐにキリスト教の教会があり、その先でJRの線路をくぐることになる。

しばらくはJR線に沿う。
案内板もないが、この辺りで行政区分は高槻市に。
右側には小さいながらもお寺と集落が点在し、街道らしさを演出してくれる。

梶原集落。
その真ん中あたりにひっそりと「梶原一里塚」が案内されている。

この道は高槻市営バスも走る生活道路になっているから、バス停が良い目印になる。
街道らしくうねりながら、高槻市の中心を目指して走ることになる。

「梶原」停留所の前にあるのが畑山神社。
1872(明治元)年の神仏分離令により、こう名乗ることになったが、元々は永福寺。
さらに昔は梶原寺と称されたらしく、神社でありながら山門を有している。

府道79号の陸橋を潜れば一気に市街地の雰囲気となり、道幅も広くなった。
左手には立派な関西大学の高槻キャンパスのビルが建つ。
隣接するのが高槻市立図書館。

さらに進んで、左手には西武百貨店。
まさに高槻市の中心街で、この交差点を左に折れればJR高槻市。
右に顔を向けると立派な鳥居が姿を現す。

この鳥居の先、約300mほど北にあるのが「上宮天満宮」。
天満宮の名前からして、菅原道真公を祀ってることは容易に想像がつくけれど、何と創建1000年以上!
天満宮としては九州の太宰府に次ぐ歴史があるらしい。

残念ながら旧街道から外れてるからさ!
この大鳥居からのお参りで許してもらって、先へ進もう。

さすがに市街地だけに、いろんな道があるけれど、とにかく西国街道は直進している。
深く考えず道なり進むだけ。

変則5叉路も道なりに。
200mほど先でT字路となっているが、いわゆる升形で、道なりに左折。

すぐにアーケード街と交わるけれど、そこにあるのが「芥川仇討ちの辻」の立て札。

簡単に言えば石見国で稚児の取り合いで殺し合いになり、殺された藩士の息子がここで仇をとった、ということなんだね。
当時は仇討ちが美化された時代だったんだね。

ほとんど隣と言ってもいいような、次の曲がり角にあるのが、芥川一里塚跡。
そしてここはかつての芥川宿の中心でもあったらしい。

西国街道はここで右に折れ、西向きに。
しばらく走ると小さな川を渡るけれど、その手前にあるのが橋詰地蔵尊。

こういうのが結構町中に残ってるんだよね。
だから旧街道runは止められない!

さらに足を進める。
気になる看板を発見!
矢印に従って少し寄り道。

「今城塚古墳」。
江戸よりはるか昔の前方後円墳。
第26代継体天皇の墳墓とされ、国指定史跡となっている。

天皇陵であるにも関わらず、古墳の周囲は公園として整備され、1周できるウォーキングコースも整備されている。
暖かい春の日差し。
のんびり過ごす家族連れが多い。

せっかくだから1周走ってみる。
反対側は立派な堀になっていて、壮大さを確認できる。

さぁ、街道に戻ろう。
って戻ったところにも残ってるんだね、史跡が。
ここが江戸時代には、妙見道との追分になってたんだね。

1kmぐらい走り、途中で行政区域が茨木市に変わってしばらくすると、また同じような古墳がある。
こちらは「太田茶臼山古墳」。

実はこちらが最近まで継体天皇陵と思われていて、今なお宮内庁の書類にもそのように登録されている。
ところが再調査などを行った結果、現代ではさっき訪問した今城塚古墳が継体天皇陵というのが通説となりつつあるわけさ。

その結果、太田茶臼山古墳は正規の?天皇陵で立入禁止!
宮内庁未公認?の今城塚古墳は事実上の天皇陵でありながら、敷地内を堂々と散策できるわけなんだね。

そうは言ってもこちらも立派。
じゃ、誰が葬られているの?という素朴な疑問も生じるけれど、どうやら諸説乱立状態らしい。

太田地区を走り抜けると、街道はいったん消失。
目の前の安威川を橋で渡り、名神高速の下を通った先に、左斜めに伸びる道があり、ここで旧街道復活となる。

まぁ、慣れてくるとね、感覚的に橋のむこうとこっちで繋がってることがわかるからね。
「耳原交番北」の信号に出たら正解だ。

ここからはまた1本道で、地図もいらないぐらい。
左手に耳原小学校を見てしばらくすると、府道110号と交わり、交差点になっている。
右に目をやると阪急バス「中河原」のバス停がある。

実はここがかつての中河原集落の中心で、交通の要衝だったんだね。
それを示す道標と案内板が建てられている。


さらにここ中河原集落は、戦国武将中川清秀の生誕地でもあったらしく、それを示す案内板も一緒に建てられている。

さて、予定ではここからもうひと踏ん張りして、大阪モノレールの「豊川」駅辺りをゴールに考えてたんだけどね。
お腹すいちゃった♪

左手に「アルプラザ」なんていうショッピングセンターがあるからね。
それに交通アクセスに困る場所でもない。
誘惑に負けました。

これでも結構頑張ったんだよ。
西国街道だけで15~16km?
その前に天王山のクロカンやってるからね。
この時期のトレーニングとしては充分だわ。

アルプラザで遅い食事とビール♪
その間に路線バスの時刻表なんかを調べてみると、さっきの中河原停留所より、府道110号を1区間分南下した、「中河原南口」の方が系統も増えて本数が多いことを発見!
ほろ酔い加減でトボトボと5分ほど歩けば、国道171号と交わる「中河原交差点」の東側、某電話会社郡ビルの前あたりに目指すバス停があった。

ここから阪急「茨木市」駅まで、バスは1時間に5~6本もあるからね。
次回ここに来るにも便利なのさ。

まだ十分に明るいけれど、帰って社宅でゆっくり過ごすとしましょうか。
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コスモタイガーのつぶやき(20)~在宅勤務

2020-04-25 | つぶやき

単身赴任の続くコスモタイガーであるが、4月上旬より名古屋の自宅にて過ごしている。
在宅勤務、最近の言葉で言うなら、テレワーク、である。

もちろん理由は言うまでもなく、コロナウィルスの影響である。

4月に入ってすぐ、突然「来週からテレワークです」と朝礼で通知され、てんてこ舞いの状態で机上や引き出しの整理を行った。
といっても、「とりあえず期間は1週間」と言われただけ。

冷静に考えれば、1週間で終息するとは思えず、ある程度長期間になることは想定しつつも、先の見えない不安感もあったりする。

テレワークなんて初めての体験。
そもそも自分の場合「在宅」とはどっちの家を指すのか?
大阪の社宅にて過ごさねばならないのか?
あるいは名古屋へ戻っていいのか?

期間がわかってるならいいが、長期にわたるなら名古屋に戻りたいのが本音。
上司や担当部署に相談した結果、名古屋へ戻って良い、とのこと。
そして今、ありがたく?名古屋にて過ごさせてもらっている。

名古屋での在宅となると、学校も休校しているし、預かり保育も様々な制約があるため、子供も家で過ごすことが多くなりそう。
さらに嫁は仕事だから、洗濯などの簡単な家事は必然的に自分がやることになるわけで、職場環境として?なところもあるけれど。

とはいえ、縁もゆかりもない大阪で、「不要不急の外出」も事実上できないなかで長期間一人で、というのもなんだか悲しい。
休日だって、旧街道runなんかやってるような情勢でもないし。
と思うと、やっぱり戻ったことは正解だったし、会社の判断がもう少し遅ければ、その「帰省する」という行為自体も何だか申し訳ない話になってたわけで、ありがたいことではある。

案の定というべきか、予想通りというべきか、その後会社から連絡があり、この文章書いている現時点で、5月6日までのテレワークが決まっている。
当たり前のことながら、旧街道runは凍結。

特に指示なければ、5月7日からは通常勤務になるわけで、そうなると大阪~尼崎間、JR快速でわずか1駅、乗車時間約5分ながら、間に淀川(県境)があって、毎日県をまたがって移動することになる(笑)。

関東ならさしづめ「浮間舟渡駅」あたりに住んでる人がさいたま市に通ってるようなもので、これも県境越えと言われれば確かにそうなんだけど(笑)。

とにもかくにもサラリーマンである以上、会社の指示に従うしかない。
また、県をまたがって云々~の話も、要するに不要不急かつ長距離移動は感染のリスクが高いからNGということであって、必要不可欠な生活圏内の移動や通勤までもが否定されたわけじゃない、と解釈している。

いずれにせよ、一日も早くコロナの終息と平凡な日常が戻ることを願うばかりである。
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コスモタイガー漂走記~旧西国街道編(2)~前編

2020-04-14 | 旧西国街道run!!/更新中

【2018年4月某日】

コスモタイガーにとって、単身赴任生活初のGWを迎えた。
といっても、某自動車メーカーのような長期休暇にはならないんだけどね。
カレンダー通りに働き、休むだけ。

前半の3連休は大阪社宅にて過ごすことに。
せっかくの休み、まだ片付いてない荷物の整理をして部屋の掃除やら布団干しやら…だけで終わるはずがない!

行楽日和!
行くしかないでしょ!西国街道!

ってことで、通勤で使ってる阪急京都線を敢えて避け、大阪駅まで歩き、JR東海道本線で前回ゴールした「山崎」駅に到着。

コンビニで菓子パンで軽く腹ごしらえし、まず徒歩で最初に向かったのは、前回気になりつつ素通りした、「大山崎町立歴史資料館」。
前回走ったコースを逆行すること約5分であっさり到着。
時計はちょうど正午を指している。

1時間ほどかけてゆっくり歴史のお勉強♪
戦国時代の舞台として有名なこの辺りも、縄文期の史跡もあったりして、古くから人が住んでいたんだね。

さぁ見学終了!
ここをスタートに、今日のトレーニング開始とする。

といっても腹案があってね。
何といってもここは「山崎の合戦」であまりにも有名な地。
その舞台となったのが、JR山崎駅背後にそびえる天王山!
ここを素通りするわけにはいかないさ。

クロカントレーニングにも最適な季節だし、西国街道は後回しにして、登りましょう!天王山!

JR山崎駅まで戻れば、ハイキングコースとしての案内板も設置され、コースも整備れている。

標高270mと、数字だけならたいした山じゃないんだけど、誰もが一度や二度は聞いたことがある天王山。
プロ野球のペナントレースで「中日vs巨人の天王山の一戦を迎えました」なんて時に今でも使うよね。
まさに雌雄を決するときに使われる「天王山」。

本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と、当時出世街道を驀進していた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が激闘を広げたのが、「山崎の合戦」であり、その主舞台となったのが天王山。
まさに勝った方が信長の後継者といっても過言ではなかった、文字通り「天下分け目」の合戦だったのだ。

山﨑駅前の道に沿って右奥に進む。
線路に沿う形ね。

100m少々も行けば踏切で、ここを渡るんだね。
この踏切は関西地区の人気撮り鉄スポットらしい。

コスモタイガーは撮り鉄は専門外なのさ!
そもそも鉄道だけが好きなわけじゃないから!

バスも船舶も飛行機も網羅してる、「時刻表オタク」だから!
ってことで、お先に行かせてもらいます。

この踏切を渡ってすぐ、ここからいよいよ登山口に入るわけさ。

すぐに2手に分岐する道は左手に。
右も魅力的な小道だけれど、アサヒビールの運営する「大山崎山荘美術館」に連れていかれてしまう。

一気に上り坂となり、息が上がりそう。

右手にカーブ、と思いきや、そこに山門がある。
「天王山宝積寺」。

ここは天王山的には代表的な見どころらしいから、トレーニング途中ながら、サクッと寄り道していこう。

寺自体の開山は724年、聖武天皇の勅命による、というけれど、何といってもまず、目に入るのが三重塔。
重要文化財に指定されており、豊臣秀吉が一夜にして建てたという逸話も残る。

広大な境内を奥へと進めば、閻魔堂。
日本最古の閻魔大王(重要文化財)が安置されている。
お参りはちゃんとしていこう。

さらに足を進める。
本堂も、静かな威厳を保っている。
さすがに古いだけに歴史があって興味が尽きないね~。
隣接の小槌宮という小ぶりな建物には、一寸法師で有名な「打ち出の小槌」の本物が残されているらしい。

とはいえ、そろそろ先に進まないとトレーニングにならないね。

本堂の脇に案内板もあるけれど、ここから天王山への本格的な登山道が伸びている。

さぁここからは本格的な登山道!
クロカントレーニングだ!
もうgoogleにも表示はない。
道標に従って走るのみ。

4月も終わりに近い今、結構暑いんだよ!
汗ダクダクだ。

そんな上りの途中にあるのが、十七烈士の墓。
山崎の合戦だけじゃなく、幕末の蛤御門の変(禁門の変)の舞台でもあるんだね。

1864年、長州藩の真木和泉守(まきいずみのかみ)を中心とした17名が、幕府軍を相手に激しい死闘となった。
結局は全員が自爆。

それにしても「まきいずみ」なんて聞くと、歴史ファンなら迷わず真木和泉守なんだろうけどさ。
長く陸上の世界にいる自分としては、真木和(まきいずみ:バルセロナ五輪10000m、アトランタ五輪女子マラソン代表)選手を連想するんだけどねぇ。

スピード感ある走りで、あの野口みずき選手が憧れて同じチームを選んだとも言われる名ランナーもすでに第一線を退かれている。
(※ご結婚され、お子様もいらっしゃる中、2018年10月、49歳の若さで亡くなられました。合掌)

話がそれてしまった。
さらに上り続ける。

山崎城跡。
応仁の乱以前からあったとされる山城で、山崎の合戦では、豊臣方がこの城を占拠したことにより、圧倒的優位になったんだね。

さあ、まだハイキングコースは上っている。
結構足にきている。
こういう時に加齢を感じるなぁ~。
中山道の鳥居峠・和田峠・碓氷峠を越えてきたこの足も、確実にここ数年、衰えを感じている。

フー!!やっと登り切った!
頂上だ。

さすがにGW。
家族連れも多い。
4歳ぐらいの女の子までいる。
頑張ったね~、お嬢ちゃん。

少し移動したところで展望も開けている。


さあ、トレーニングは続く。
今度は下り。

ここからは来た道を戻って山崎駅に戻るパターンと、山の反対側、長岡京市の西山天王山駅へ出るコースの2つがあるんだけどね。
西山天王山駅に出るのも楽しそうだけど、それじゃ西国街道は前回と重複してしまう。

とりあえず今寄り道で、メインは西国街道。
ここは冷静に!
山崎駅へ戻ることとする。

途中の旗立松展望台からの絶景にほっこり。(冒頭写真
戦の際、ここに松があって、それを利用して旗を立てたんだろうな、と素人でも何となく連想できる。

登りに比べたら足取りは軽いけど、相変わらずのクロカンコースが続く。


途中から案内板に従い、コース変更。
アサヒビール大山崎山荘美術館の前を通過し、無事JR山崎駅に到着!

せっかくだから駅に隣接の離宮八幡宮にも再度ご挨拶。
前回シャメしそびれたからね、記念にパチリ。

寄り道にしてはボリュームあったなぁ~!!
普通ならここで終わりにして電車で帰宅、だよね。

でもコスモタイガーのトレーニングは終わらない。
ってか、まだ肝心の西国街道走ってない(笑)。

さぁ、これから前回の続き、としましょうか。

※後編に続く
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★コスモタイガーの鉄旅★~ひのとり編

2020-03-27 | 旅行

【3月23日(月)】

コロナウィルスで騒がしい中での3連休(3/20~22)。
地域によっては「不要不急の外出は…」というニュースも流れる中、コスモタイガーの名古屋(自宅)~大阪(単身赴任中)の行ったり来たりの生活は続いている。

この3連休も、「大阪・兵庫間の不要不急の往来は控えてください」という状況の中、兵庫とは逆方向へ向かっての2週間ぶりの帰省。
それどころか23日日中にどうしても名古屋の自宅で外せない所用があるため、休暇を取って4連休にしたのさ。

そして夜。
大阪の社宅へ戻ることとなった。

そういえば…。
3/14に静かに(※試乗会等、様々なイベントが中止になったため)デビューしたものの、先週は帰省しなかったから未乗。

今日は月曜日!
よし、いいチャンス!
平日の20時発が「ひのとり」であることは当然知っている。
(これが土日祝だと「ひのとり」の名古屋発最終は19時。20時発は従来のアーバンライナーのままなのです♪)

名古屋駅までの地下鉄の中でスマホで予約♪
とりあえず今日は一般車。
プレミアムシート(JRでいうところのグリーン車)はまたの機会に。

もう完全にルーティンになってるけど、早めに名駅に到着後、地下街で弁当とビールを購入。
それにしてもついこの間までこの時間でも活気あった名古屋駅。
3月に入ったあたりから、明らかに人が減り、何となく寂しい感じ。

改札を済ませ、待つこと数分。
やってきました!赤く輝く「ひのとり」(冒頭写真
なめらかな流線形に、上品さを感じる。

同行の士が同じようスマホでパチパチやってるよ。
でも俺は撮り鉄は専門外なんだよな。
乗りたいんだ!!

はい、乗りましょう。
これが「ひのとり」一般車両です。


近鉄名古屋~大阪間の線路幅は、いわゆる標準軌(1435mm)で新幹線と一緒。
車両はやや小ぶりながら、5列の新幹線に対し、近鉄はアーバンライナーでもひのとりでも一般車両ですでに4列シート。
なのでゆったり感がありますね。

まだデビューして1週間余りですが、乗車率は半分ぐらいでしょうか。
いくら平日とはいえ、ちょっと少ない…。
コロナの影響は深刻ですね。

お腹すいてます。
座ります。


机も新幹線並みに大きいし、チケットホルダーも備えてあります。
こうしてホルダーにいれておけば、車内改札が来ても、あわててカバンやポケットをごそごそ…ということはないわけです。

ちなみにコンセント差込口もあるので、充電器があればスマホの充電もできますよ。
そして何よりうれしいのが、WiFi利用可能!
約2時間の道中。
動画を料金気にせず楽しむことができますね。

車内を少し探検しましょう。

コインロッカーと自販機。
交通系ICカードにも対応してます。

コロナウィルスで今はかなり減ってしまってますが、近鉄は外国人利用者が多いんです。
なぜかというと、関空とのアクセスが良いから。

関空で南海特急「ラピート」に乗れば約40分で難波駅ですからね。
そこから近鉄が名古屋や伊勢志摩・奈良方面へ特急を走らせています。
だからコインロッカーは意外と需要があるかもしれませんね。

「ラピート」→「近鉄特急」は、全席座席指定で絶対座れる上にJRより安いですし、乗換も難波での1回のみ。
よほど急ぎでもなければ、絶対こっちの方がオススメです。

旅慣れした(多分…)コスモタイガーからすると、「新幹線はとにかく急いでる時の手段!旅や移動を楽しむなら避ける」のが鉄則です。

salonコーナーも設置。

ちょっと開放的な気分で車窓を楽しみたいかたにはオススメですね。

さて、あまりウロウロしてるとマニアに思われます。
(その通りなのですが…(笑))
のども乾いてきましたし、ボチボチ落ち着いて食事にしましょう。

すでに外は真っ暗ですし、そもそも景色自体は何十回と見てるので、今更感があります。
動画を見ながらのビールと弁当で、座り心地を楽しみながら、大阪に向かっていきます。

これが「鉄旅」と言えるかどうか微妙ですが(笑)、コスモタイガーにって有意義な2時間であることは間違いありません。

明日から、大阪と兵庫(勤務先:尼崎市)を行き来する毎日が始まります。
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