イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その93☆一本歯の下駄で散策すれば…☆

2012-01-05 22:09:13 | 身辺雑記


                       


 イーダちゃんの知り合いにはどういうわけか、太極拳の師匠とかムエタイ・マスターとかがやたら多いんですよ。
 僕はどちらかというとクラッシックな良識人ですから、彼らコテコテの格闘技野郎どもとは一線を引いて付きあっているつもりだったんですけど、ま、そのような環境に生息してますと、フツーに話していても最先端の格闘技理論とか身体操作技法の情報なんかが自然と耳に入ってくる機会が多いわけ。
 そんな話題のなかでいちばん驚かされたのが、いわゆる「ナンバ歩き」に関してのものでした。
 「ナンバ歩き」ってご存知?
 これは、ひとことでいって、江戸から明治にかけての時代の過度期に、日本人の「身体の動かし方」が革命的に変化した、という考え方なんです。
 うーんと、わかりにくいか…。
 じゃあ、もうちょいとぶっちゃけて---あの、江戸期の人間ってどうやら現代人みたいに走ることができなかったようなんですよ、といきますか。
 すると、当然貴方は、はあ? といっていぶかしげに僕の顔を見ることでせう。
 走ることができなかった? まさかあ、うそだろうって疑惑のまなざしで。
 ところがこの「ナンバ歩き」の仮説、あながちでたらめでもないようなんです。
 実際、1877年の西南戦争のときには、政府軍の民兵が走れなくて、薩摩の兵に追っつかれていっぱい殺されてるんですね。
 有名な吉原炎上の絵のなかでも、ふいの火事にパニクった庶民は、みんな両手を高くあげて走ってる。
 なぜに高々と両手をあげるのか?
 これは、常日頃、ナンバ的な、いわゆる「ねじらない」身体の使い方をしていると、そのようにしないと走れない風に自然となっちゃうっていうんですよ。
 西南戦争のときには、庶民のそういった癖がモロに戦争結果に現れてしまった。
 で、泡喰った明治政府は、国の基礎教育にドイツ風の行進と体操とを早急に取り入れたって次第…。
 ちなににこの仮説を主張してるのは、舞踏研究科の武智鉄二氏、古武術家の甲野善紀氏、ライターの織田淳太郎氏等々---彼等は、日本の古武道や舞踏、剣術や能などに残されている動きと姿勢の研究から、当時のひとびとの生活所作の動作を演繹したのです。
 
◆足軽が槍を構えたまま戦場を疾走して、槍の穂先がぶれないでいれたのはなぜか?(現代風の走り方ではぶれてぶれて、槍で刺すどころではなくなってしまうというのに)

◆古武道で固く戒められている「居着き」の概念---「居着く」ときは斬られるときと、武道の世界では古来よりいわれているのです---ならば、「居着かない」動きとはどんな動きなのか?(現代風に力んで、それから筋収縮を行うというアクションでは、力んだ瞬間、必然的に「居着いて」しまうはずなのに)

◆江戸期の飛脚は、1日に50里(200キロ)の距離を軽々と走破したという。そんな破格の運動能力を可能にした究極の身体操作とは?

 これら3つの設問の答えが、ことごとくこの「ナンバ歩き」---過去の我々ニッポン人が用いていただろう古来の身体操作---に帰着するというのが、彼等の総括的な結論なんでありました。
(注:ちなみに、僕が「ナンバ」と出逢ったのは10年以上むかしのことで、いまじゃそーとーに市民権を得た概念になっちゃってるように思うのですが、もし「ナンバ」というモノにここではじめて出逢い、かつ興味を覚えたといった方がいらっしゃいましたら、武術家・甲野善紀氏のこちらの映像→ http://youtu.be/DC66NZj8pJ4 なんかがお薦めです)
 「ナンバ歩き」では、なるほど、いま風には走れないかもしれない、しかし、身体をねじらない、この古来の身体の操作法を用いれば、いままでできなかった身のこなしが簡単にできるようになったりするようなのです。
 予備動作とタメがまったく不要になるような、この革命的な「ナンバ歩き」---武道でこれマスターしたら、それこそ敵なしじゃん、こりゃあ、面白そうじゃないか、と興奮しましたね。
 実際、彼等のもとには、この「ナンバ」的な身体操作を教わりに弟子が多数集まり、そのなかには1流のスポーツ選手やオリンピックのメダリストなんかも結構いたりするんですから、これは、ちょっと見過ごすわけにはいきません。
 正確な「ナンバ歩き」といったものがどのようなものかよく把握はできないにせよ、現実的にここまでの目に見える効果をあげている以上、それによる有効性はどう見ても「有意」と判断すべきでせう。
 「ナンバ」の権威である甲野氏にいわせると、「ナンバ歩き」の本質とはひねらない歩きのこと。
 ひねらず、蹴らず、身体全体を倒すように前進していく歩き方---。
 これを学ぶには、むかし修験者たちが履いていた「天狗下駄」、いわゆる「一本歯の下駄」を履いて実際に鍛錬してみるのがよろしい。それが、もっとも手早く「ナンバ」式の身体動作を学ぶことのできる、アイテムのひとつなんだから---とくる。
 これは、やってみずばなりますまい…。(^o-☆v
 で、知人の太極拳使いの勧めに従って、浅草ひさご通りにある老舗「まつもと履物店」というお店にいって、会津桐製の一本歯の下駄を2足購入したのが---お値段は一足あたり4500円くらいだったように記憶してますね---あれは、うーん、何年前のことだっけなあ…?
 あいにくのこと記憶はあまり確かでないのですが、ま、このときより「イーダちゃんの一本歯の下駄散歩」の歴史がはじまったというわけなのであります。
 でもね---町中をこの高下駄でコツコツ歩くって、自分でやってみるとわかると思うんだけど---案外コレ、勇気がいるんです。
 一本歯の下駄ってケッコー高さがありまして---いま計測してみましたら、なんと15センチもありました!---身長175センチの僕がこれを履くと、単純にいっても身長190センチ越えの即席ジャイアントになるわけでして。
 これだけでもそーとー目立ちます。
 なのに、いささか不安定な、ねじらないゆらゆら歩きでせう? さらには下駄の歯と道路のアスファルトがあたってたてる、コツコツいう、聴き慣れぬ独自の固い音! で、「なんだなんだなんだ?」と音のほうを向くと、なにやら怪しい男が、わけのわからない天狗みたいな珍しい下駄を履いて歩いてくるわけでせう?
 これは…見ますって、どう考えても---。
 僕だって道のむこうからそんな輩がやってきたら、興味津津に観察しちゃうと思う。
 だもんで、そういった好奇のまなざしをなるたけ避けやすくするために、最初は朝方の散歩に的をしぼって、一本歯の下駄を使用することにしたのです。

 特に2010年夏からの失業時代には、よくこの下駄散歩を実施しました。
 最初はアスファルトの一般道を多く歩きましたが、そのうち近場の鶴見川沿いの歩道を歩くことが増えてきました。
 朝の6時すぎになると、9月ごろならもうじゅうぶん明るいんですけど、秋が深まるにつれ、この6時の空がどんどん暗くなっていくんですよね。夜明けがどんどん遅くなっていって、道ですれちがういつものランニング兄ちゃんの吐く息も白くなり、そのうち裸足のまま下駄を履くのが辛くなってくる。
 僕は、足袋を履いて、この寒気を凌ぐことにしました。
 走ったり回転したりするのは、そのうち自在にやれるようになりました。
 しかし、この一本場下駄っていうのは、斜め傾きに弱いってことに、だんだん気づきはじめました。
 アスファルトの道で普通の運動靴でいると、知らず知らず自分の胴体をひねって、身体の傾きを無意識に調整していたんですね。
 ところがこの一本歯の下駄で歩行していると、バランスを取りつつ、そのように身体をねじる操作が非常にやりにくくなるのです。
 わけても前後の傾斜じゃなく、左右の傾斜が圧倒的に立ちにくいの。
 むりが効かないというか、テンテンテンと無意識に傾斜下のほうに身体がすぐに流れていってしまう。

----嗚呼、「居着き」たくても「居着け」ない…。なーるほど、だから、これが「居着き」をなくすための稽古になるっていうわけか…。

 と気づいて、なんとなくにんまりしちゃったり---。
 あと、土の坂道がむずかしかったです。
 固いコンクリートだと階段だろうが坂だろうが一向に平気なんですが、これが、落ち葉がいっぱい落ちている土の道なんかだと話がぜんぜん変わってきちゃう。
 僕、土手を駆けのぼるとちゅう、雑草に下駄歯をとられて、何度も転げ落ちたりとかしましたもん。
 もう泥まみれになっちゃって、40半ばもすぎていったい何をやってるんだ! といわれそうですが、このときの修行は結構楽しかったですね。

 ただ、勇気をだして、下駄歩きの理由を聴いてくる好奇心旺盛な方も、たまにはいらっしゃいました。
 そーゆーの、中高年のおじさまタイプに多かったですね。
 最初は遠くから珍しそうに見てるんです。でも、それからすぐに決心して、すれちがいざまにこっちにこう笑いかけてくるわけ。

----やあ、こんにちは…。珍しいですね、その下駄は?

 ええ、こんにちは、と僕は彼が話しかけてくるのを今か今かと待ってましたから、用意していた答えは、まあいっぱいあるんですよ。

----これはね、古武道の稽古なんですよ…。

----へえ、古武道の?(トおじさんは好奇心に目を輝かせて)

----ええ、こうやって不安定な歩行に慣れて、身体の遊びを取っていくっていうんですか? それが目的の練習なんです。

----はあ。でも、見てると、なんか天狗みたいじゃないですか。びっくりしたな。いつもこのへんを歩いてるの?

----ええ、雨じゃなければ大抵は…。おじさんは毎日このへんを?

----ええ、僕はもうウォーキングは日課みたいなもんだから…(と会話はまだ弾むが、このへんでカット)…。

 てな感じで下駄をネタに顔見知りの輪が広がっていったり---練習の目的とはちがっていたけど、こういうのはこういうので楽しかったです。

 んが---そーでもないエピソードもちょいありました。
 それは夏---しかも、そのときは朝じゃない真昼に、川沿いの一般道を歩いていたんですよ。
 そしたらね、住宅地の庭で遊んでいた子供に、いきなり水鉄砲でぴゅっと水をかけられたの!
 これは、びっくりしました。
 腹は立たなかったけど、これは黙っていたらこの餓鬼共(人数はふたりでした。たぶん小学生)のためにならないと思い、怒ることにしました。

----コラ! なにするんだ。

----……。(シマッタという顔。でもすぐうつむいちゃう)

----おまえの親に話してやる。いきなりこんな無礼なことをしてきたってな。さあ、会わせろ。

----……。(ますます深くうつむいて)

----黙っててもダメだぞ。許さんぞ。

----…すみませんでした…。

----おろ。悪かったと思ってるのか?

----はい…。すみませんでした…。

 といってふたりしてしんみり頭を下げるので、ま、いっか、と思い、

----もうするなよ! 

 といってこの夏の日の寸劇は終ったわけなんですが、よく考えたら、彼等・子供たちが僕めがけて水鉄砲を撃ったという心理、実をいうと、僕にはやや共感できるものがあったんです。
 子供って「異界」に敏感な動物ですから---。
 あと、現実のプラマイ計算において、結構小狡いクレバーな部分ももっている---それが子供の両面---自分の属している世界の目上の大人には、まちがってもそんなことはやりません。
 ということはすなわち、そのときの子供らの目には、一本歯下駄姿の僕は、彼等の住む世界のいちばん外側の縁にいる、浮浪者とか不審者といったいわゆるアウトサイダー・ランクをさらに踏みこえた、ほとんど妖怪レベルの存在として映っていたのではないか、とイーダちゃん的には思えたの。
 彼等にしてみれば、道のむこうから、いきなし予想もしてなかった「異人」が、ふいうちみたいにポンと現れて、超・驚いちゃったー! というのが案外素朴な深層だったのではないでせうか。
 そのようなとき、理性より本能ですばやく対処しがちな子供としては、そりゃあ、水鉄砲ぐらい撃ちますよって理屈は、僕的には非常に分かりやすいんですけど。
 うわー、とびっくりして、のけぞって、その自分ののけぞり加減がおかしくて、つい笑う。
 そのとき、たまたま手にしていた水鉄砲の引き金を引いちゃったというのは、ほとんど、コレ、衝動です。
 しかも、どっちかというと、コレ、敵意寄りじゃなくって、親愛始発の衝動なんじゃないのかな。
 僕には、なんとなくそんな風に感じられました…。
 だから、あのとき、わりと簡単にあの子供らを許しちゃった、という部分も実はあるんですよね---。
 てゆーか、このときの彼等の心のメカニズムって、ある意味とても祝祭的だ、と貴方、お思いになりません?
 僕は祝祭的だと思うなあ。
 祝祭的という語感がいかついなら「お祭り的」といいかえてもいい。
 イーダちゃんはお祭り大好きニンゲンですから。 
 あのとき、僕と子供らのあいだに、実は、目に見えないお祭りの橋がかかっていたとしたら、どうでせう?
 子供らは、フツーのニンゲンには見えない橋のカーヴにあわせて、ぴーひゃらぴーひゃら水鉄砲を撃った。
 で、それが僕にシャーッてかかった。
 だとすると、これは案外ファンタジックな、一期一会の素敵なコミュニケーションではないですか。
 僕はね、このときの小事件をそんな路線で解釈したいんですよ---。(^.^;>

 なんの話をしてたのか、分からなくなってきちゃったな…。(笑)
 ま、ただの一本歯の下駄の話なんですけど---一本歯の下駄を侮っちゃいけません---一本歯の下駄はいいですよ。
 なにより武道の鍛錬になる。
 バランスボールと併用して用いれば、これは、それだけで身体の使い方のトレーニングになってくれる。
 身体の使い方が変わってくると、調子のいいときなんか、歩いてるだけでなんか背筋のラインが超・気持ちいい、みたいな快感をときどき味わえるんですよ。
 それに、身体が割れてきさえすれば、肩こりは減るわ、姿勢はよくなるわ、で---もういいことづくめ。
 作家の荻野アンナさんなんかも、これ履いて、いつも料理してるようなことを何かの著書に書いてられました。
 あと、美術的価値もケッコーあると思うよ。
 冒頭のフォト---これのバックは早朝の日産スタジアムなんですけど、ねっ、バックの大スタジアムに引けを取らない風格を、この下駄さんは宿してるとお感じになりません?
 というわけで現在、イーダちゃんは、この下駄を履いての歩行術にちょっとばかし凝っているのでありますよ。
 この記事に触発されて、浅草ひさご通りにさっそく買い物に出かける、お調子者の「下駄仲間」がひとりでも増えてくれればいいなあ、なんて虫のいいことをいま考えたりしてるんですけど…。(^.^)/


P.S 申し遅れましたが、明けましておめでとうございます。
    今年、2012年は、いいいよ波乱と勝負の「旬」の年となりそう。
    「影の世界政府」企画の世界大戦プロジェクトは、まさに今年が勃発予定だと聴いています。
    いまさっき、さっそく北朝鮮のクーデター情報なんかも耳に入ってきました。
    それについて、いま中国では大騒ぎになっているらしいね。
    これに関しては、米国指導のジャパニーズ・マスコミは、相変わらずの完黙を決めこんでおりますが。
    あと、第二オーム事件の予兆もチラリとでてきたね。
    うーん、どこまでマジネタなの? それともガセなの? どうなるのかなあ?
    いずれにしてもマスコミの撹乱情報に踊らされないよう気をつけて歩きませう。
    戦争で儲けてる勢力が衰退し、平和を愛するまともなひとびとが舵を取れる世の中に早くなりますように!
    今年もよろしくお願いします---。m(_ _)m

 

 




 
 


 
  
 


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2 コメント

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あけましておめでとうございます☆ (キャンディ)
2012-01-06 20:35:03
イーダちゃんとは、何年越しのお付き合いになるのでしょうか。昨年も本当に感謝です。
あの日、感じた違和感。でも周りの人にどう話したらいいかなんて思ってる時、イーダちゃんのブログを読んで確信を得ました。同じ思いを持っているというのが嬉しかったし、ホッとしたのです。
ほんとうのことを知って、有意義に人生送りたいし、本来の自分らしく生きたいなぁなんて思ったりしてます。
一本歯の下駄ですか・・・面白そうだな。慣れるまで少し難しそうですね。まずは体からですからね。
ブログをいつも楽しみにしています。今年もまたいろんなコト教えて下さいね。
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キャンディさんへ (イーダちゃん)
2012-01-08 23:59:24
ええ、キャンディさんとは nifty温泉のクチコミで、たしかきりづみ館での出逢い以来ですから、あれは2006年のことだったと思うので、徒然なるままに計算すると、もうじき6年目のお付き合いということになるのでは、と思います。
あ。四万と草津のカキコ見ましたよー
こちらこそ今年もよろしく、です。(^.^)
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