イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その104☆推理小説 Best 10☆

2012-05-07 01:30:25 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                          
                ----朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足、これ、なーんだ?(スフィンクスの問い)


 謎って素敵だな、と思うんですよ。
 謎は、単調で退屈モードな生活に、きりりとした色取りを添えてくれます。
 まあるく凪ぎすぎた日常のダレを、ちょっとだけ尖らせ、締めてくれる。
 いわば、スパイス---もしくは、燻製におけるチップのような存在ですか。
 かつてヨーロッパでは、この香辛料欲しさのために、国をあげての大艦隊まで繰りだしたものでした。
 この故事からも学べるように、人類にとって「謎」というのは、重大事であったのです。
 僕は過去形で語りましたが、現在でもそのへんの事情はいっしょでせう。
 うん、たぶん、時代はあんま関係ない。
 人間の心と「謎」とは、もともと共鳴しやすいようにできているんです。
 造化の神がそんな風に創造されたんですね---人間の心と「謎」とのあいだの空間にあらかじめ磁力を張って。
 もしかすると謎って、人間にとって小さな宝石のようなものかもしれない。
 僕等の生活のなかでは、ささやかな「謎」たちが小さな衛星のようにくるくると、たえず忙しく自転しています---たとえば以下のごとく。

 「彼女は僕のことをどう思ってるのだろうか?」
 「なぜ、この女は笑うとき目尻がきゅっとあがるの?」
 「あの二重帳簿のファイルを管理してるのは、本当に部長なのかな?」
 「彼にはまちがい電話だととっさにいったけど、実のところ彼は、浮気相手からの電話と勘づいていたのではないかしら?」

 僕等の日常を彩る、それら、ささやかな「謎」たちからは、秘密の香りがかすかに洩れでてきています。
 僕等は、ごく微量のそれを嗅ぎわける。
 その香りはちょっぴり淫媚で、エロティックです。
 でも、とーっても魅力的---ええ、佇まい的にね、どことなく秘密の宝石みたいな趣きがあるんです。
 誰だって、この香りを嗅いだら、この「謎」の内訳を知りたくなるに決まってます。
 というより、「謎」を見つけたらその結ぼれを解きたくなるのは、もはやニンゲンとしての本能なのかもしれません。
 本能には抗えませんからね---僕等は、僕等の正面にまわった「謎」をまっすぐに見つめなおします。
 そして、真剣極まりないまなざしで、彼女の衣装のほつれを探しはじめる…。

 ひょっとして、ねえ、僕等は「謎」そのものを愛しているのかもしれません---。
 
 僕は、ときどき、そんな風に感じます。
 すると、いまのニンゲンの文化に、「推理小説」というジャンルがあることの理由もするすると解けてくる。
 なーるほど、人間は謎好き、パズル好きの動物だったんだなって。
 人間の心だって煎じつめれば複雑に錯綜したパズルみたいなもの、ともいえるしね。
 そんなわけで、このブログで語るのは正直はじめてなんですけど、実は、イーダちゃんには、長~い推理小説マニアのキャリア歴があるんです。
 僕が、いわゆる推理小説の類いにハマったのは、小学校の5年生のとき。
 自分んちにたまたま世界文学全集みたいなのがあって、それのなかの「シャーロック・ホームズ短編集」みたいな編集本を読んで、その面白さにたちまち感化されたみたいな印象です。
 当時TVでやってたいかなる刑事モノより面白いと思った。
 なかでも「赤毛連盟」、それに「まだらの紐」あたりの面白さには、モロKOを喰らいましたっけ。
 これに味をしめて、学校の図書館のホームズものなんかもまあ読み漁りはじめたわけなんですけど。
 しばらくは狭義のにわかシャーロキアンみたいになっちゃって、ほかのモノはまったく受けつけなかったんですけど、ある日ちょっと浮気して、世界の推理小説シリーズっていうドイル本以外の作家にも手を伸ばしてみたら…。
 そしたら、それ、偶然ポーの小説集だったんですよ。
 推理小説の始祖にして発明者---アル中の名編集者にして著名な米人作家でもある、あのポー---日本の江戸川乱歩がその才能に感嘆、あやかりたさのあまり自身のペンネームにしたほどの才人、エドガー・アラン・ポーの。
 「黒猫」、そして、あの「黄金虫」…。
 一読して、震えあがりました。
 マジ、歯の根があわないほどびっくりしたんです。
 なんだ、これは? 想像もつかない人知の尖塔の最頂部で、まるでゲームのように嬉々として「謎」と遊び戯れる男が、そこにいたんですから。
 すわ、天才だ、こいつ。ええ、ドイルの昼の世界とはまったくちがうのよ---ドイルの世界もそれなりによくできてはいたんですけど、ホームズって基本祖国を愛しているし、貴族も敬うし、警察にもまあほどほど協力的、いわば根っこのとこがほんのり俗物なんですよ。
 しかし、このポーっていうのはちがう、そんなこの世の「理」も便宜的なものとして渋々認めてはいるけれど、根っこのところでは、どんな「理」もしょせん人間都合の架空の約束事でしかないじゃないか、と鼻先でふふんと嘲笑っているような、どこか虚無的な風情が行間のそこかしこに漂っていたんです。
 その投げやりな香気は、不謹慎ないいかたになりますが、とってもセクシーで貴族的でした。
 そして、それは、彼の好む「夜」のイメージと共鳴して、なんともこの世ならぬ、不可思議な思弁空間を構築しておりました。僕には、それが、人間の「知恵」をいちばん尖らしたかたちとして見えたんです。
 うん、正直に告白するなら、いまもそう見えてます---というわけで、イーダちゃんが選ぶ、推理小説ベストテンのナンバーワン作品は……


      ◆NO.1作品:「黄金虫」(エドガー・アラン・ポー)

 これ、短編なんですけど、ナンバーワン作品はこれに決まり! ゆらぎませんねえ。
 僕的にはこれ以外にはナンバーワンはもうないの、これ、世界最強の推理小説だと思います。
 なにしろポーは、推理小説というジャンルの発明者であり、始祖でもあるんですから。
 推理小説における3大トリック「密室トリック」「暗号トリック」「心理トリック」---これらのことごとくをたったひとりの頭脳で開発して、自身の作品として定着させちゃったおひとなんスから。
 この「黄金虫」は、その推理小説における「暗号トリック」ものの、記念すべき第一号です。(拍手;うわーい、ぱちぱちぱち!)
 しかも、この作品内で、ポーは、凡庸な語り部「ワトソン役」が、天才探偵ホームズの非凡な推理手腕を、脇から見つつ語るっていうスタイルを、もうここで完成させちゃっているんですね、驚くべきことに!
 いま現在の推理小説でも、ポーの創造したこのスタイルは、いろんな作家によって使われつづけています。
 というか、機知でびっくりさせるっていうこの種の手品には、どうしても読者目線の凡庸な道化が要り用なんですわ。
 天才探偵の機知の非凡さ、閃光のようなシャープさをより際立たせるために、ポーは影絵のような「わたし」という凡庸な引き立て役---能でいうところのシテとワキなら、ワキのほうですか?---を小説内にあえて置いたわけ。
 この意地悪だけど効果的な着想だけでも天才的なのに、ポーの場合は、小説の出来自体ももう天才。
 この作品のそこかしこから溢れでてくる、したたるように深い、この濃密な夜の気配はいったいなに? 
 この記事を書くためにひさびさ読みかえしたら、僕、またしてもこの作品に魅了されちゃいました。
 客観的に、あえて距離をおくことを意識して読みすすめているつもりだったのに、気がつくと、ポーの天才と圧倒的なポエジーに酔わされ、茫然自失のクラクラ状態にいつのまにか落ちこんじゃってるの---。
 だって、凄いんだもの、このひとってやっぱ。
 この小説の舞台はアメリカ、南カロライナ州のサリヴァンという孤島。
 ゆえあってそこに隠遁している人嫌いのレグランド---彼は、黒人の召使い「ジュピター」とふたりきりで、この島の東端に小屋う建てて住んでいるんですが、ある日、その小屋に「わたし」が訪ねていくんです。
 それが、物語のことはじめ---。
 で、その滞在の期間中、主人のレグランドと召使のジュピターが散歩のとちゅう、大きな黄金虫を見つけるんですね。
 レグランドがそれを捕まえるとき、たまたま近くの砂に埋まっていた、古い、羊皮紙を使ったら---
 それ、実は、炙りだしの技法で、ある暗号が書きこまれていた、特別な羊皮紙だったんです。
 聡明な主人・レグランドは、この島近辺に残された「海賊キッド」の伝説から、この羊皮紙が、かつての大海賊キッドが、この島に自身の財宝を隠したときの、所在の暗号書じゃないか、と見当をつけます。
 そうして、拾った「黄金虫」を弄ぶことを片時もやめない奇矯な主人・レグランドと黒人の召使ジュピター、それに傍観者であり物語の証人でもあるところのと「わたし」---この3人による三つ巴の---海賊のお宝探しの奇怪な旅がいよいよはじまるわけ---。

----よき眼鏡僧正の宿屋にて悪魔の座にて---41度13分---北東微北---本幹第7の枝東側---髑髏の左眼より射て---直接樹より弾を通して50フィート外方に---(「黄金虫」本文より)

 いま、こうして抜き書きしてるだけでゾクゾクと震えてきちゃいそう。
 超・クラッシックなこの種の物語設定と出だしとに、いま「引きかかってる」そこの貴方!---うん、そこの貴方のことよ---ああ、まだダメ---引かないで、引かないで!---一読しさえすれば、この「黄金虫」の凄さは絶対分かるから---。
 なにせ、このポーというのは、あの仏蘭西の退廃詩人ボードレールが「我が師匠」と呼び、あの元ビートルズのジョン・レノンがディランと共に「サージェェント・ペパー」のジャケットに乗せたほどの男です。たしか、Walrus の歌詞にも登場してきたんじゃなかったっけな? ドイルは心酔しきってるし、江戸川乱歩は名前ごと強奪しちゃうくらい憧れていたわけだし---要するに、ただの並作家であるはずがない。
 いわば、一種の怪物---?
 ええ、ポーの短編は別格仕立て、現代のいかなる小説より斬れてます---ジョイスよりバロウズよりパルガル・リョサより---それはもう保障付き。
 どうか騙されたと思って、この特別な天才のめまいがするような研ぎまくり作品を体感してくれればなあ、と思います…。


       ◆NO.2作品:「盗まれた手紙」(エドガー・アラン・ポー)

 ランキングNO.2の推理小説がまたしてもポーの作品となると、おいおい、ふざけるなよ、という批判の声も聴こえてきそうなんですが、やむを得ない、それだけの実力があるんだから、これは、どうしてもセレクトしないわけにはいかんですね。
 ポーの名短編「盗まれた手紙」---これは、推理小説というジャンルを離れた、世界名短編ベスト20なんて企画をどかこでやったと仮定したとしても、そのランキングの範疇に確実に喰いこめるだけの作品でせう。
 ひとことでいって、超・逸品---まるで奇跡のような神品なんです、こいつったら。
 たしかにナリは小柄な短編ですけどね、後世のいかなる本格推理小説の傑作長編群とならべてみても、目劣りしないどころか総合点においては凌駕するだけの深みをもっています。
 でも、ストーリーはしごく単純。
 フランスのD※※大臣が、王宮のある貴婦人の手紙を盗みとった。
 それは、その貴婦人が綴った、いわば秘密のラブレターで、表沙汰にはできない類いの手紙だった。
 D※※大臣には、恐喝者としての顔もある。
 そうはさせじと貴婦人側は、警察力をフルに稼働し、ありとあらゆる手段でD※※の身辺を徹底的に調査したが(強盗を雇って独り身のときに襲わせるような真似までした)、問題の手紙は一向に出てこない。
 大臣の部屋の壁紙をすべて剥がし、床板もすべて剥がして探索したが、成果はさっぱりあがらない。
 責めあぐねて疲労困憊した警視総監は、著名な素人探偵デュパンのアパルトメントを訪ねることにした……。

 ----といった塩梅ですかね。
 のちにドイルはこのシチエーションをそのまま使って、シャーロック・ホームズ・シリーズの「ボヘミアの醜聞」を書きあげています。
 ストーリーも状況設定も、「ボヘミアの醜聞」はモロ「盗まれた手紙」をコピーしているんです。
 ええ、ドイルは、非常に先人のポーのことを尊敬していたそうです。
 もっとも、作品としての出来は、圧倒的に「手紙」が「醜聞」を凌駕してますけど。
 ネタバレするからからくりは明かせないけど、これ、名品中の名品だと思いますね。
 ひょっとしたら先に挙げた「黄金虫」より、こっちのほうが純粋推理小説としては格上かもね。
 どうしたらこれだけシャープな小説を削りだせるのか、作者の頭のなかを解剖調査したくなるほどの出来ですわ。
 推理小説において、最初の「心理トリック」が駆使されたのは、ポーのこの小説内においてなんです。
 イエス---推理小説という形式は、ポーが発明したんですよ。
 たったひとりの独力で…。(汗)
 ここまで斬れまくっていたら、それは、作家というよりはマジシャンですよね、もはや。
 アンビリーボー!---これを読んで、その人間離れした機知の七色サーカスを、どうぞたんと味わってみてください。
 推理好きなら、まんず後悔するようなこたぁねえ---と思います。


        ◆NO.3作品:「そして誰もいなくなった」(アガサ・クリスティー)

 NO.3作品の選考は、けっこう迷いました。
 3つめあたりからは、そろそろ本格物をセレクトしてみたいなあ、と思って、クイーンの「Yの悲劇」だとか、ベントリーの「トレント最後の事件」だとか、あるいはチェスタトンの「ブラウン神父」もの、「赤毛のレドメイン家」なんかのクラッシック作品にもいろいろと触手を伸ばしてみたんです。
 なかでもエラリー・クイーンのあの有名な「Yの悲劇」なんかは、現代の推理小説でもナンバーワンに選出される実力派小説であり、僕的にいっても人知の極までいっちゃってると思うんですけど。
 錯綜した重層トリックの、なんて見事な手際!
 それに、小説全体に垂れこめた、異常な一家の屋敷内怪奇ムードがよく書けていることったら。
 人物設定も、小説としての構造も、ストーリー展開も、なんというか、ほぼ完璧---。
 まして、あの完全犯罪のわずかなほころびになる、マンドリンという奇怪な凶器の使用理由ときたら絶句モノ……(汗)
 もの凄い作品です。最初は僕も「Y」にしようかと思ったの。
 でも、正直にいわせてもらうと、イーダちゃんは、クイーンのこのシリーズ物で主役に設定されてる、元シェークスピア役者のドルリー・レインっていうのが、どうしても好きになれないんですよ。
 なんか、アメリカの作家が英文学を衒うときによくある「やりすぎ」というか---偽イングランド旅情篇みたいな過剰さが、読み進めるごとに鼻についてきて、どうも素直に小説世界に入りこめないんですよね。
 うん、僕的な視点からすると、なんとなく全体が「あざとく」見えちゃうんですよ、「Yの悲劇」って作品は---。
 というわけで、もそっと素直に楽しめる作品がないかと思って探してみたら、やっぱ、逢着しちゃいました、失踪の才女・アガサ女史の作品世界へ。
 クリスティー作品は、本格派からはあんま評判よくないんですよね---いわく「軽すぎる」とか「トリックがあんまり現実離れしている」とかの理由で。
 僕も正直いって、「アクロイド殺し」と「オリエント急行」はあんま推奨できない。
 でもね、クリスティーの傑作「そして誰もいなくなった」だけは別格じゃないかなあ?
 この作品のトリックの切れ味は、ちょっとスペシャル・ランクです。
 あまりにも水際立ったトリックと奇抜な物語設定とに騙された僕等一般読者は、この作品の読了後、

----うわー、そーかあ、やられたあ…!

 と思わず天を仰ぐことになる。
 でもね、クリスティーのこの作品の場合、そうやって見上げた読後の青空が、なんというかとっても爽やかなんですよ…。
 スポーティーでいて、スコーンと抜けた、超・気持ちいい、こんな快活指数90パーセントの青空の下に読後連れていってくれるのは、推理小説界広しといえどもクリスティーのこの作品だけでせう。
 ストーリーは、これもしごく単純---。
 イギリス、デヴォン州の沖にあるインディアン島に、見知らぬ男女10人がオーエンという男からの招待状で集められるんです。だけど、招待主のオーエン氏は姿を見せない。おかしいな、と訝る最初の晩餐の席で、突然、10人の過去の犯罪を暴く声が聴こえ、それとともにマザーグースの不気味わるい童謡が流れだすんです。

----10人のインディアンの子供、ご飯を食べにいく
  ひとりがのどをつまらせて、9人になった

  9人のインディアンの子供、とても夜更かし
  ひとりがぐうぐう寝すごして、8人になった……

 そうして、ひとり、またひとり、このマザーグース童謡とおンなじ状況で見えない犯人に殺されていくんです。
 疑心暗鬼に駆られてパニクる人々---その心理的葛藤とそれぞれのサバイバル---。
 これ、いわゆる「童謡殺人」モノの最高峰でせうね。
 「童謡殺人」というジャンルにおいて、この作品を超える作品は、今後も恐らく出ないでせう。
 「童謡殺人」の元祖は、恐らくクリスティーの先輩のヴァン・ダインの「グリーン家」や「僧正殺人事件」なんかのほうなんでせうが、語り口の見事さと、スピーディーで素直なキビキビ展開において、後輩のクリスティーのほうが、はるかに先達のヴァン・ダインを凌駕しちゃってるように僕なんかは感じます。
 この作品以降、「童謡殺人」のジャンルは、完全に推理小説界に定着したといってもいいでせう。
 我が国の横溝正史の「獄門島」や「悪魔の手毬唄」なんて有名どころも、皆、この系譜です。
 

                      


       ◆NO.4作品:「点と線」(松本清張)

 えー、NO.4が「点と線」!?
 という嘆声がいまにも聴こえてきそうなんですが、いやいや、我らが松本清張センセを舐めちゃあいけません。
 僕は、日本に推理小説というジャンルを定着させたのは、この清張さんが最初だったと思っているんです。
 そりゃあ、清張センセ以前の時代にも、江戸川乱歩の二十面相とか、横溝正史の怪奇ものとか、あるいは坂口安吾の「不連続殺人事件」とか、多くの探偵小説的な試みはありました。
 しかし、それらはどう見ても、外国産の探偵小説の模倣というか、舶来趣味の枠から出るものではなかったような気もします。
 安吾なんて、探偵小説は完全に遊びとして割りきってましたもん。
 当時の探偵小説というのは、いわゆる舶来物の高級煙草みたいなイメージが、どうもあったようなんですよ。 
 要するに、まだ日本の風土と緊密に結びついていなかった、そして、その生活感のなさ、根のない花、中空にうかんだ花だけの花のような、一種ピカピカな「あでやかさ」こそが、多くのモダンボーイたちの心を惹きつけていた正体だったんじゃないか、と僕なんかは思ってるんですね。
 つまるところ、当時の探偵小説というのは、知識人ボーイズのあいだで、一種の秘密基地みたいな、小ユートピアの役を果たしていたのにちがいないんです。
 うむ、僕はそう睨むな…。
 ところが、この浮世離れしたところが元来の魅了であった舶来物のパズルゲームに、遊戯性のてんで欠落した、超マジなリアリズムのドラマを乗っけてくる野暮天男が現れたの。
 それが、かの清張センセだったんですよ、僕的にいわせてもらうなら---。
 清張センセの出現以降、探偵小説は推理小説と呼称されるようになり、その内容も以前とはだいぶ変わったものになっていったんです。
 御大ポーが、現実のドロドロ社会からていねいに抽出した純粋な「論理の王国」に、またしても「ニンゲンの情念」やら「嫁姑論争」を持ちこんだのが、いわゆる清張氏のお仕事だったのです。
 まあ、本格推理小説の視点から彼の立ち位置を規定するなら、「足で調べる」クロフツ---代表作「樽」や「クロイドン発12時30分」で有名---の路線の推理作家ということになるんでせうけど。
 要するに、ひとことでいっちゃうと、清張センセの世界は、重いんです---重くて、うっとうしい。
 出てくるひと出てくるひと、すべからく悪人ばっかだし、野心家揃いだから、裏切り、汚職は日常茶飯なんですね。
 もー 完璧「性悪説」の世界。 
 とても、日常からの優雅な離脱だなんて気取っていられない。
 しかし、この清張氏の作品は、売れたんです。高度経済成長途上のニッポンで、超・バカスカ売れまくった---84年ごろには古本屋が清張作品を買ってくれませんでしたもん!---それくらい、日本国民の誰もが清張本を所有し、よく読んでいたのです。
 その彼の代表作というと、なんでせうね?
 「ゼロの焦点」、あるいは「砂の器」、さらには穴狙いで「わるいやつら」とか…。
 貴方はなにを選びたいですか?
 僕? 僕はねえ、圧倒的に初期の傑作「点と線」---これ以外にないですね。
 ここに出てくる東京駅での証人目撃のトリックときたら!---もう、天才的な冴えというしかないですよ。
 これ、推理小説史上に残る、素晴らしいトリックだと思います。
 これの読後、僕、時刻表を買いに近所の本屋に走りましたもん。
 あと、僕はね、この作品ではじめて官僚というモノに触れたの。
 それまでは、その存在すら知らなかった。(イーダちゃんは、中一のとき、この作品を読みました)
 その面白さに歓喜して、ほかの清張作品もあれこれ読み漁ったんですけど、「ゼロの焦点」も「砂の器」も僕的にはどうもダメでしたねえ。
 「点と線」クラスの感動は、ほかの作品からは、結局いちども得ることができませんでした。
 ええ、「ゼロの焦点」は情事臭が濃すぎるし、「砂の器」は、犯人幼少時の放浪の書き方が不十分なのでは、という印象がいまだに強く残ってますね。
 自分的には、それだけ「点と線」という作品が、バランス感覚に優れていたせいじゃないか、と思っています。
 その秀いでた光が、逆にほかの作品のアラの部分を照らして、結果、よく見えないようにしちゃってるのかなって。
 うん、この「点と線]はそれくらい非凡なんですわ---アンチ天才主義で貫かれた、リアリズム重視の推理ドラマであり、作者の筆も日常のラインを踏みこえて抽象的な推理世界に踏み入るようなことはいちどもないのですが、物語全体の外貌は、まれに見るほどの完成度に達しているのです。
 天才探偵も超絶推理もまったく物語表面には出てこないけど、作品自体の総完成度が天才的なんだ、とでもいっておきませうか。
 むろん必読---こちら、イーダちゃんお薦め図書のひとつでありまする。


         ◆NO.5作品:「カイジ・人喰いパチンコ」(福本伸行)

 あのー NO.5の作品、本格の「トレント最後の事件」にしようか、ドラマ・刑事コロンボの「二枚のドガの絵」にしようか、それとも、この福本氏の国民的漫画「カイジ」にしようか、と、さんざん迷ったのですが、迷ったすえ、こっちの「カイジ」のほうに軍配をあげることにいたしました。
 知らないひとのとめに申しそえておくと、この「カイジ」っていうのは漫画なんですね。
 青年向けの、いわゆる賭博漫画。
 大衆向けの定食屋にいくと、よくTVの下の雑誌ラックあたりに、成人向けの麻雀漫画雑誌とかが置かれていることが多いじゃないですか。
 漫画最前線の少年漫画とくらべると、絵も物語も洗練されていず、大抵の場合は下手糞なマイナー路線のB級漫画なんですが、そのような路線の雑誌を好む読者の層も、これは確実にいるのです。
 で、そちらの土壌で長いこと仕事してられたこの福本先生が、はじめて麻雀専門誌以外の一般青年誌に連載しはじめた漫画が、この「カイジ」だったのです。
 これ、編集の英断だったと思います---つくづくね---反対意見もそーとーあったことでせう。
 しかし、結果は大正解。大当たりでした。
 ギャンブルが心底嫌いな男なんてまずいませんからね。
 まして、この「カイジ」は、エンターテイナメントとしても非常に優れていました。
 まず物語の根底になるのは、いつの場合も、この漫画の主人公カイジの、絶望的な借金なんです。
 ええ、この物語は、必ず借金からはじまるのです。
 返すあてのない絶望的な借金---それによる困窮と無為の日々---そんなカイジのもとに、ある日、闇金の業者からの仲介で、一晩エスポワールという名のギャンブル船に乗ってみないか、という提案がとどけられるんです。
 うまくすれば、お前の借金は、一晩でチャラになる。
 ただし、もしその船上ギャンブルで負けたなら、処遇がどうなるかは分からない。
 その場合、人間としての権利もすべて剥奪された、奴隷的環境に何年も閉じこめられる、ということだけまあ明かしておこうか。
 さて、カイジ君、そこでだが、君はどうするかね…?

 薄っ気味わるい提案ですよね?
 でも、カイジはこの提案を受け入れ、明日の生命すら確実じゃない、誰も聴いたことのない、ギャンブルの大海にひとり漕ぎだしていくのです…。 

 で、その「カイジ」ものはいくつかのシリーズになっていて、「限定ジャンケン」編だとか「地獄チンチロ」編とか、カイジが体験したギャンブルによって多くの部門に分けられているんですけど、ここで僕が推薦したく思っているのは、裏カジノの「人喰いパチンコ」編という部門なんですわ。
 えー、ギャンブルの負けから夥しい借金をこさえたカイジは、闇金の大手企業、帝愛グループが闇経営するところの地下の強制労働施設で日々働かされているんです。
 カイジの借金は960万---この金額の借金だと、地下施設での労働期間はざっと15年になるわけ。
 陽の光の届かない暗い地下現場での、15年の絶望的な奴隷生活…。
 ただ、この地下労働施設のギャンブル・チンチロで勝った金で、カイジは特別に地上に20日だけ戻れる、いわゆる外出権をたまたま買うことができたんですよね。
 地上にいれるその期間中に、地下で勝った資金を元手になんらかのギャンブルで大勝すれば、地下で稼ぐぶんの借金分の金をすべて支払って、地下の労働奴隷という境遇からひょっとしてオサラバできるかもしれない---というのがカイジの夢であり、目論見です。
 そして、地上の、勝算の見えそうな裏カジノをあちこち下見したカイジが、これはいけるかもしれないと考えたのが、とある裏カジノで見つけた、一発4000円の裏パチンコ台の帝王「人喰い沼」だったんですよ。
 この「人喰い沼」ってのはね、一発台なんです。
 めったに当たらないけど、当たったならば、出玉はまず7億は下らないという特殊台!(うわー、凄い話だなー)
 これを攻略しようとして、このカイジが使う手段がちょっと凄いんです。
 カジノの上の階の喚起口から電磁石を垂らして、釘調整のゲージ棒を吊りあげ、ゲージ棒の頭を実際より大きいものにすりかえてみたり、仲間の板崎という親父と芝居を打って、玉のブロックを行う遠隔操作の羽根の部分を打ち壊し---もっとも、この時点でカイジらは闇カジノの人間に手痛いリンチを喰らうのですが---その羽根部分を自分たちの用意したものにすりかえてみたり…。
 ま、これらは、僕等でも結構思いつけそうな小技系なんですが、僕がいちばんびっくりしたのは、この難攻不落の「人喰い沼」を攻略するために、カイジが取ったある裏技だったのです。
 それは、パチンコ台の傾斜の角度を変えるために、カジノのあるビル全体を傾けてしまう、という戦略でした。
 これには、マジ、驚かされました。 
 また、それをするにあたっては、そのビルがもともと地盤沈下の激しい土地柄に建てられたビルであって、いま現在修復工事が行われているんだ、とかいう伏線情報に助けられた面もそうとうあるんですが、実際にビルを傾けるためにカイジが取った手段というのは---物語読みのための障害となりそうなので、その手口をここで公開することはちょっとできかねるのですが---これは、冴えてるーっ、たしかに天才的だと呻らざるを得ないものがありました…。 
 うん、いま思いかえしても、これは、秀逸、頭抜けたアイデアだと思いますね。
 なんのこっちゃ分からんよ、とおっしゃる方が大半なんでせうが、この「カイジ」のパチンコ編は、ホント、いいですよ。よく書けてる。
 一般的にいう推理小説のイメージとはかけはなれているかもしれないけど、ある目的の実現のために奇想天外の奇手を凝らす、というその精神の中核において、この「カイジ・人喰いパチンコ編」というのは、過去から連綿と受け継がれてきている、推理小説の正当な伝統を紡いでいるものと考え、あえてここに選出させてもらった次第です---。

 前編はこれにてfinね。 でも、後編を書くかどうかはまだ未定であります---(^.^;>


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