イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その3☆邦画「櫻の園」(1991)について☆

2010-10-09 13:20:01 | ☆映画レヴューだ、ぱるるんぱ☆
櫻の花の恩寵みたいな一本 (T.T;>



 この映画、櫻華学園の敷地の外を一切映してないんですよ。
 それはもう見事なくらい徹底してる。唯一映る校外の風景は、冒頭近く、主人公の清水部長が発声で屋上にあがったとき、わずかに屋上の柵のあいだから校外の家々がちょこっと見えるだけ。しかも、それ、櫻の花びら越しの遠景ショットですからね。なんかおぼろで、かえって夢じみて見えるんですよ。
 全体のカメラ目線が、完全に櫻華学園演劇部の視点から練られて、撮られているんです。最初から最後まで。だもんで映画中盤あたりまでくると、自分が櫻華学園演劇部の一員である、みたいな妙な自覚がいつのまにか生まれてきちゃって---(笑)
 ふっと気がついたら「櫻華学園演劇部」という一種ユートピアみたいな小宇宙に腰をすえて、若い少女たちと一緒に一喜一憂しはじめてる自分を見つけてなんかびっくりする、といった風な仕掛けになってる。
 うーむ、伝統の「櫻の園」は、はたして上演できるのでせうか?
 この映画のテーマはね、みーんな、遠くの校外からやってくるんです。杉山事件にしても他学校所属の杉山の友達たちにしても。「櫻の園」上演を渋る職員会議にしても、その動きはやっぱり外からの黒船的な到来の仕方でやってくるワケでして、ヒロインの少女たちは、まあ、いってみれば非常に受動的な存在なんです。
 ところが、この位相が最期の最後に切り替わるんですよ。
 紆余曲折の末、「櫻の園」がようやく上演できる運びとなって、いよいよ舞台の幕も上がったとき、演劇部の少女たちが今度ははじめて自分から、お客でいっぱいの舞台のなかに歩みだしていくのですが……
 そのときの少女たちの顔がみんな凛凛しいったらないの!(T0T;>
 吉良邸討ち入りの際の赤穂浪士の顔はこうだったんじゃないか、と思うほどみんな無心で、美しい、実にいい顔をしてるんですよ。
 蝋燭台をもった清水部長がきりっとなって、
「いきます!」
 それに答えて普段は生意気そうなマキちゃんが謙虚に、「はいっ」---。
 で、白色の音のない舞台に出ていく清水部長とマキちゃん、それから舞台の裾からその様子を見守る演劇部のみんなの真剣な面持ちを、カメラは淡々と静かに映し出していくんです。
 ああ、もう、涙でちゃいますねー (T.T)
 好きってコトバを超えるくらいこのシーンが好きですよ。
 で、それらすべてを見守るように、櫻の花びらが淡い春空をはらはらと舞い散っていて……

      久方の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ(紀友則)

「櫻の園」、これ、神品だと思います。
 中原俊監督、一世一代の、会心の一本!(^.^)/


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