イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その70☆ What is 伊勢神宮?(中)☆

2011-06-28 19:30:23 | 日猶同祖論入門、なんちって☆彡
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 ナマスカール、前回は伊勢神宮と秦氏の関わりについて、超・ザッパに駆け足語りしてみたイーダちゃんです。
 前回の続編たる今回のページ、本来ならもっと早めにあげたかったのですが、先月やった愛車の自損事故の処理と、ようやく3か月目に入った新仕事の疲労から体調を崩し、ややダウン状態に陥っていたため、上梓、遅れました---許されたし。(^.^;>
 さて---今回このページで僕が語りたく思っているのは、神道の象徴としての伊勢神宮と古代ユダヤとの血縁的な近似値について、なんですわ。
 まあ、こーゆーのはいくら抽象的に述べてても埒があかないんで、なるたけ具体的にいきませうね。
 題して、

1.古代ユダヤと日本の神社はこーんなに似てる!?

 論より証拠---下記2点の写真をご覧あれ。
 左下が、前ページでも解説した古代ユダヤの神サマを祀った「幕屋」、右下が、伊勢神宮の内宮を横手から見たところ---正面から内宮内部をフォトすることはあいにく禁じられているので、やむなく左脇・古殿地よりの撮影UPとなりましたが。

         

 あの---で、どうでせう?
 主観を押しつける気はないのですが、この両者、ちょっち似てません?
 部分部分というより、両者を成り立たせている、全体的な思想というか骨法が---僕的には、とても似ているように感られます。 
 右上の伊勢神宮の「内宮(ないくう)」の内部は、前述したように撮影を禁じられてはいるのですが、正面の皇大神宮南御門の白い垂れ幕ごしに、その内部を窺うことは可能です。当日に風が強かったりすると、垂れ幕が吹きあげられ、思いのほか内宮内部の情景が観察できたりもする。そうして、観察できた内宮の内部は、日本のほかの多くの神社と同様、敷地の内部に粒のそろった白い石が、整然と、美しく敷きつめられていました。(ちなみに、こちらの宮居に敷くお白石は、「お白石持ち」という行事で、領民によって奉献されたものだそうです) 
 写真によってその雰囲気を直接お伝えできないのが残念ですが、非常に清潔で神々しい「気」が満ちているのが全身で感じられるんです。
 厳かで、凛としてる、この空間のなかに居を占めていられるのは、一種非日常の歓びです。
 皮膚感覚的に、もう無条件に気持ちいいの---心が自然に凪いで、胸中も自然と涼やかになってきて…。
 こちらを訪れるたびに僕は、ああ、もっとこの空間のなかにいたい、といつも長居しちゃうんですよね。
 でも、それも無理ないかも---霊感のある知人にいわせると、伊勢神宮はパワースポットとしてはほとんど別格の場所だっていうんですよ。この清涼とした気配は特別、きれいすぎて真っ白に見えすぎて、なにがおはすかはよく分からないけど、有難い場所であることはまちがいないよ、なんて風にいってましたっけね。
 あと、左手の古代ユダヤの「幕屋」ね---このなかには、なんと参拝するひとが神をまえに身を清めるための洗盤があったというんです。
 さらには、これ、伝説の古代ユダヤのソロモン神殿のなかにもあったっていうんですよ。参拝するひとは、必ずこの洗盤にためてある水で、両手と口内を清めたんですって。
 なぬ、これってどっかで聴いたような話じゃないですか?
 日本の神社にはどこにいってもこの類いの「手水舎(てみずや)」があるから、そう聴いても、僕等はあまりびっくりもしませんが、神殿のなかにこんな施設があるのは、実は、日本と古代ユダヤだけなのです。
 そして、この移動神殿たる「幕屋」のなかに、ユダヤ民族の伝統である、あの三種の神器が祀られていた、と「旧約聖書」は記しておるのです。
 三種の神器?---ええ、古代ユダヤは、民族の宝として、自分たちの三種の神器をずっと保持しつづけていたのです
 その内容物としては、ヤハウェから預かったというモーセの「十戒石板」がまずひとつ---
 モーセの兄アロンが保持していたという「アロンの杖」が、もうひとつ---
 あと、エジプト脱出の際、飢えた砂漠のユダヤの民の頭上に神が降らせたという奇跡の食物マナ、それを収めたという「マナの壺」が、みっつめであって…。
 これら、三種の神器は、ヤハウェの指示によってつくられた「契約の箱」に収められていたのです。ハリウッド映画の「インディー・ジョーンズ」モノで一時騒がれたりもした、いわゆる「失われたアーク」というのは、コレのことなんです。
 参考までに「聖書」から、ヤハウェが「契約のアーク」作成の指示をだしてきたときの直々の内容を、ここに抜き書きしておきませう。

2.契約のアークと神輿の類似について

----アカシア材で箱を作りなさい。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマ、高さ一・五アンマ。純金で内側も外側も覆い、周囲に金の飾り縁を作る。四つの金環を鋳造し、それを箱の四隅の脚に、すなわち箱の両側に二つずつ付ける。箱を担ぐために、アカシア材で棒を作り、それを金で覆い、箱の両側に付けた環に通す。この箱に、わたしが与える掟の板を納めなさい。
 次に、贖いの座を純金で作りなさい。寸法は、楯二・五アンマ、横一・五アンマとする。打ち出し作りで一対のケルビムを作り、贖いの座の両端、すなわち、一つを一方の端に、もう一つをほかの端に付けなさい。一対のケルビムを贖いの座の一部としてその両端に作る。一対のケルビム顔を贖いの座に向けて向い合い、翼を広げてそれを覆う。この贖いの座を箱の上に置いて蓋とし、その箱にわたしが与える掟の板を収める。わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。(「出エジプト記」第25章10~22節より)

 細けえ! なんて細密で几帳面な指示でせう、ヤハウェ氏はたぶんA型ですね---。
 まるで親方が自分のとこの職人に、工事の具体的工程を指示してるみたいな内容じゃないですか。
 これだけ細かいマニュアルがあれば、現代の僕等でも「契約のアーク」のレプリカを作るくらいのことはやれそうです。
 そして、実際に、この聖書の記述通りに「アーク」の作成を試みた方は、やはりおられました---下の写真はその成果です。

                               

 如何です? へえ、とお思いになりません? 
 下に箱担ぎのための棒が二本あって、箱の頂きには羽根を広げた対のケルビムがあって……。
 勘のいい方なら、たぶん、このあたりでこう閃くんじゃないのかな?

----なんだ、コレ、日本の…神輿に、ちょい似てるんじゃない…?

 然り。「契約のアーク」というモノは、かようなまでに日本の神輿によく似ているのです。

 ま、参考までに、日本の標準的な神輿の写真もここにUPしておきませう。

            


 ちなみに上写真は、京都・八坂神社の神輿です---ねっ、どっからどう見ても似てるでしょ---?
 まず、金無垢であること、箱の下部に二本の担ぎ棒が据え付けられていること、そうして、箱の頂きに鳥の羽根細工!---日本の場合は「鳳凰」、ユダヤの場合は「ケルビム」であるという差異はありますが---おのおのの頂きにそれぞれ鳥の羽根の細工を弄してるというこの事実…。
 ここでひとつ、さらなる状況証拠的なエピソードをつけ加えるなら、ユダヤの「契約のアーク」も皆で担いで、騒ぎまくるためのものだったのですよ---日本の祭りとおんなじように。
 疑いをお持ちの方のために、おなじ旧約聖書から、その証拠部分を抜き書きしておきませう。

----イスラエルの人々はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛とラッパを吹き、シンバルを鳴らし、琴と竪琴を奏でて、主の契約の箱を運びあげた。(「歴代記・上」第15章28節)

 なんと、これは完璧、ジャパニーズ神輿のまんまじゃありませんか!
 いや、実際には古代ユダヤのアークのほうが歴史的にはるかに古いから、ジャパニーズ神輿のほうが契約のアークに酷似している、というべきでせうか。
 いずれにしても、これは、並の類似じゃありませんや。
 世界広しといえども、大勢で騒ぎながら神サマの箱を担いでねり歩くのは、古代ユダヤと日本だけなのです!
 かつて、来日して京都の祇園祭りをはじめて間近で見た、かのエドモンド・ロスチャイルド(ヨーロッパの支配者ロスチャイルドは、スファラディ・ユダヤです。これについては、マイ・ブログ、徒然その55☆イエス・キリストとは誰だったのか?☆を参照あれ)は、群衆のあいだから神輿が現れるのを眼ににしたとたん、傍目からも分かるほど仰天し、絶句したそうです。
 でも、知識のあるユダヤ系だったら、当然そうなるだろうと思いますよ…。
 てゆうか、そうならなきゃ、むしろおかしい---だって、両者の類似は、はっきりいって、とても「似ている」なんてレベルじゃ表しきれませんもん。
 「ワッショイ、ワッショイ」という意味不明の、あの祭りのかけ声にしたって、これ、古代朝鮮語とヘブライ語とのチャンポンだとすれば、意味は容易に解けるのです。
 「ワッソイ、ワッソイ」は、古代朝鮮語で「きました、きました」の意味---。
 あと、「ソイヤー、ソイヤー」なんてかけ声もありますよね? あれ、「ソイヤー」になったのはわりと最近で、本来は「ワッソイヤー、ワッソイヤー」と発音してたそうなんです。そして、最期の「ヤー」を「ヤー(Yah)」と取るなら、これ、どうもヘブライ語で、絶対神ヤハウェを短縮形にした呼びかけの名のようなんですよ。
 すなわち、端的にいって、「神サマがやってきました、神サマがやってきました」という、意味なんですよ、アレは…。
 なぜ、古代朝鮮語が絡むかといえば、アッシリアに滅ぼされ、契約の箱と三種の神器と共に歴史から消失した、謎の十支族---イスラエル十支族とはすなわち秦氏のこと---が、シルクロードを通って、広大なアジアを東に東にと旅してきたからです。旅のとちゅうで朝鮮を経由したか、あるいはかの地に滞在したことがあったのだと解すれば、すべての筋は整然と通ってきます。
 
 さらに「幕屋」と「神宮」との強力類似の状況証拠をもうひとつ---。
 古代ユダヤのヤハウェの神って、雷神的キャラを多く持っている、大変おっかない神サマだったようでして…。
 自分を信じ、崇めてくれる古代ユダヤの民のうえに降臨するときも、契約のアークのある「幕屋」の上空には、常に「主」の雷雲がたちこめていたそうです。

----雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。(「出エジプト記」第60章)

 そして、主の箱である「契約のアーク」を扱うにも厳密な規定があったようですね。
 
----神の箱を担ぐのは、レビ人でなければならない。彼らこそ、主の箱を担ぎ、永遠に主に仕えるために主によって選ばれた者である。(歴代記・上」第15章)

 イスラエルのユダヤ12支族のうちレビ人だけが、この「契約のアーク」を担ぐことが許されていた、というわけですか。
 この掟を破った者は悲惨です---ひとつしかない生命をたちまち召しとられしまいます。

----主はベト・シュメシュの人々を打たれた。主の箱の中をのぞいたからである。主は五万のうち七十人の民を打たれた。(「サムエル記・上」第5章)

 本質的に雷神なんですね---ヤハウェの神サマは。
 しかし、日本の神社のことを、ここでちょっと思ってみてください。
 神社には大抵締め縄が掛かっていて、それに白いジグザクの紙垂(カミシデ)が垂らされていますよね?
 で、そのうえには鈴のついた縄がさがっていて、参拝のひとがそれを揺らすとガラガラガラーッと鳴るじゃあないですか? ありゃあ、いったいなんの暗号なんざんしょ?
 物ごころがついたときからあまりに見慣れた風景すぎて、あえて意識したこともなかったんですが、この謎、古代ユダヤと絡めて考えると、案外簡単に解けたりするんですよね。
 神社上部の締め縄、あれは、主の栄光を表す雷神ヤハウェの雷雲---。
 そこからさがった白い紙垂は、ヤハウェの怒りである雷---。
 そして、参拝の際に鳴らされる鈴の音は、雷鳴、要するに、雷神ヤハウェの怒りの再現への試みだと解いたらどうでせう?
 ねっ、そうすると結構整然と暗号の解読ができるではないですか?---ええ、日本の神社は、やはり古代ヤダヤの「幕屋」をモデルに作られていたのですよ。
 神社の締め縄、紙垂、参拝の鈴の音---。
 そう、これらの象徴は、はるけくむかし、「幕屋」に降臨した主の栄光を、流れ着いたこの異国ニッポンにおいて、もういちど再現しようという、古代ユダヤの末裔たる渡来人・秦氏の、自らのアイデンティティと信仰とを賭けた、巨大な民族的試みだったのです……。

3.さらにアトランダムに日ユ同祖論証拠の列挙

 えーと、ページ冒頭にUPした灯篭のフォトをご覧あれ。
 これは、三重の伊勢神宮の「内宮(ないくう)」と「外宮(げくう)」とのあいだの道筋に建てられている、燈籠の写真です。
 で、問題なのは、右手の燈籠のアップの写真のほう---ここにカゴメ紋が刻まれてるでしょ?
 これ、ひょっとしてイスラエルの象徴である「ダビデの星」ではないですか---。
 現在もむかしも、これは、ユダヤの象徴であり、実際、現イスラエルの国旗には、このマークが誇らかに描かれています。

----なんだって、そんなモンが伊勢神宮の燈籠に刻まれてるのよ!?

 ねえ、考えれば考えるほど、これっておかしな話ですよ。
 残念ながら、現在はこの印、伊勢のすべての燈籠から消去されてしまったようですが、かつて、これらすべての燈籠に「ダビデの星」が刻みこまれていたことは、まぎれもない事実なんです。
 僕的にはコレ、伊勢神宮が、古代ユダヤの神殿「幕屋」の末裔である証拠として見ますが、あなた的にはどう取ります?
 単なる偶然? その可能性もないじゃないですが、うーん、これって偶然のひとことだけでかたずけちゃっていい問題なんですかねえ。
 日本の神社の象徴的存在である伊勢神宮では、この「ダビデの星(六芒星)」マークは撤去されちゃいましたが、ほかのあちこちの神社では、まだこのカゴメ紋が残されている場所は多多あるのです。
 たとえば、内宮と外宮双方の元伊勢である、丹後一宮の「籠(この)神社」---。
                
                            

 さらには右の石燈籠の屋根の部分をご注目ください。
 ここに16花弁の菊の紋が刻まれているのが見えるでせう? いうまでもなく、これは、我が国の皇室の紋章であって、それが伊勢神宮の700基の石燈籠に刻まれていることに関してはなんのふしぎもないのですが、これとまったく同形の、16花弁の菊の紋が、エルサレムのヘロデ門にも刻まれているといったら、あなた、それをどう思われます? 
 やはり、これも単なる偶然の一致にすぎないのでせうか---?

            

 いやいや、これほどの一致の連なりを「偶然」のひとことのみで片づけてしまうのは、いくらなんでも無理があるし、かえって傲慢な態度なんじゃないでせうかねえ? それよりも、古代ユダヤと日本とは、なんらかのかたちでの固い繋がりが過去においてあった、と解釈したほうがむしろ現実的であり、真摯かつ学問的な態度なのではないかなあ、とイーダちゃんは考えます。

 ええ、古代ユダヤと日本とのあいだに、尋常でない、強力な繋がりが過去においてあったことは、恐らくまちがいのない事実でありませう---。
 そう解釈するよりほかに、これら多数の圧倒的な状況証拠群を収めるべき手法はないように、僕なんかは思うのですが…。

4.付録:「ヤッホー」の解明

 山登りの折りに、はるかな山肌にむかって叫ぶ「ヤッホー」、なんとアレもユダヤ起源のようなんです。
 「イヤーホー」というのも、実は、神への祈りの言葉なんだそうですよ。
 ちなみに先ほど神輿のところで登場した、八坂神社の「ヤサカ」もヘブライ語の「ヤ(YA)ーサカ」なんだとか。

 まだまだ---奈良の「ナラ」は、ヘブライ語やアラム語、シリア語で「川」の意味。
 あと「柿本人麻呂」とかの「麻呂」---あれもアラム語で「閣下」「殿さま」のような敬称なんだとか。
 驚いた---探せば、まだまだいくらでもでてきそうじゃないですか。

 しかし、まあ今回もあんまり長くなりすぎたので、このへんでそろそろキーボードを収めたいと思います。こんなウルトラ長いのを読み通してくれたひとがいたなら、超・感謝! ありがとうねえ。(T0T;>

 次回はね---特に皇室とユダヤとの関わりについて、論を進めていきたいと考えております---(^^)☆