兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

アイとフェミニストは共存できるか

2018-10-21 01:37:13 | 時評
 どうも、前回『新潮45』について補足記事を書くようなことを言っていましたが、ダラダラしている間に、世論の耳目はすっかりキズナアイ騒動にシフト。すんませんがやる気をすっかり削がれてしまいました。
 さて、そのキズナアイ騒動ですが、まあ、いつもと変わらぬフェミ様の通常運転ではあり、それに対して正義の怒りを燃やす表現の自由クラスタのみなさんの振る舞いも変わり映えせずなのですが、ただ、ネタが大きかったせいで、ことは予想外の拡大を見せております。
 発端は太田啓子弁護士という方で、一言で言えばNHKの番組で、キズナアイが言わばインタビュアー役として登場したことが受け身な女性ジェンダーの再生産であり、お気に召さなかったご様子でした。が、途中から、当ブログでも何度も扱った千田有紀師匠*1が参戦。太田師匠の後を引き取るように「表現の自由クラスタ」のターゲットとなり、さらには某BL作家が師匠を批判したり、某BL社会学者が師匠の側に回ったりと、事態は混迷の一途をたどっているわけであります。
 ともあれ、児童レイプを守るためにがっちり手と手を握りあっていた自分を腐女子だと思い込んでいる一般フェミがオタサーの姫になれた者、なれなかった者に分断された姿に、男社会による女の分断は恐ろしいなあ、と思い知った次第です。
 また、千田師匠が批判者に対し、「私を誰だと思っているのか」とツイートして、それが傲慢であるとバズったのですが、これは「オタクの敵扱いされているが、私だってオタク、BL好きなのに心外だ」という意味あいでなされたもので、文脈をやや無視して叩かれているのはいささか可哀想です。もちろん、「誰がお前なんか知るかボケ」という結論に変わりはないものの、フェミニスト腐女子が萌えキャラに文句をつけてくるなんてこと、今に始まったことじゃないんだから、そこ(オタク界の内部にこそ獅子身中の虫が潜んでいること)を鑑みない純朴な叩きは、問題を理解していない証拠です。
 事実、目下ツイッター界隈でフェミを全否定している連中の何割かは、今まで「フェミニストは仲間だ!!」と絶叫し、ぼくが事実を指摘すると酸鼻を極めた罵倒を繰り返してきた連中です。どうなってるんだと問いたいところですが、彼らは「我こそは純真無垢で善意の、純粋な被害者なり」と思い込み、自分の垂れ流してきたデマや罵詈雑言に対する内省などは、ゼロであらせられるのでしょう。くるくると手のひらを返す彼らの冷酷残忍さを見ていると、フェミニストが気の毒にもなってきます。
 そんなわけで、ぼくもあんまり事態に対してがっぷりと四つに組む気力もないのですが、まあ、ごく簡単に、ここに負け惜しみを記しておこうと思った次第です。

*1 当ブログの千田師匠の記事は以下を参照。

夏休み千田有紀祭り(第一幕:メンリブ博士のメンズリブ教室)

夏休み千田有紀祭り(第二幕:ゲンロンデンパ さよなら絶望学問)
夏休み千田有紀祭り(第三幕:スーパーゲンロンデンパ2 希望の学説と絶望の方向性)

夏休み千田有紀祭り(第四幕:ダメおやじの人生相談)

ただ、まあ、いかなる場合も、いずれにせよネットの「叩いていいとなった相手を数の論理でボコりまくる」傾向は好きになれません。みなさんもこっそり楽しんでくださいね。

 ――さて、ここしばらく、ぼくの物言いには上のような、フェミニストに同情的なものが増えています。
 怪訝に思う方もいらっしゃるでしょうか。
 本ブログの愛読者の方にはご理解いただけていると思いたいところですが、念のためにちょっとだけ詳しく申し上げましょう。
 以前、とある自称漫画評論家の方が、萌え系のレズエロ漫画をdisっていたことがありました。何しろ本当に大昔のことなので、記事も手元にありませんし、かなり記憶も曖昧になってしまっているのですが、本当に、フェミニズム丸出しの「レズ漫画は女性を蔑視している(大意)」という、ただそれだけのものでした。ぼくは大層に驚きました。この御仁はずっとエロ漫画の専門家を自称していたのですから。
 言うまでもなくこの方、ゴリゴリの左派でフェミニズムの信奉者。しかし同時にエロ業界に深く関わっている人でもありました。もう、焼き鳥屋を本職にしている愛鳥家みたいな、わけのわからないハナシですが、お察しの通り、こういう御仁は大変に多い。
 この方はオタクというよりは世代的には「エロ劇画」「三流劇画」の人です。といっても、それらがどんなものかが、今となってはわかりにくいかもしれません。『漫画エロジェニカ』とか、何かそんなんです。あまりピンと来ない方は上のフレーズで画像検索してみていただきたいのですが、まあ、いわゆる「萌え」とは一億光年ほど離れた、エロを感じるにはかなり厳しい絵が画面に並ぶことになるかと思います。70年代辺りに一時代を築いたこれら表現ですが、80年代より「萌え」系の美少女漫画――劇画的な絵とあまりに異なるため、当時は「ロリコン漫画」と俗称されていました――に取って代わられ、一時期は全滅したかに見えたモノが……実は近年というか、ここ十年くらい、廉価版エロゲなど、こうした絵が多くなってきています。正直、ユーザー層が見えてこないんですが、五、六十のオッサンがエロゲやってるんでしょうかね。
 さて、その「エロ劇画」ですが、左派運動と非常に縁の深いものでした。ウィキペディアの「エロ劇画誌」の項を見てみると、「三流劇画ムーブメント」という小見出しが作られ、

これは、当時の三大エロ劇画誌と言われた『漫画大快楽』『劇画アリス』『漫画エロジェニカ』の編集者(亀和田武、高取英ら)によって打ち上げられたもので、言わば学生運動のような革命思想をマンガ雑誌の世界に持ち込んだもので「劇画全共闘」とも呼ばれた。


 などと書かれています。エロ漫画界は左派的な勢力が支配的だったわけですね。全共闘嫌いの大塚英志氏がことあるごとに毒を吐いていたのも今は昔です。
 しかし萌え的な美少女系エロ漫画はそうした「エロ劇画」の影響があるとは言い難く、全く別な場所、つまりアニメなどを源流に発生してきた表現としか言いようがありません。
 両者の違いを端的に説明することは難しいのですが、「萌え」系漫画は二次元に描かれた美少女そのものにある種の欲望を抱くものであるのに対し、「三流劇画」はあくまで「女体」を「想起」させるきっかけとしてのツールとして絵を利用していると言えるのではないでしょうか。「官能小説」を読む時、文字そのものに欲情しているわけではなく、その文字によって想起されるイメージに欲情しているのに、これは近いでしょう。そのため、こうした漫画ではキャラクターに「百恵ちゃん」的な芸能人の名前をつけることが普遍的だったように思います(これはまあ、乏しい知識で書いているので、話半分に聞いていただきたいですが)。
 ともあれ、これは「サブカル」とは分断されたところに「オタク文化」が発生したことの、一例なのです。
 しかし、他のサブカルもそうであるように、彼らはコンテンツとしては衰退しているものの、イデオロギーとしてはオタクへの一定の影響力を保持し続けている。ぼくはよくオタク左派を「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」とからかいますが、それは上のような流れを踏まえてのものであるわけです。
 ともあれ、フェミニズムにずっぽりハマった漫画評論家の先生が萌え系のレズエロ漫画を差別的であると言い募った。ならばオタクは悪だ、エロ漫画は女性差別表現なのだから(レズエロ漫画が女性差別なら、当然レズじゃないエロ漫画も女性差別でしょう)弾圧せよ、いや弾圧はしないまでも肯定すべき表現ではない、となるはず。
 しかし言うまでもなく、上の方はずっと表現規制反対運動にかかわっていらっしゃいます。当たり前のことです。「表現の自由クラスタ」はフェミニストのお友だちなのですから。うぐいすリボンなどといった組織が上野千鶴子師匠とデートして、彼女に「ポルノは否定しない」とリップサービスさせたこと、そして当時、師匠の出した本にはそうした主旨の文章と共にポルノはおろか、売買春を全否定する文章が載っていたという混乱ぶりを見せていたことも、何度も繰り返し指摘していますね*2
 彼らは一体、どうやってその矛盾に辻褄をあわせているのでしょう。まあ、何とはなしに見当はつくのですが、それについては後で述べるとして、先に急ぎましょう。
 フェミニストはとにもかくにも「ジェンダー規範を消せ、ジェンダー意識を革新せよ」と唱え続けます。そしてこれはまあ、左派の「革命は正義」といった理念と合致します。
 彼らの中のオタクに敵対的な者は「オタクのジェンダー規範は旧態依然としているからけしからぬ」と絶叫し、オタクに親和的な者は「オタクのジェンダー規範は革新的だからけしかる」と絶叫します。これはリクツの上ではどちらもそれぞれもっともですが(一例をあげれば、エロゲのハーレム構造などは旧態依然としており、男の娘は革新的でしょう)、しかしこちらとしては、けしからぬだのけしかるだのといった価値判断は置けばいいのに、という感想しか、湧いてきません。上の誉められたりケナされたりしている表現はいずれも単にぼくたちの「欲望」の発露であり、それを彼ら彼女らからイデオロギーによる評価をされる筋合いでは、ないのです。その意味で、上の両者は結局は同じ穴の狢です。一方が仮に口先でオタク文化を誉めていても、上のように「自分たちのイデオロギーに適うから」評価しているだけに過ぎません。そんな人たちと、ぼくたちは歩を共にしていいのかとなると、疑問を覚えないわけにはいかないのです。
 ともあれ、そんなこんなで彼らはまずフェミニズム的世界観を絶対の正義であると信じて、オタク文化について好き勝手なことを言い続けてきました。ところが今回、自分をオタクだと思い込んでいる一般リベはまた一歩、フェミニストから距離を取ったことになります。上に書いた漫画評論家の先生も言うまでもなく千田師匠バッシングに乗っかっていて、唖然とさせられました。
 彼ら上層部の近年までの戦略は「まなざし村」、「ツイフェミ」、「リベラル/ラディカルフェミニスト」といった非実在概念を捏造することによる、フェミの延命措置というものでした。が、今回の事件に象徴されるようにここしばらく、彼らは「フェミ」を主語に批判をするようになってきた。これは、上層部にとっては鉄砲玉の暴走であり、頭を抱えているのでは、というのがぼくの考えだったのですが、ここへきてその上層部までがフェミを全否定するようになってきた。
 日を追って彼ら全体がそうした延命措置をあきらめつつあるわけです。今回も千田師匠たちを「似非フェミ」「自称フェミ」と呼びつける連中は絶えずいたものの、上のようなタームはあまり聞かれなかったように思います。
 つまり、「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」のフェミ擁護はもう、後退を余儀なくされている感があるわけです。しかし、ならば彼らは改心したのかとなると、そこまで信用することはしにくい。
 彼らの「転向」の理由は、一つにはオタクの味方を演じるフェミ(というかネオリブ)の存在があるからこそでしょう。もちろん彼女らは「表現の自由を守る」というリップサービスをするだけなのですが(もちろん、それは本当に口先だけなのですが*3)、それを彼らが受け容れているということは、結局彼らのフェミ批判も、それ以上のものではない、ということです。
 そうした彼らの欺瞞を見る限り、状況がよい方向に向かっているとはとても思えないわけですね。

*2 京都地下鉄の萌えキャラにクレームをつけたのはフェミ…じゃなくて“まなざし村”!?
*3 秋だ! 一番ネオリブ祭り


 さて、最後にでは、彼らは自分たちの矛盾にどう辻褄あわせをしているかについて、書いてておきましょう。
 もちろん彼らの口から納得のいく理屈を聞くことは不可能でしょうが、しかし想像することはできます。
 即ち、彼ら彼女らは、「自分もオタクだけど問題視している」といった自意識を持っているのではないでしょうか。このフレーズは少し前、ツイッター界隈でフェミニズムに親和的で萌えキャラに批判的な意見を持つ層が放った言葉です。「自分もオタクだが、オタク的表現には問題がある」というわけですね。早速togetterで批判的にまとめられたりしましたが、恐らくは「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」もまた、同じような考えを抱いていると想像できます。
 これは、オタクという存在が常に内外から否定されて続ける種類のものであること(「オタク」を主語に世間へとカウンターを繰り出しているのは、実は「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」だけです。オタクの集まる掲示板などにいってもオタクそのものが常に否定的に捉えられていることはみなさん、ご存知でしょう)、サブカル君が自分のことをそのオタクの兄貴分だと信じて疑っていないことを考えあわせれば、順当な推測なのではと思われます。
 随分前に、青識亜論師匠と議論をした時、彼は上野千鶴子師匠をかばって、こんなことを言い出しました*4

上野女史の場合、フェミニストの本家本元のジュディス・バトラーがそうだったように、ポルノは差別的な言説も含んでいるが、それでも政府当局による規制は「ムリだしムダ」というお立場じゃないでしょうかね。

バトラーなどは、ポルノの自由を認めた上で、ポルノを構成する表徴を転倒させ、反差別の力にしてしまおうという豪毅なロジックを使いましたが、上野女史もこうした流れを汲むのではないかと勝手に思っています。



 そう、彼はジュディス・バトラー師匠が「ポルノの構造を変えよう」と主張していることを、肯定的に紹介しているのです。
「変えようとしている」ってアンタ、それを規制っていうんじゃないでしょうかw
 上野師匠は「ポルノは女性差別だから否定する、しかしエロティカはそうではない性表現であり、女性も楽しむことができる」とか言っていたので、彼女も同じ考えだとの青識師匠の想像は恐らく、正しいことでしょう。つってもそもそも、そのエロティカがどんなものかが全然見えてこないのがすごいですが。
 エロは全てBLにするとか?
 やっぱり規制じゃん。或いはフェミ様の規制はキレイな規制なんですかね。
 ちなみに千田師匠も『女性学/男性学』において、バトラーを引用して丸きり同じ主張をしております*5
 そう、青識師匠は千田師匠の同志だったのです。
 彼ら彼女らは共に「性の革命」を是とする「表現規制派」でした。
 もし彼らが「無理強いはしない、我々は人々が『セクシュアリティの正しい在り方』に目覚めるまで善導していこうとしている存在だ」と言うのなら、やっぱり千田師匠の同志でしょう。彼女だって具体的に反対運動などをやっているわけではないのですから(ただし、*5で引用した記事を見れば、恐らく千田師匠は国がかりの規制も視野に入れている人ではありますが)。
 フェミニストと自分をオタクだと思い込んでいる一般リベは、仲よしの表現規制派でした。
 彼らはフェミの中の、「闇の大首領」に逆らった者への定期的な見せしめを続けながら、今日もフェミとデートを続けています。それはDV夫と依存妻のような、ジェンダー規範に則った、とても美しい男女の愛の営みのあり方であるなあ、と思わず思ってしまったのでした。マル。

*4 強敵! ストロッセン現る! -フェミニズムを批判するフェミニストについて-
*5 夏休み千田有紀祭り(第二幕:ゲンロンデンパ さよなら絶望学問)


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