兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

風流間唯人の女災対策的読書・第43回「上野千鶴子というセーラームーン」

2023-04-01 21:05:08 | 上野千鶴子

 

 第四十三回目です。

風流間唯人の女災対策的読書・第43回「上野千鶴子というセーラームーン」

 さて、動画でも上野千鶴子師匠の婚姻問題についてです。
 これについては『WiLL Online』様でも書かせていただき、長らくランキング一位の座を獲得しており、こちらを読んでいただいた後の視聴を、お勧めします。

『婦人公論』では上野氏側の意見も発表されており、『WiLL』様でもそれを採り挙げた続編を発表したので、よろしく!!

想像を下回った上野千鶴子の反論記事

 動画中で出て来る兵頭新児の『セーラームーン』についてのブログは以下を。


もっと上野千鶴子がわからなくなる迷著七選!

2023-03-05 17:57:10 | 上野千鶴子

 

※目下、旬の話題と言えば何と言っても「上野千鶴子が入籍していた」騒動です。
 そこで上野師匠について今まで書いてきた記事のガイドをまとめました。noteの方で有料公開となっていますので、どうぞそちらの方へ。こっちは触りだけ紹介します。※

 ――何だかこの件、アンフェ界隈ではColabo問題を吹っ飛ばさんばかりの勢いです。
 もっとも時事系YouTuber界隈はさほどでもないようでした。
 彼らは(表現の自由クラスタに騙されたまま)常に「ツイフェミ」を主語としてきました。Colabo問題など、フェミの悪辣さが知れるにつれそれも薄らいでいきましたが、それでも時事系YouTuber(否、ご当人は「言論」系チャンネルを名乗っていらっしゃるのですが)が石川優実氏を「元祖フェミ」などと言っていて腰を抜かしたことがあります。
 しかし、まあ、そんないつもの憎まれ口を叩こうと思っていた折りに降って湧いたのが本件です。
 ともあれツイッター界隈では盛り上がっている様子については、「へえ、みんな上野千鶴子なんて知ってたんだ」というのがぼくの率直な感想でした。

 さて、いずれにせよフェミニストの首領がどうにもならない、全く言い訳のしようのない壮大な自爆を遂げた。
 本件に対してのこの評価はもう、揺るぎません。
 しかしアンフェ界隈がいまだ「上野千鶴子? 誰それ?」状態であったら無意味でした。
 その意味で、タイミング的にもよかったなと。
 ……というわけで急遽、久し振りに有料記事を作りました。
 今までずっと「過去記事の再録」をした上でそれを「マガジン」化、という流れでしたが、この大事件の前には少々こちらも反則を使わざるを得ません。
 過去のocn時代からのブログ(「兵頭新児の女災対策的読書」)、ニコブロ(「兵頭新児の女災対策的随想」)における記事には直リンを張ることにします。
 その上で来週からはこれらを再掲し、その度に記事にも反映させていく……という具合に考えております。また、ずっと続けて来た「男性学」関連の再録予定はまだあるのですが、それは一旦、お休みと言うことでご容赦ください。

 

 また、『WiLL Online』さまでもColabo問題について記事を公開中ですが、明日辺りに上野千鶴子師匠についての記事もうpされます。
 そちらもどうぞ、よろしく!

・深まる「Colabo」の闇

 

 

 

 

 そんなわけでご興味のある方はnoteの方をみていただければ幸いです。


女ぎらい――ニッポンのミソジニー

2016-02-12 19:29:01 | 上野千鶴子


 今日は2016年2月12日です。
 先週から我々兵頭新児のことで世間をお騒がせしました。
 そして、沢山の方々に、たくさんのご心配とご迷惑をかけました。
 この度は、ぼくたちのことでお騒がせしてしまったことを申し訳なく思っております。
 今回の件で、オタクがどれだけフェミニスト様の温情と慈悲に支えていただいているかということをあらためて強く感じました。本当に申し訳ありませんでした。
 今回、上野様に謝る機会を電鋸雛菊君が作ってくれて今、ぼくらはここに立てています。
 最後に、ここから自分たちは何があっても二次元だけを見て、ただ二次元だけを見て、リアルなセックスは元より実写ポルノは全て諦め、マスターベーションに邁進したいと思いますので、皆さんよろしくお願いいたします。


 ――はい、謝罪も終わりましたので平常通り、レビューを始めたいと思います
『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』は、上野千鶴子師匠の比較的近年の著作です。
 比較的近年でありながら、そしてまた「ミソジニー」というナウい片仮名言葉を掲げながら、内容は旧態依然とした千年一日の、古拙で偏狭で低劣なフェミニズムが語られるだけの本なのですが。
 なのですが先日、togetterにおいていわゆる「表現の自由」を標榜するリベラル君たちが、よりにもよって本書を根拠に「上野千鶴子はオタクの味方だ」論をぶち上げておいでだった*1ので、久し振りに本書を読み返す機会を持ったのです。
 本書については出版当時にも、詳しく触れました*2。
 しかし今回は、先のような事情から専ら上野師匠の「ポルノ観」を推し量る目的で、本書をレビューしてみましょう。

 さて、リベラル君たちは本書の80pを根拠に「上野師匠はポルノを否定してはいない」と断言しました。

想像力は取り締まれない――それが多数派のフェミニストが暴力的なポルノの法的な取り締まりを求めることに、わたしが同調できない理由である。

日本でもポルノ規制をめぐって、一部のフェミニストとコミックライターや作家とのあいだに「表現の自由」論争が起きたが、わたし自身は、フェミニストのなかでも「表現の自由」を擁護する少数派に属する。


 との箇所ですね(師匠が少数派ということはフェミニストの多数は敵ということになる気もしますが……)。
 師匠は近年、この種の発言を繰り返す傾向にあり、「うぐいすリボン」という「表現の自由クラスタ」の総本山とも言える組織の集まりでも、近しいことを言っていました*3。

 ――なるほどなるほど、確かにそれは彼ら「リベラル君」たちの方が正しいのではないか。

 さて、どうでしょうか。
 ぼくは幾度も主張してきました。
 上野千鶴子師匠はポルノを全否定している、と。
 そしてその根拠として、ぼくもまたやはり、本書を挙げてきました。
 何しろ本書の57pで師匠ははっきりと

売買春とはこの接近の過程(引用者註・男女のおつきあい)を、金銭を媒介に一挙に短縮する(つまりスキルのない者でも性交渉を持てる)という強姦の一種にほかならない。


 とおっしゃっているのですから。
 言うまでもないことですが、ポルノは「売買春記録物」です。
 つまり、上野千鶴子師匠はあらゆるポルノは強姦だと断言なさっているのです
 何しろ別の記事ではもっとすさまじく、

たとえば、売春業が「強姦の商品化」だとすれば、キャバクラは「セクハラの商品化」である。

やはり、風俗は完全になくすべきだという結論以外にない。


 とまでおっしゃっているのですから*4。
 しかし、一体全体どうしたことか、先の引用を目の前に突きつけられても、表現の自由を人命よりも尊いと考えるリベラル君たちは、上野師匠は味方だと頑迷に主張し続けました。電鋸雛菊という御仁などは特にすさまじく、こちらを「ノロマ。愚図。印象論者。デマ野郎。ゴミ論者」などとただひたすら口汚く罵り続けました。そのヒステリックさ、幼児退行ぶり、自らに逆らう者への憎悪、過剰な攻撃性は、見ていて心配になるほどです。
 客観的事実を提示されてもそれを受け容れることが決してできず、自分たちのついた嘘を押し通そうとその嘘を指摘した者に殴りかかり、「『ヤツはデマを流しているのだ』とのデマ」をあちこちに垂れ流すというのはフェミニストやその信奉者の共通の、もう、本当に、唖然とする、呆れ返る、これまでに何十回となく繰り返されてきた振る舞いです。
 果たして、彼らの狂信性は一体、何に端を発するものなのでしょうか?

*1 次の「火のないところにフェミが放火する案件」京都市営地下鉄戦(http://togetter.com/li/926415)
*2「女ぎらい――ニッポンのミソジニー(http://blog.goo.ne.jp/hyodoshinji/e/dc90697177363f41f96dc39e97bc0afb)」
「女ぎらい――ニッポンのミソジニー(その2)(http://blog.goo.ne.jp/hyodoshinji/e/95f2f4056c4af4fa29d1bab7fea658bc)」
また、上野師匠のオタク文化に対するスタンスについての、当時のぼくの見解は「チェリーボーイの味方・上野千鶴子の“恋愛講座”(http://blog.goo.ne.jp/hyodoshinji/e/96a9d5b36e737a4e69b17831efbdefc9)」
*3 堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る(http://www.jfsribbon.org/2012/10/bl.html)
*4「上野千鶴子氏 売春は強姦商品化でキャバはセクハラ商品化(http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130609/Postseven_191042.html)」


 ぼくに先の箇所を突きつけられた時の、リベラル君たちの反応は以下のようなものでした。

 1.エロ漫画、エロアニメなど現実の女性の関わらない表現であれば、「売買春記録物」とならない。師匠がポルノを「全」否定している、というのは兵頭のデマだ。
 2.実写などでも「写真集」などは「売買春記録物」ではないものもあり得る。


 なるほど、先の『女ぎらい』出版当時のブログでもぼくは


仮にですが、上野センセイのお考えが、「あらゆるポルノを女性差別として否定する、しかし非実在少女をモデルとしたエロ漫画、エロゲーだけは認める」というものであれば、筋が通っているとは思います。


 と注釈を入れはしました。
 しかし、では、「上野師匠はポルノを“全”否定はしていないのだな」とお感じになるでしょうか?
 少なくとも、映像を記録する技術が開発されて以降は、「売買春記録物」、即ちセックスをしている場面の記録が、ポルノのメインと言えるはずです。そこにいくつかの抜け穴があるから“全”否定などしていないのだ、と言われて、納得できるでしょうか。
「写真集」で「売買春記録物」でないものもあるというのもまた、おかしなリクツです。師匠は「風俗」を全否定しているのですから、「風俗」の中に「本番」のないものもあるからいいのだといった抜け道を認めていないのは自明です。そんな師匠が「性交に至らない写真ならばOK」といった抜け道をお認めになるとは、とても思えません(しかし彼らは、上野師匠の言を無理やりにねじ曲げて、「彼女はぼくたちの味方なのだからこれこれのようにお考えに違いない」とただひたすら根拠のない妄想を繰り広げ続けるのです)。
 そもそも、では、一億歩譲って、師匠が彼らの言う通り「本番のない実写ポルノ」、「アニメなど二次元のポルノ」だけは認めておいでだとして、しかし「性交している実写ポルノはNG」だとする師匠を、彼らは首肯するのでしょうか。児童ポルノの単純所持が禁じられようとした時は、あれだけ「実写の禁止を容認すれば、今度はイラストなどの禁止もなされることは明白だ」と何でもかんでも反対していた人たちが、フェミニストの言うことになるととたんに寛容になるのは、不思議としか言いようがありません。
 彼らは「たっ君ママ」です。
 彼らはたっ君を溺愛するママであり、一方、近所のムカつく宮本のガキ*5を憎悪しています。彼らはたっ君がテストで10点取ったことを、宮本のガキの7点に比べ大変な好成績だとして、先生に合格点をつけることを強要します。ですが実のところ、クラスのみんなはもっと努力して平均点は80点を超えていたのです。
 だってそうですよね、一般の女性はポルノにそこまでの拒否感を示しはしない。ましてやオタク界には、自らものすごいエロ漫画を描いてくれる女子が大勢いる。つまり秀才揃いの「オタク学校」にはテストで100点を取る女子が大勢いるにもかかわらず、彼らはたっ君と宮本のガキにしか目が行かず、周囲の現実がどうしても呑み込めないのです。


*5 彼らの「仮想敵」として決まって彼らの口から出て来るのが宮本潤子師匠です。正直この人がどれだけの影響力を持つのか、ぼくにはわからないのですが、彼らの村には上野師匠と宮本師匠以外の女子が一人もいないということが、大変よく理解できますね。


 本書を読めば読むほど、上野師匠が(あくまで、法的規制に賛同していないだけで)徹底的なポルノ否定派であることが伺い知れます。
 何しろ、本書を開くとまず一番最初のページ(7p)で、

ミソジニーの男には、女好きが多い。「女ぎらい」なのに「女好き」とはふしぎに聞こえるかもしれない。それならミソジニーにはもっとわかりやすい訳語がある。「女性蔑視」である。女を性欲の道具としか見なさないから、どんな女にもハダカやミニスカなどという「女という記号」だけで反応できる。おどろくべき「パブロフの犬」ぶりだが、このメカニズムが男に備わっていなければ、セックス産業は成り立たない。


 などと書いているのですから、ぼくたちが女体に性的興味を覚える以上、ぼくたちは「ミソジニスト」の誹りを免れないのです。
 いえ、そればかりではありません。254pでは、男性が女性を「守りたい」と考えることすらもが女性を蔑視した、許されざる差別的な考えだと主張なさっているのだから驚きます。そんなの、男性に守られたがる女性が悪いんじゃないでしょうか(これについては先に挙げたぼくのレビューの一番最初のものを参照)。
 9pでは、吉行淳之介『驟雨』がやり玉に挙がり、


おどろくほど通俗的なポルノの定石どおりに展開する。
(13p)


 それはつまり、男が女を快楽に導くことで支配するという幻想であり、


あまりこの種の幻想がまき散らかされているために、ほんとうに信じこむ人たちがいるのじゃないかと心配になる。吉行はそういう性幻想をまき散らかした戦犯のひとりである。
(14p)


 と全否定を続けます。
 こういう人がエロを認めていると、どう考えれば思い至れるのでしょう。はっきり言うと、この『女ぎらい』は壮大な「ポルノ否定」の(いえ、「男性否定」であり「女性否定」の)書であり、彼女がポルノに寛容というのはオタク界のトップがオタクの味方であるというのと同じくらい、ムチャクチャなのです(比喩になっていないことをお詫びいたします)。
 先の80pの発言は「児童性虐待者のミソジニー」という、小児愛者を批判した章のものなのですが、この後師匠は


それならいっそのこと、かれらが性関係から撤退し、性行為をマスターベーションに限定し、自己完結した性的欲望のファンタジーのもとにとどまってくれているほうが、ずっとよい。ヴァーチャルなシンボルで充足できる「二次元萌え」のオタクや、草食系男子のほうが、「やらせろ」と迫る野蛮な肉食系男子よりましだ。
(中略)
たとえ二次元平面のエロゲーや美少女アニメが、誘惑者としての女がすすんで男の欲望に従うあいもかわらぬ男につごうのよい男権主義的な性幻想を再生産している、としても。
(86p)


 と言い出します。つまり、彼女は「ポルノを全否定」した上で、「オタクは二次元にしか興味がない」との仮定の上で、ようやく、ぼくたちのことを「まし」であると言ってくれているだけなのです。
 次のページでは実写ポルノについて、

トラウマ的なポルノを演じることでもたらされる影響を無視することはできない。


 と、「仮想のストーリー」をも悪だと難じています。
(繰り返すように本章自体が小児性愛者についての章であり、全体的にはチャイルドポルノが批判されているのですが、上の文章はその直後に「とりわけ子どもの場合には」とあるように、ポルノ全体を批判する文脈で書かれたものであることを、お断りしておきます)
 先の吉行淳之介批判もそうですが、上野師匠はラディカルフェミニストの一人であり、ラディカルフェミニズムは根本の部分で「我々の性意識は他者によって教え込まれたもの(なのであるから、それを覆さねばならない)」という考え方をしており、ポルノを絶対に許すはずがないのです。
 以前ツイッター上で、青識亜論師匠(「表現の自由」派の中の有力な人物)と話していて、面白いことを言われました。

バトラーなどは、ポルノの自由を認めた上で、ポルノを構成する表徴を転倒させ、反差別の力にしてしまおうという豪快なロジックを使いましたが、上野女史もこうした流れを汲むのではないかと勝手に思っています。


 要するに、フェミニスト様にポルノを差し出し、ご自由に査定、改訂していただこうというわけです。一体何で、そんな人権保護法案みたいなメンドくさいことをしなきゃいけないんでしょう。
(ちなみに先のバトラーのロジックは、フェミニストの口からよく聞くものです。上野師匠の弟子である千田有紀師匠もまるきり同じことを言っていて、その意味で彼の「上野女史もこうした流れを汲むのではないか」との想像は、恐らく当たっていると思われます)

 ここまでで、大体のことはわかったかと思います。
 彼らリベラル君たちの言い分は、彼らの運動を「ただひたすらに自民党と戦うことを目的としたもの」と規定した時、極めて論理的なものとして立ち現れます
 フェミニストたちがいかにポルノを否定していても構わない。彼女らが実際にあちこちにクレームをつけ、「表現の自由」を阻害しようと、いっこうに構わない。ただ自分たちはフェミニストとデートをして、そして自民党が悪だと言いたいだけだ。
 どうやら、彼らの言を演繹していくと、そのようなものになってしまうようです。
 事実、彼らは悪名高い「行動する女たちの会」を「法規制には反対の立場だ」というだけの理由で称揚しています*6。
 彼ら「表現の自由」クラスタは「国家大嫌い芸人」であり「フェミニスト大好き芸人」ではありますが、大変残念なことに「エロ大好き芸人」でもましてや「アニメ大好き芸人」でもなかったのです。

 漫画もアニメも消え果ててもいい。ただボクはフェミニストとデートをして、現政権の批判だけを続けたい。
 そうお思いの方はどうぞこれからも、足繁く彼らのライブに通い続けてください。

*6 フェミニスト団体「行動する女たちの会」の悪質さと、オタク界のトップが彼女らを称揚する様は「『ポルノウォッチング』ウォッチング(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar855897)」を参照。

2011年・女災10大ニュース

2011-12-18 22:19:40 | 上野千鶴子

 新年、明けましておめでとうございます。
 いよいよ2011年の始まりです。
 これよりの二週間がみな様にとってよい年でありますように、お祈り申し上げます。
 ――わかりにくいので書いておきますが、以上は
歌丸師匠が毎年やる新年恒例のボケのパロディであります。

 さて、というわけで今回は今年の「女災10大ニュース」でも発表しようかと思います。
 といっても具体的に新聞などで騒がれた大きな事件などは一切、扱われません(笑)。
 あくまでぼくの視点から、ぼくの感覚に基づいて選んだニュースなので、トピックスとしては抽象的なものばかりになりますが、そこはご容赦ください。
 それでは早速、10位から発表して参りましょう。


 【第10位】『女災社会』電子出版
 えぇ~と、
ぼくの気づかぬうちに、拙著『ぼくたちの女災社会』の電子版が出版されておりました。出版予定があったこと自体は以前より聞かされていたので、出版(配信?)にあわせてここやツイッターでも告知して、何か連動企画でも考えようとか、自腹でネット広告でも打とうとかいろいろ考えていたのですが……まあ仕方ありません。紀伊國屋書店BookWebで購入できますので、環境が許す方はご覧になってみて下さい


 【第9位】有村悠師匠、なか見検索で拙著をご高閲
 有村悠師匠、ぼくはよく存じ上げないのですが、ネットでは結構な有名人のようです。
 彼については「ろりともだち(その2)」でも軽く触れました。
 師匠はブログ
ぼくの著作を読みもせず、しかもぼくのみならずAmazonで好意的なレビューを書いた人々まで(呆れたことにレビューを自身のブログに引用して)口汚く罵るというナイスな挙動に出た御仁です。あまりにも目にあまり、「せめて読んでから貶してはどうか」と進言したのですが、師匠のお答えは「残念ながらこの本にそんな必要は認められない。」というもので、その思考停止ぶりに感銘を受けてのランキングとなりました。
 が、実は師匠、これ以降も「ザ・インタビューズ」へようこそ!(「ソーシャルインタビューサービス」というものらしいです。よくわからん)において拙著を引きあいになさっていました*。
 そこで拙著は「なか見検索で読む限り、相当残念な本です。」とのお言葉を頂戴することになりました。なか見検索とはAmazonの試し読みのサービスで、最初の6pはそこで無料で読めるようになっているのす。
 たったの6pで原稿を書いてしまう勇気には敬服しますが、読もうが読むまいが頭は停止したままなのですから、師匠には兵頭バージンを貫いて欲しかったところです。


*「「男性差別」という言説が僕は嫌いなのですが、有村さんの見解が聞きたいです。」という、まあ最初から出来レースみたいなやり取りですね。案の定、師匠の発言は「長い歴史を通じて、女性はマイノリティとして扱われてきました。」といった幼稚なもの。革命戦士の「思考停止力」の本領発揮、といったところです。


 【第8位】女災ラノベ出版中止
 実は企画があったのでありますよ。
 ぼくがお世話になっていたヲタ系出版社がありました。この数年はここのおかげで食えていたと言っても過言ではなかったのですが、会社の方針が小説の出版を縮小、ノンフィクション系に力を入れたいというものに変わり、ぼくも「萌える○○」的な企画書を作って提出しておりました。
 なかなかうまくいかず、苦し紛れに担当編集者Kさんに『女災』を見せて「こうしたものの萌え版はどうか」とプレゼンしたところ意外や感触がよく、先方から「ライトノベル化しよう」といったアイデアが出されたのです。
『女災』の内容に対しても、Kさんは「
最初は兵頭さんが僻みっぽいのかなと思ってましたけれど、お話をお聞きしておっしゃる通りだとわかりましたよ」などとおっしゃっていました。まあ、この種の発言がなされる場合、基本的には本音は前半部分にあるものなのですが、仮にそうだとしても(本音ではぼくの意見に同意してはいなかったとしても)商業的にある程度、企画について興味を持ってもらえたものと確信しました。
 むろん、こうした企画というものは(特に不況の昨今にあっては)そうそうトントン拍子に行くものではありません。出版にまで漕ぎ着けられる企画書なんて何十も出して一つや二つといったところかも知れません。とは言え、Kさん自身のモチベーションは取りつけたと思っていたのです。
 ところが。
 プロットをまとめ、出版社を再訪したところ、寝惚けたような顔で「ピンと来ない」「リクツは判るが」と繰り返すばかりの、気の抜けたような対応になってしまったのです。前回に形成されたはずのコンセンサスは全て、Kさんの脳からすっぽりと抜け落ちているかのようでした。
「仮に女性専用車両を受け容れても、ぼくたちは両手を挙げて電車に乗らなければならないわけですよ」
「両手を挙げて電車に乗ればいいじゃないですか(事実、彼はそうして乗っているらしい)」
「仮にそうしていてもなお、痴漢に間違われかねない現状を生きているんです」
「いや、リクツはわかるがピンと来ないですね」
 要領を得ないことを言い続け、ついには
「(この企画は)どうしようもないってことですよ
 と言い放ったKさんに、ぼくはすごすごと出版社を後にすることになりました。
 正直、Kさんの真意はわかりません。
 彼が自らの信念に照らしてぼくの主張がどうしても許せないと感じたのであれば、最初からそう言えばいいのだし、信念を曲げてでも企画を検討したのであれば、それを通すべきでしょう。売り上げなど別な理由から企画を取りやめたいのであれば、それをそのまま言えばいいだけのことです。
 更に言えば、そこまでやる気がなくなったのであれば、ぼくをわざわざ呼びつけなくともメールでその旨を伝えればいい話です。この業界、不誠実で非常識な編集者というのは残念なことに数多いのですが、しかしある程度の間、仕事をさせてもらっていたおつきあいのある編集者さんが(いかに不要になった作家相手と言えど)そうした言動を取る理由が、ぼくにはさっぱりわかりません。
 そんな相手に対してわざわざ時間を費やしてプロットを作成し、「別案ですがキャラクターたちにこのような設定を加えては……」などとドヤ顔でプレゼンしたぼくの方こそいい面の皮です。
 しかも、無理してつけた流行のラノベ風のポップな仮タイトル――
『ぼくの妹が女災に怒りすぎて恐い』
 あぁ……萌えです。萌え萌えです。恥ずかしくて死んでしまいたいです(笑)。
 が、この時のKさんの発言で極めて印象的なものがありました。
『女災』を読んでの感想なのですが、
「兵頭さんはモテたいのかな、と思った」
 とおっしゃったのです。
 あまりにスットンキョウな発言で意図がわからず、ぼくも間の抜けた返答しかできなかったのですが、事後、一ヶ月ほどした時にふと彼の発言の真意に思い当たりました。
 元々、Kさんの口からは東浩紀とか上にも名の挙がった有村悠(笑)といった名前が出ていたのですが、恐らく彼はそうした人々のイデオロギーに影響を受けつつも、フェミニズム関連の知識は持っていなかったのでしょう。ぼくとの会議の後、何かの加減でそれについての意見をグル様だか誰だか影響力のある人物に問い、「
兵頭は悪しき非モテ論壇の一味だ」といったお告げを賜った。
 想像ですが、当たらずといえども遠からずの状況があったのではないでしょうか。
 むろん、このことだけをもってフェミニズムと親和的な進歩派が「まるで北朝鮮のような思想統制を行っている」とか「その底辺には一切の思考力を持たず指導者様の命を実行に移す革命戦士が大勢いる」とか「その組織は『命令に従わない者は、殺す。』とか『平和を愛する者は、殺す。』などといった鉄の掟で縛られている」とか断言したいわけではありません。とは言え、本件を出版やマスコミ業界におけるフェミニズムの影響力の一例として考えることは、できるのではないでしょうか。


 【第7位】みのり師匠プチブーム
 はい、みのり師匠ブームです。
 てか、これはどちらかと言えばぼくの中の「マイブーム」といった方が正しいかも知れませんね。フジテレビデモに絡んで一時期、結構ネットでは騒がれたのですが、すぐに沈静化してしまったようです。
 みのり師匠の「面白さ」についてはかなりしつこく採り上げたので、ここでは繰り返しません(「秋だ一番北原みのり祭!!」、
アンアンのセックスできれいになれた?」、ぼくと彼女の有意義な会話――北原みのりさんとの往復ツゥイート)。
 が、最近、上野千鶴子師匠がまたどこかの雑誌で彼女と対談していました。みのり師匠というのはフェミニストの中ではかなり若い部類に入り、また以降、それほどぱっとした人材が出てきたとは言いづらい。つまり彼女はある意味「
最後のフェミニスト」的な位置にいるとは言えるでしょう。


 レディースコミックやBLの流行後、フェミニズムは説得力を失いました。が、みのり師匠はある種「エロを語る女」という内田春菊的スタンスでメディアに登場しては、フェミニズムを混ぜ込んでプレゼンするという、ある意味で露骨に矛盾した戦略を採ってきました。その矛盾を、彼女は破天荒であんまりお利口さんとは思えないその「キャラ」でカバーしているというのがぼくの印象です。上野師匠がそんなみのり師匠をいまだ登用せざるを得ない辺りがフェミニストの人材不足を、もう「フェミニズム」に明日がないことを雄弁に物語っていると言ってもいいかも知れません。
 更に言うなら昨今、奇矯なフェミニストたちがツイッター上で目立ち始めているのも、ぼくには何だか同様の現象に見えてしまいます(これについては次回に詳しく)。
 師匠の近著、『
アンアンのセックスできれいになれた?』はメディアに「フェミニズムはデキる女のたしなみだ!」と煽られ真に受けたはいいものの、世でフェミニズムが廃れ、後戻りできなくなった女性の怨み節です。しかしこの伝で行くと、後十年もすれば有村師匠辺りの「フェミニズムはデキるサヨクのたしなみだ!」と煽られ真に受けたはいいものの、世でフェミニズムが廃れ、後戻りできなくなったサヨクの怨み節がステキなご本になるかも知れません。

『フェミニストの走狗でナオンにモテた?』

 みんなで買いましょう。


 【第6位】震災に便乗したフェミニストたちのデマ
 今年の漢字は「絆」ということに決まったそうです。
 誰がどこで決めて、決まったら具体的にどうなるのかはよく知りませんが、まあ無難なセレクトであると思います。
 東日本大震災は疲弊しきっていた日本社会にダメ押しの大打撃を与えました。日本は終焉を迎えこれから
日本2.0が始まるのかと思われましたが、意外や意外、日本人はただただおとなしく永遠の日常をいつもと変わりなく生き続けました。
 ガイジンからはキモがられましたが、とは言え暴徒がスラムで大暴れ――といった『北斗の拳』的展開よりはよっぽどいいことは論を待ちません。草食系世代万歳です。もしこの災害が全共闘世代の若い頃に起きていたらどんな恐ろしいことになっていたか……と想像すると戦慄を禁じ得ません。何しろあの世代はレイプを含む凶悪犯罪を
今の四倍から七倍という恐るべき頻度でガンガン起こしていましたから。
 では震災時、力が必要とされる局面で、今のだらしない草食系の男どもは使えなかったのかと言えばさにあらず。男たちは生命を懸け、献身的に被災地での救援救助、復旧活動に尽力しました。一方、『東京新聞』では安全地帯で特に何もしていない女性様たちが「復興の鍵を握るのは女性。母性を持つので生命を大事にできる」などとおっしゃっていました。
 ナニ!? 女性様を「産む性」と位置づけるのはジェンダーに縛られたネトウヨの行為であるぞ!! 不敬罪だ!! フェミニスト様に八つ裂きにされるがよい!!
 ――え?
 あ、はい……。
 失礼しました。上の発言は上野千鶴子大先生によるものでありました。
 黒人が「ニガー」というのがおkであるのと同様、女性様が御自らを「産む性」と規定するのはおkであります。
 ……いつまで経っても本題に入りませんが、要は震災時のデマです。
 男たちが復興に生命を懸けている中、フェミニストはまたぞろ、「被災地でレイプ事件が起きる」などとわめいていました(「物語の海、揺れる島」、
エンタのフェミ様!)。
 恐らく、今回の被災地で「レイプが多発した」とのデマが大規模に垂れ流されることはなかったと思いますが、問題は阪神大震災時にレイプが多発したのだとのデマを訂正することもなく蒸し返したことです。
 しかしこうしたフェミニストの悪質さについていかに糾弾しようとも、世間は「でもレイプ事件は起こり得るじゃないか。だから警告としての意味がある」と繰り返すばかりなのです。なるほど、「大量破壊兵器がない」と証明できない以上、「大量破壊兵器を持っているのだ」と断定されても文句は言えないですよね!!
 ちなみに荻上チキ師匠は新書で『検証 東日本大震災の流言・デマ』というのを出されましたが、「朝鮮人がレイプしに来た」といったデマについてはかなり多くのページを割いているにもかかわらず、フェミニストの件にはダンマリを決め込んでいらっしゃいました。

 でも、考えると情報の隠蔽ってデマと本質がいっしょだよね。


 ――と、気づけばここまででかなりのページを費やしてしまいました。
 5位以降については次回。
 今年中に間にあうのかな……。


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