
『WiLL Online』様でジェンダーレス制服についての記事が公開されました。
「ジェンダーレス制服」を描いたイラストが炎上!
今回の記事は上の記事の前回に掲載された「大荒れに荒れたBL・腐女子の乱」の続きとも言うべき、「ではオタクとして腐女子にどう相対していくか」について書かれたものです。
そんなわけなので上の記事をご覧になってから読み進めることを強く推奨します。
では、そういうことで……。
* * *
我ながら、いいタイトルです。
もうこれで結論まで言っちゃったようなものです。
副題に小山氏の名前を入れることについてはまあ、迷ったのですが、やはり衆目に触れさせたいという気持ちから、入れることにしました。
本稿は小山晃弘氏のnote「BLはゲイ差別を煽る「差別ポルノ」である」を批評的に検討することを目的にしています。
基本、彼は信頼すべき人だと思うので、あまり強いことを言いたくはないのですが、こと本件については首を捻る他ない。いえ、小山氏はかなり前も近しいことを言っていて、LGBT関連については、どうかと思わざるを得ない点が多々あるのです。
正直、時事系YouTuberが「トランスを差別するツイフェミさん」を批判するのと同レベルの不見識ではないかと、ぼくには思われます。
先にもXで長々ポストしたのですが、それに補足を加える形で、本稿をしたためることにしたわけです。
・誤り1.「ホモ≒フェミという大前提を無視している」
小山氏の言い分は以下のようなものです。
が、これはいかにも教条的で生硬と言うしかないでしょう。
いえ、それ以前にホモ差別云々という要はLGBT運動家などの振りかざす言説そのものが、実のところフェミニズムを基礎にした、ニアイコールどころか、イコールで結んでいいようなものなのです。
あまりにも自明なので、ぼくは往々にして説明なしにそれを前提とした文章を書いてしまうこともあり、少々説明不足かなとは思うこともあるのですが、いくら何でも小山氏が、そこを知らないわけはない。
フェミニズムとは基本、男が女を支配し、搾取し、絶対的な優位に立ち続けてきたのだとの陰謀論なのですが、ホモもそれと同様であるとし、言うなら「政治的女性」、「名誉女性」の位置に置くものです。「男は家族制を維持するため、女を道具とし、ホモを差別してきた」というホモソーシャル論はその代表ですね。
つまりホモは被差別者だという言説そのものが、フェミニズムを前提にしなければそもそも成り立ち得ない。
もちろん、ここにはいくつかの反論が考え得るでしょう。
1.市井のホモとおかしな思想を垂れ流すLGBT運動家は別だ。
2.そもそも腐女子もフェミの手先だ。
まず1.については、時折言われることであり、それなりにLGBT運動の実情に即しています。例えば同性愛者の候補者が、同性愛者の広範な支持を得ているならばあり得ないような低い得票率で落選した、など。
しかし言ってはナンですが、小山氏は「女性はうっすらフェミ」、つまり「女性≒フェミ」とも言うべき論調を、むしろ積極的に展開してきた人です(翻って、ぼくがそこは切り分けるべきだと言ってきたことは、繰り返すまでもないでしょう)。
にもかかわらず、市井のホモとLGBT思想は切り分けるべきなのでしょうか。例えば、普段はそんなことを言わない市井の女性も、自分が不利な時、ふと「女性差別!」とフェミを振りかざしてしまうといったことは大いにあるでしょうし、その意味で「女はみなうっすらフェミ」は頷けるリクツですが、そうなるとホモにもそうした傾向はあるのではないでしょうか。厳しく自分を律し、そうしたことをしない尊敬すべき人も、もちろんいるでしょう。が、恐らく「ニアイコールで結べる度」は女性よりホモの方が高いのではないか、とぼくは考えます。女性であるが故の不遇感を抱いている人より、ホモであるが故の不遇感を抱いている人の方が、確率としては高いと思われるからです。
こうなると、2.も同様に無意味な問いです。市井のホモとLGBT思想を切り分けるべきなら、なおのことフェミと腐女子も切り分けるべきでしょう。これについては後にもう少し細かく考察します。
・誤り2「ホモは被差別者である」
或いは、こう考える人がいるかも知れません。
「LGBT思想を退けるにせよ、ホモが差別されているのは事実だ」。
となると、LGBT思想とはまた別な、ホモ差別についての思想があるでしょうか。ぼくは聞いたことがありませんが、ここでちょっと考えてみましょう。
が、その前に、いつも言う通り、ぼくは「差別」という言葉が好きではありません。法制度上の差別というものは、少なくとも先進国においてはゼロに近いからです(男性に対する差別がいくらもあるのはご愛敬)。
ホモ差別もそうで、同性婚ができないことが差別かは、ぼくには疑問ですが、仮にそうだとしてもそれが解決されつつあることは、明らかです。
いえ、それ以前に、小山氏の主張が「BLは差別的である」というものなのだから、ここは国家によるものではなく私人間での差別を考えるべきでしょう。しかし、それを差別としてしまうことがやはり、ぼくには疑問です。
A社がB氏をホモであることを理由に入社させなかったら差別ですが、C君がB氏をホモであることを理由に友人にならないとしても、それは(好ましいことではなくとも)自由だと言うしかないからです。
逆に「差別だからBLは禁止だ」という状況の方が、好ましくありません。
この辺、小山氏がBLに対して要するにどうしろと言っているのかよくわからないし、これはむしろ、ここしばらくのBLへの攻撃が「禁止しろ」などではなく「(平等の原則に照らして、男性向け同様)ゾーニングしろ」というものであるのと同様に、ある種の意趣返し、ある種の確信犯的な極論なのかも、とも思うのですが。
いずれにせよ個人の持つ好悪や印象までも差別というのは、ぼくには受け入れられない。否、これを差別と認めてしまえば女向け漫画の弱者男性の描写も差別となるはずですが、ぼくは賛成できない。ムカつく表現ですし、批判はすべきですが、「差別だから止めよう」と規制することは好ましくはありません。
そもそもがフェミもLGBTもそうした傲慢な規制運動ばっかりやってきて見捨てられつつあるのだから、小山氏の意見はそれと心中しようとするものでしかありません。
ただし、『子宮恋愛』的なドラマが炎上したことが象徴するように、そうしたある種の「ポルノ(これはある属性に快を産む、しかし社会全体で見ればインモラルで不快な表現、とでも定義づけられましょうか)」はウザいからゾーニングせよ、というのは賛成です。男性向けの性表現もあまりに露骨なものは公共の場で公開されるべきものではないし、ホモ向けポルノもBLもまた、しかりでしょう。
小山氏の落としどころがここにあるのならば、ぼくは基本、彼に対して言うことはありません。
もっとも、こうなると「ポルノは反社会的だから正義!」としてきた左派的な表現規制反対運動には、もう本当にとっととご退場いただく以外、ないのですが。
しかし小山氏の考えが「BL表現は差別だからまかりならぬ」というものであるならば、皮肉にもそれ自体が「黒人のくせに白人様を模するなどまかりならぬぞ」との「逆ミンストレル」に対する攻撃になってしまうのです。
ミンストレルショーとは白人が黒人風にメイクし、黒人を演じるショーであり、黒人差別の象徴とされ、小山氏はBLをこそミンストレルショーであると言うのですが、残念なことに小山氏の主張こそ、「ホモ様を演ずるなどとは恐れ多い」というものであるようにしか、読めないわけです。
つまり、一般人のホモへの嫌悪感情が普遍的だということは言え、或いはそれを「差別」と称することは可能かも知れない。が、個々人の感情までも問題にしても、仕方がない。
そして、そうした「気の毒だが、しょうがないこと」を「実は陰謀であり、覆さねばならぬのだ」としてきたのがフェミニズムであることを、これまた小山氏が知らないはずがありません。いつもぼくが指摘するホモフォビアだの異性愛強制社会といった妄想がそれですね。
・誤り3「腐女子はホモにセクハラをし、嫌われている」
小山氏はまた、ホモは腐女子を嫌っているのだと強調します。
彼はいわゆる「ま~ん」といった女性への罵倒は、「弱者男性によるものだ」とフェミによって歴史修正がなされているが、実はホモが始めたものだとも、指摘しています。
これは多分、ぼくも以前言ったことがあるし、恐らく間違いありません。
しかし、ではそれが直ちに、「ホモ様が腐女子からの嫌がらせに悩まされている、高潔で清廉なマイノリティ様である」証拠となるのだろうかとなると、疑問です。
そもそもこの「ま~ん」という言葉自体、弱者男性がいかに卑劣で邪悪かという文脈で持ち出されることが多かった。しかしその主体がホモ様であると判明したその瞬間、女性に非があると解さねばならないという決まりがあるのでしょうか。
「腐女子がホモにセクハラする」といったことはある種の定説であり、ぼくもそうした指摘を否定するものではありません。
しかし同時にホモからの腐女子への攻撃だって普通に行われています。
そもそもホモというものは基本、女性が大嫌いなものであり、もちろんその憎悪感情にも理のある面はあるはずですが、何割かはそうではないでしょう。
『じゃりン子チエ』にはテツに惚れたオカマがチエちゃんの店にやってきて、チエちゃんや奥さんのヨシ江さんに嫌がらせするという描写があります。このエピソード、アニメにもなっていますが、この令和の世では、とてもとても地上波放映は敵わないことでしょうね。
つまりホモやオカマが全員、不当な女性への攻撃を行っているわけではないものの、「ブスが美人を妬む」のと同じ、嫉妬故の逆恨みの憎悪感情はある種普遍的であり、フェミニズムはその逆恨みの正当化という機能を持っているのです。
一方、新宿二丁目で警官にケンカをふっかけ、「オレは国会議員だぞ! ビビっただろう」と恫喝したことでお馴染みのゲイ政治家、石川大我師匠の著作に『ボクの彼氏はどこにいる?』というのがあります。ここでは(多分、中高生の頃)エロ本としてBLを買いに出かけるエピソードが書かれているのです。
「いや、当時は政治的にBLを『ホモへの理解』と解する以外に許されていなかったのだ」との反論も考えられるかも知れませんし、半分くらいは当たっていると思います。
しかし、そもそも今のホモがソフトなイメージを持ってある程度でも社会に認知されているのは、腐女子の影響も大きいのです。
小山氏はフェミが「BLはホモへの理解を促進する」などと言っていることに怒りを露わにしていますが、近年、「ゲイ」が何やらおしゃれなイメージで語られるようになったのは1991年、女性誌『CREA』の特集がきっかけになり、ゲイブームが起こって以降と考えていい。そしてこれは、実質的にはBLブームだったのです(洋画の影響もありましたが、それも女性向けのBL映画です)。功罪あったでしょうが、腐女子のおかげでイメージアップされたというのは一面の真理ではあるのです。
(詳しくはWiLL Online様での記事「フェミニズムに連動して発生した「ゲイブーム」」を参照)
もちろん、それを苦々しく思い、腐女子を憎悪するホモも多かったわけですが、しかしBLを求めて腐女子と接触し、仲よくしているホモだっていくらでもいるわけです。
先に小山氏の以下の発言を紹介しました。
ぼく自身、そうした傾向を否定はしないとも書きました。
しかし小山氏の発言を見るに、やはりちょっと首肯しがたいのです。
彼は「腐女子のホモへの性加害(腐女子に加害者としての自覚がない)」としますが、これは腐女子に限った話では、そしてホモに限った話ではありません。
「女は男にセクハラする」。
これは近年のアンフェの成果として、指摘し得るようになったものであり、広範に見られる傾向であることが明らかになりつつあります。
となると腐女子だけを加害者に、ホモだけを被害者にするなとしか言いようがありません。
小山氏の怒りは腐女子がまるで自分を「ホモを理解する聖母」であるかのように勘違いしていることへも向けられています。
しかし、これはある種、先に述べた九〇年代のゲイブーム期には盛んに語られたイメージであり、近年はあまり聞きません。
今回の小山氏の指摘って全体的に古いんですよね。
九〇年代くらいまではリアルホモとBLに何か関係があるかのような勘違いが、当事者間にもありました。BL雑誌『June』とホモ雑誌『さぶ』は出版社が同じということもあり、合同誌などが出されたこともあります。
が、そうした勘違いは時期を下るにつれ、薄れていったように思います。
これは丁度、ロリコンブームのあった八〇年代初期、サブカル君が「すわ、反社会的だから正義だぞ」と飛びついて、ロリコン雑誌を立ち上げたものの、(そしてごく初期は実写の少女の写真なども使われたものの、受けず)すぐにいわゆるオタク系のエロ漫画家を起用した「ロリコン漫画誌」へと移り変わっていった(そしてそもそも、これらロリコン漫画誌には巨乳だったり人妻が登場したりヘアが描かれていたりで、別段ロリコン漫画ばかりではなかった)という経緯に、大変似ています。
腐女子はオタク男子に比べ「生もの」の伝統があるなど、確かに三次元との親和性が高いということは言えるでしょうが、あくまでアニメや漫画、場合によってはドラマに登場する美少年でありイケメンが絡むのが好きなのであり、別にリアルホモが好きなわけではない。そしてこの傾向は時代を下るほどに顕著になっていきます。
BLは当初、「JUNE系」と呼ばれており、九〇年代くらいになると「やおい」という言い方が主流になったのですが、その頃、「JUNE系好きはセクシュアリティに関心を持ち、実際のLGBTにも理解を示すが、やおい好きはただ、コンテンツに萌えているだけだ」といった勘違い極まる文章が同人誌即売会のガイド雑誌『ティアズマガジン』に掲載されていました。恐らく、JUNE系の古株の貴腐人が、若い腐女子にマウントを取る目的で書いたのでしょうが、全くもって、醜悪極まる話です。
だが、BLが俗化し、左派臭が消えていくに連れ、こうした傾向も薄まっていったはずです。そう、これは丁度、オタク男性も年長者になるほど左派的価値観を内面化して、それを持たぬ若い者を見下したがる傾向と、「完全に一致」しているのです。
しかし小山氏は以下のように言います。
いえ、苦悩がどうのこうのと言った分析こそ、JUNE的な古くさいものであり、九〇年代半ば辺りから、このジャンルはもっとライトなものになっていきます。
あまり言いたくないのですが、極めて研究熱心で、常にフェミニズムについて鋭い洞察をしているrei氏も、残念なことに本件については小山氏に完全に倣っています。
rei氏は腐女子にとってBLは吉野家、即ちファーストフードであるとして、あくまでリアルホモこそが興味の対象であるかのように言います。その論拠として、彼は「おこげ」という言葉を持ち出しても来ます。これはリアルホモに執心する女であり、腐女子の先祖のような存在であると言ってしまえば言ってしまえるのですが、むしろBLの普及によって死滅した――とまでは言えなくとも、ほとんど死語となった存在なのです。
これは言うならば「腐女子のホモへのセクハラ」を立証するには、大昔の話を引っ張り出してこなくてはならない、ということでもあるのです。
・誤り4「言説が完全にフェミに重なっている」
こうした言説がフェミと相似形であることは、既に指摘しましたが、もう少し詳しく見ていきましょう。
今回、本当はしたくないのですが、それでもぼくがここまで小山氏に噛みつかずにおれないのは、それが全く、フェミの物言いのパロディに過ぎないからです。
そう、レズを自称するフェミが男性向けのレズもののポルノに対し、文化簒奪だLGBTへの差別だと言いがかりをつけるのはお約束です。
いつも言うように、オタクには全共闘左翼がストーカーのようにつきまとっており(上のJUNE系とやおいの違いを強調する論者も、その同類です)、彼らはあちこちで電波を撒き散らしていました。
随分昔、エロ漫画評論家を自称している人物がやはりオタク的な百合エロ漫画に対し、先のようなこと(レズへの差別だ)を言っていたのを読んで、ぼくは本当に情けなくなりました。
八〇年代のオタク男性によるエロ表現は、今に比べて遙かにレズが多く、また、触手姦などがよく描かれていたことも、指摘されるところです。
当時のオタク評論家富沢雅彦は後者を「二次元であろうとセックスの主体として自らを描くことにためらいを憶えるが故だ」と喝破しました。
無理もありません。オタク文化そのものがまさに男性性が貶められ、傷つけられ始めた時代に、その中のさらに弱い男の子が始めた表現なのだから。
そこを、上の世代の左翼やサブカル連中は、しかし理解するどころか酸鼻を極めた攻撃を続けて来ました(オタク文化が認められるや、最初から味方だったような顔をして、そうした男の子たちの資産を簒奪し始めたのはご愛敬)。
彼らは、そうした表現に込められたメンタリティを全く見ようともせず、ただフェミニスト様へと媚びを売り(つつ、オタクに寄生し)続けました。本当に、正視に耐えない醜さと評する他ありません。
言いにくいことですが、今回の小山氏の言は、それとほぼ重なるものです。大変まずいことに、Xでは「レズ漫画もレズへの差別」といった旨の発言もしていました。
男の子の辛さとレズ表現の関係性と、女の子とBLの関係性はまた別だと考えることもできましょう。別に女の子にそうした辛さはなかったぞ、との反論も考えられます。
しかしそれでも、女の中では弱者であろう腐女子を、ホモ棒を振りかざして叩く行為に快哉を叫ぶわけにはいきません。
何より、そもそも、言うまでもなく、当たり前の話ですが、この主張を受け容れるならば、一般的な普通のポルノに対するフェミの、「差別であり性加害だ」との主張にも、全く反論敵わなくなるのですから。
もし小山氏が「それは違う」と言い出したとしたら、それはもう、彼がホモという属性を「清廉で高潔なる弱者でありマイノリティであり、論理を超越してただただ崇拝する対象としてのみ存在しうる者」と認識しているのだとしか言いようがない。
しかしホモがそんなに「尊い」存在か……となると、首を傾げざるを得ません。
(本件とは直接関係ありませんが、ぼくはホモの実像がフェミの描写してきた虚像と著しく離れたものであることを、繰り返し指摘しています。それについては以下を参照)
風流間唯人の女災対策的読書・第36回「モー○ー幻魔大戦」
風流間唯人の女災対策的読書・第33回「腐女子vsLGBT 勝った方が人類最大の敵になる!?」
さて、『ルパン三世』第一期十九話「どっちが勝つか三代目」のタイトルパロディから入りました本項、本稿のまとめとなります。
今までぼくはずっと、表現の自由クラスタのような左派をオタクの目の上のたんこぶであると形容してきましたが、今回はフェミと腐女子との関係性がそれと全く同じであると指摘しました。
もちろん、腐女子の中もフェミはいるだろうけれど、若い腐女子になるほどその率は減っていくと想像できる、ということです。以前、北田暁大師匠の『社会にとって趣味とは何か』では腐女子=フェミとされていましたが、挙げられたデータは恣意的極まるものでした。
それはオタクとサブカル、或いは左派とにも明確に線引きできるものではないが、それでもあくまでも両者は異なる、ということと全くいっしょです。
ここで全く線引きも切り分けもしないのでは、やはり腐女子が可哀想だとぼくは考えます。オタクだって、端から見れば「左派に騙されてSEALDsみたいなことやってたヤツら」と言われかねない状況にあるんですから。
そのくせ彼ら彼女らは都合が悪くなったら下々の者を平然と斬り棄てます。近年の左派界隈が「ツイフェミ」を斬り棄てだしたのは、その好例です。
ツイフェミも「家庭重視フェミ(笑)」もそして「腐女子」も適当に持ち上げておいて、邪魔になったら斬り捨てる。
そうしたヤツらのやり方に乗っかるわけには、いかないのです。
「俺とお前たちは違う」とぼくたちも腐女子も、左派やフェミに対して言っておかねばならないのです。