「女災」とは「女性災害」の略。
男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。
このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。
当初、OCNで開始し、目下はニコブロ(兵頭新児の女災対策的随想)へと活動の軸足を移しているのですが、2014年11月末をもってOCNのブログサービスが終了し、このままではニコブロ以前の記事が消えてしまうことになるので、保存の意味で新たなブログを立ち上げた次第です。
こちらのブログも更新していきますが、ただし新しい記事は基本、ニコブロにupしたものを遅れてupしているものです。
後、考えるとプロフィールにメアドが記載されていませんので、こちらに。
shin_2_h☆juno.ocn.ne.jp
何かご用の向きは上にご連絡を(☆→@)
以上、そういうわけなのでご了承ください。
■6月8日更新!!
ぱっと見だと更新したかどうかわからないので、更新した時はここに日付を書くことにしました。
ここしばらく続けている、「弱者男性論論」についてです。
男性ヘイト記事の騎手、藤田直哉師匠が連載の、第七回について。
もっともnoteでは再新聞の第八回についての記事も挙げられているので、興味のある方はそちらもご覧ください。
このサイト、最新記事を大変見つけにくい上にリンクも間違いだらけで、何とかして欲しいんですが……。
ちなみに本稿、Xでちょっと書いたものをリライトしたもので、内容はその時とほぼ、同じです。
それでは、そういうことで――。
結論から書けば、相も変わらず「暴力性=有毒な男らしさ」は悪いで~ちゅ、というだけの幼稚極まる内容です。
今回テーマとなっている『アドレセンス』はぼくが出させていただいた『ABEMAプライム』でも扱われた、「マノスフィア」をテーマとしたドラマです。
マノスフィアというのは別にそうした組織があるわけではなく、欧米のSNSにおける、弱者男性のコミュを指す言葉。主人公の少年はそこに入り浸り、ガールフレンドを殺してしまうと言う、まあ、お察しな内容なのですが……。
ただ藤田師匠はこれに対し、主人公の父親が男の暴力性に対峙し、それに抵抗してきた人物であることがドラマ内で描写されていること(ところが裏腹にドラマの感想でそれに言及している者が少ないこと)を指摘しています。確かにそこだけ見ればドラマに誠実に対処しようとしているかのように一見、見えるのですが……。
ところがそこまでしておきながら結局は「暴力性=有毒な男らしさ」は悪いで~ちゅ、と関西芸人の一発ギャグのように「同じオチ」繰り返すばかり。
途中までは真剣に考えるが、そこで脳がフリーズし、再起動してまた聖書の記述を朗読している、といった案配。
これはベンジャミン・クリッツァー、白饅頭、橘玲各師匠が同様のテーマを語り、途中までは進化心理学の類を振り回して「性差は存在する」と語りながら、いきなり「フェミ様は正しいで~ちゅ」とそれまでと打って変わった結論をとってつけるという奇観と「完全に一致」しているのです。
本稿の後半はかなり男性性について共感的に捉えているようなことが書かれ、そこはそれなりに賛同できるのですが、ならばフェミが間違っていたという結論にしかならないはずであるところを、何か「(男を)変えていかなければならない(大意)」とかほざいて終わり。
マノスフィアについてもマチズモの牙城と決めつけ、「彼らは何故男らしさにこだわるのか」と首を捻る。
ぼくも海外事情については知識がなく、その真偽を云々する材料を持たないのですが、十中八九、左派の妄想でしょう(理由は後ほど)。
まあ、「第一次産業っぽいのが衰退したせいで男の価値が減じた、それは近代社会の必然」みたいな分析は正しいと思うのですが、「なら男らしさにこだわるのは正しいじゃん」という感想しか出てきません。
だが、彼の入信するカルトにとり、「男らしさ」は絶対悪なのだから、そんな考えに至ろうハズもないわけなんですね。
大体、あそこまで「弱者男性問題」は「非モテ問題」でなきゃいけなかったのに、いきなり「労働問題が云々」と述べ出すのは何故か、さっぱりわかりません。
(もちろん女が労働の場に進出する一方、男を養わないという問題からは、全力で目を伏せ続けています)
第一、マノスフィアというのは基本、SNSで展開しているはず。つまり夥しいテキストの蓄積があるはずなのです。ところが藤田師匠は教祖様たちのありがたいお言葉は嬉しげに引用するのですが、マノスフィアの声について一切、伝えようとしません。これは本連載が一貫して採用している方法論です。相手を見ず、ただ相手に向けて銃撃を続けるというのが、師匠の方法論です。
さらに言えば藤田師匠のみならず、上に挙げた「弱者男性を語る左派」は全員、弱者男性の論調を歪め、そのソースを提示しないという悪質極まる手法でプロパガンダを今まで繰り返し続けてきました(詳細は以下の動画を)。
上にマノスフィアについての師匠の言は「十中八九妄想だろう」と書いた理由はそれで、今まで嘘を重ねてきたのだから、上の瞬間だけ正しいことを言っているとは、到底考えられないということなのです。
風流間唯人の女災対策的読書・第69回 啓蒙エロ漫画家の憂鬱――ぼくが男性差別はないと考える理由
第69回です。
炎上を繰り返す藤田直哉『フェミニズムでは救われない男たちのための男性学』。
第六回ではイーロン・マスクを障害者だとして嘲笑する悪辣さを見せつけてくれました。もちろんこうした差別は左派の十八番。しかしならばぼくたちは、ただ彼ら彼女らを差別者として糾弾すればいいのでしょうか?
まず「差別」という言葉そのものに「差別性」が潜んでいること、また藤田の同族はこうしてずっとオタクへと卑劣な攻撃を続けて来たことについて、学んでみましょう。
ここしばらく、サブチャンネルに動画を投下するのをサボっていたので、続けてうpしているのですが……。
ともあれそんなわけで第六十八回目です。
今日もSNSは「弱者男性論」喧しいですが、その最新と言えるのは本記事。
昔からサブカルであった藤田直哉の論考はサヨクの典型と言うべきものですが、しかし一昔前とは異なる点も。
動画中で挙げられた動画については以下を。
前回動画
・風流間唯人の女災対策的読書・第67回 『若者を見殺しにする国』――平成の弱者男性論
杉田俊介など
・風流間唯人の女災対策的読書・第39回『男がつらい!』
・風流間唯人の女災対策的読書・第40回「男性学最終解答」
クリッツァー関連
・風流間唯人の女災対策的読書・第60回「フェミさん総選挙――民意も左意も反フェミ?」
トイアンナ関連
・風流間唯人の女災対策的読書・第58回『ぼくたちの女災社会』[増補改訂版]刊行記念!「男性差別」から「弱者男性」へ
さて、実はずっと動画のサブブログへのうpを忘れておりました。
久々にうpしましたので、まずはそちらをご覧ください。
風流間唯人の女災対策的読書・第67回 『若者を見殺しにする国』――平成の弱者男性論
さてそれと、ABEMAプライム出演の件。
【マノスフィア思想】ドラマで話題…男性主義や女性蔑視を訴えるコミュニティ?孤独な人の逃げ場?|アベプラ
出させていただきました、アベプラ。
青識亜論師匠、すもも師匠も出た当番組。
テーマはイギリスのドラマ『アドレセンス』でも扱われた「マノスフィア」について。
マノスフィアとは要するに欧米のSNSにおける非モテ、アンチフェミ界隈のことであり、ドラマはそれに影響を受けた少年が少女を殺してしまうという内容。これが大変な反響があったため、今回のテーマとなった、ということのようです。
ぼく自身、ドラマは未見ですし、マノスフィアについても大した知識はないのですが、まあ、他に詳しい方もいないらしく(そもそも番組自体が本当に駆け足で作られており)、出させていただく形になりました。
顔を隠してのリモート出演という形なのですが、初っぱなから番組に音声が乗ってることがわからずにしゃべってしまい、テレビ初出演で全国に恥を晒すことに。シェリーめぐみさんの発言を遮る形になり、そこは申し訳ありませんでしたが、まあ、それなりにしゃべらせてもらえてよかったかなと。
さて、内容的には、いろいろ事前に台本など見て話す内容など考えていたのですが、冒頭のひろゆきさんの一言で番組のムードは瞬時に変わり、後はひろゆき無双。
今回、マノスフィア事情の紹介を行った言わばホスト役がシェリーさんだったのですが、彼女の言に噛みついた辺りは痛快でした。
具体的な内容は番組を観ていただきたいのですが、ともあれこの種の情報が旧メディアから発信される時は常に男が悪者、その主張は不当な偏見、女性側の落ち度は一切語られない、という鉄則を持っており、ひろゆきさんが批判したのはまさにそこです。ぼくも彼については(もちろん頭のいい人ではあれ)この種の問題についての発言に対しては批判めいたことを書いたこともありましたが、しかしやはり今回、大したものだ、俺の出番ないじゃんといった感想を抱かされました。
ただ、そのシェリーさん含め、番組自体にマノスフィアそのものをただ否定的に悪魔的に語ろうという意図は最初からなく、それなりに理解を示そうという姿勢が前提となっており、番組全般(もちろん三十分ですからそこまで深いところに切り込んだわけではないのですが)、いいものになっていたと思います。
一つだけ感想を書くとすると、モデルのシャララジマさんが「非モテが本当に憎むべきは強者男性」と発言した時、ぼくも反応して反論しましたが、ひろゆきさんは「強者男性は弱者男性を憎まない、いっしょに飲みに行ったりする。ところが女性は弱者男性を憎む(大意)」といった発言をしていて、そこが興味深かったです。
女性にしてみればまず何よりも同性を妬み、憎む。だからこそ「男性もそうすべきだ」との理論になるのでしょう。
ホモソーシャルというというフェミの論法も、拡大解釈(というより誤用)が流布していますが、本来は「恋敵同士であるハズの男同士が連帯している、女を結婚に導くために実はグルになっているのだ」という意味不明の妄想だったのですが、これも女性の感覚に照らすと、「正論」なのかも知れません。
ひろゆきさんはそこへ、「いや、あんたたち男の感覚知らないままデタラメ垂れ流してばっかじゃん」とツッコミを入れたのです。