
さて、あんまりやる気はないんですが、続きです。
いや、書いてる方が初っ端からこんなことじゃ、読まされる方こそ読む気がなくなるでしょうが。
しかしそれは、人のせいにするようですが、先方が「同じ一人言をただ、繰り返すモード」から抜け出さないからです。
ひるがえってこちらとしては毎回、内容にそれなりに新味を持たせようとしているのですが。
今回はその新味の一環として、暇空茜に対してもよく言っていた、「思想のない」タイプの人間がどのようなものかを指摘してみようと思います。
では、そういうことで……。
ぼくは今までずっとウィックジェイ氏の抱える致命的な問題をいくつも指摘してきた。
彼がそれに有効な反論をし得たとは言いがたいが、やはり中でも「ウィックジェイ氏はフェミという言葉の意味を捻じ曲げている」という指摘は重要で、今回の彼の反論も専ら、しつこくそこに拘泥していた。
残念なのはそれが(今までと同様に)居直りに過ぎず、反論足り得ていないことなのだが……。
(中略)
『だんなデスノート』や『射精責任』が「フェミニズム本」とは言えない、その一言だけでも相当に今のアンフェ達の求心力を失ったでしょうね。
いや、ぼくが認める認めないではなく、彼女らがフェミではないのは、客観的事実なんだって。
それをウィックジェイ氏やその他フェミを守りたくて仕方のない左派の御仁が、事実をねじ曲げてるだけなのだ。
(もちろん、表現の自由クラスタでも下っ端やYouTuberなど、知識がなく、彼らの誘導に乗っている者も、大勢いる)
そのことは今まで幾度も幾度も、相当数の文字数を費やし、述べてきた。
こうした彼らの流布したデマを受け容れないと、痛い目にあったりアンフェの求心力を失ったりするそうなのだが、もちろん根拠は記されない。
まあ、ご当人が「どうぞご勝手に、としか言いようがない」と言っているように、これは反論に窮しての捨て台詞、フェミの「モテない」といっしょで、実質敗北宣言だ。
もっとも、これは「左派の主観」では正しいのだろう。
そもそも左派というのは現在においては専ら「デマの流布」だけが業務となっているし、また彼自身が指摘したように表現の自由というものはなく、上の押しつけるデマを受け入れない者は「痛い目」に遭う。また彼らの業界における「アンフェ」とは「フェミの傀儡」との意味なので、ぼくが彼らからの求心力を失う、というのも彼にとっては「事実」なのだ。
どわはははははははははは!!
本当にそうした事実があるのか、ソースが提示されていないのでわからないが、本当だろうとウソだろうと、社民や共産が保守ではないという「事実」に変わりはない。
何故ウィックジェイ氏はこんなデタラメを弄するのか。
例えば今回の選挙は単純に右左と言うよりは新旧の戦い(旧が新に敗れた)といった感が強く、「保守/革新」を「旧/新」と解釈すれば、一応、共産なり社民なりを「旧」とは言える。どうも、彼が言いたいのはそうしたことのようだ。
しかしそうなると、参政党や保守党は言うまでもなく「左翼」と言わざるを得なくなる。
「フェミ」という言葉もそうなのだが、彼は議論中、常に言葉を文脈から抜き取り、その定義を変幻自在にねじ曲げ、反論の真似ごとをする。
そもそも彼がどうしてこんな珍説を弄し始めたのかというと、「フェミは保守派なのだ」とのウソを正当化するためだ。だがその珍説を受け容れるなら逆に「家庭重視フェミ」は保守派じゃないことになってしまうわけで、卑劣な詐術というしかない。
ただ、これは幾度か繰り返しているけれども、彼は悪意で卑劣なことをやっていると言うよりは、完全に天然なのではないか、と思う。
思考という作業に慣れていない人は、往々にしてこうした話の持って行き方をする。相手の主張を咀嚼してそれに対して論破するのではなく、ただ、言葉をつぶてのように投擲して相手を黙らせれば勝ち、というのが「議論」であり「対話」であると、彼らは本当に思っているのだ。
これはまた後でちょっと広げるので、憶えておいて欲しい。
また、ウィックジェイ氏は自身の「(フェミは結婚を全)否定しない」という主張をぼくが「全肯定している」とねじ曲げて解釈しているのだと言い募る。
が、ぼくは「全肯定している」などと言っていないし、そもそもこの主張の根拠として引用されているぼくの発言と、ウィックジェイ氏の主張(言いがかり)とは全然噛みあってないし、その引用箇所のぼくの発言の意味も、理解が及ばない様子だ。
以降、彼は「フェミは結婚を全否定していない」という彼の妄想を証明しようと、ドウォーキンの「結婚制度は奴隷制度」とうテーゼは「妻が夫や子供を奴隷にする制度であると解釈し得る」みたいなことを言い出す。
ここは(も)本当に何度読んでも何が言いたいのかよくわからない。
「ドウォーキンがそうしたこと(「結婚制度」を夫や子供を奴隷にする制度へと作り替えよ)を言ったのだ」、と言っているのか、それとも「そうした主張している別なフェミニストがいる」と言っているのか。
いや、恐らくだが、彼の言わんとしていることはいずれでもなく、「仮にそのように考えれば結婚制度はフェミの眼鏡に適うモノになる」とのリクツになるので、「そのような主張をするフェミがいる可能性はあるよ」というものなのではないかと思う。
つまり「ひょっとしてあるかも知れないこと(わけのわからない妄想)」を仮想することで、彼は「やっぱり俺の言ったことは正しかった」と言っているのだ。
そしてこの論法は、今までにも指摘してきたように、彼の主張の中に常に立ち現れている(白饅頭についてのわけのわからない擁護など)。
「一般の普通の女とフェミとを分けよ」というのがぼくの主張だと言うことは、どうもようやくおわかりいただいたようで、そこは大変めでたいのだが、それについて、彼はとんでもない反論を思いつく。
「一般の女もフェミが自分たちを結婚から遠ざけたということは知っているが、フェミの主張する性観念、家族観解体という志向を否定しきれないが故、男のせいにしているだけだ(大意)」。
もちろん、一般の女がそう考えているという根拠は、何一つとして示されない。
仮に「一般の女」がフェミの主張、志向を否定し切れていないのであれば、そんなヤツは実際には「フェミ」そのものなのだから、これはトートロジーで、単に「一般の女もフェミだったのだ(証拠はないけど)」と言っているだけだ。
しかし一般の女がフェミの目的は恋愛、家庭解体だというコアな部分について知っているわけがないし、共感するわけもない。していれば、電話帳のような結婚情報誌が出続けているわけもないのだ。
そもそもそうなると「家庭重視フェミ」とやらがどこにいるのかわからなくなる。
彼の主張は前提も間違っているし根拠もないし、本来の主張とも整合性が保てないものばかりだ。
もう、ここまで見てくれば明らかだ。
彼の思考経路は「俺は正しい、しかし証拠はない」、「だがもし現実がこうであるならば、俺の主張の辻褄があう」、「だからそうなのだ、そうじゃなきゃ嫌だ」というものであり、先に挙げたわけのわからない主張も、そうした過程によって生まれてきたものなのだ。
これはUFOのトリック写真を暴かれて、大慌てで「待て、UFOの隣に写っている飛行機、一見飛行機に見えるがこれこそが飛行機に偽装したUFOなのだ」と言い出すようなものだ。
確かに、「単に飛行機が飛んでいる写真」を掲げられ、「実は偽装したUFO」と言われれば、絶対にあり得ないとまで断ずる根拠はない。だがそれでその飛行機がUFOだ、と実証したことにはならないのだ。
これはオカルト業界の人たちの主張に非常に広範に見られるもので、例えば万有引力を否定したい人が、「リンゴが木から落ちる現象」をエーテル理論(リンゴはエーテルの滝に流されたのだ)で「説明」し、そこで「論破終了」とするなどがお約束だ。つまり、「こうした可能性がある」との仮説の提示と「証明」とを彼らは区別できずにいるわけだ。
それもこれも、聖書の原理主義的な解釈以外の思考が何一つ許されない、左翼の業界の体質なのかも知れない。
またぼくは前回、とにもかくにも昭和的ジェンダー観を否定しようとする彼を批判し、以下のように書いた。
それに対し、彼は以下のように再反論を試みている。
え?
これって本当に同性愛とか夫婦別姓を持ち出したがる、フェミそのものだよなあ。こっちはあくまでトータルな幸福感について述べているのに、彼は「少数派を切り捨てるな」と言っただけでそれを覆せると思い込んでいる。こちらが挙げた反論など何も検討することなく、それだけで「言い返せた」と思い込んでいるのだ。
どうしてもそれが正しいというのであれば、「定年するまで父親の顔もほとんど見たことがない」子供がどれくらいいるのか提示すべきだろう(まあ、「ほとんど」という言葉を拡大解釈すれば、こんなのどうとでも言えてしまえるんだけど)。
そもそも「③だけを許すムーブ(はけしからぬ)」などと言っているけど、こちらのスタンスが最初から③、つまり「昭和回帰論」だということを、ひょっとしてこの人、いまだに理解できてないんだろうか。いや、自分の脳内の「正義」があまりに自明で、ついこのような表現になってしまうのだろう。彼の言説には非常に往々にして、そうした傾向が見られる。
(ただし、③は「伝統主義・共同体主義からのフェミニズム批判」とされていて、この分類、認識もあまり好ましくないことは、既に述べた通りだ)
れれっ!?
今まで、ぼくは「左派の表現の自由のなさ」を指摘してきた。しかもそれはウィックジェイ氏の言い訳がそれを前提したものであったからで、ぼくは頭を抱えながら(この経緯も理解できてなさそうだなあ)、そこを辛抱強く指摘してきたつもりだ。
しかし、「アンフェの表現の自由のなさ」って何だ?
今までにそんな話は出てきてないぞ。
恐らくだがこれは、本当に脊髄反射で相手にボールを投げ返しただけなんじゃなかろうか。「バーカ!」「お前こそバーカ!!」というヤツだ。自分が絶対にカシコである以上、バカだと言われた自分よりも相手はさらにバカに「決まっている」のだ。
もちろん、左派に表現の自由がない以上、左派のアンフェにも表現の自由はない。
だからこれまた、「彼の主観」では正しいのだろうが、だからこそ左派のアンフェ(なんていう形容矛盾なモノ)は否定されるしかないものなのだ。
ここに限らず、どうにも左派は自分のいる山小屋を全宇宙だと思い込み、事実の認識がおぼつかない傾向があるように思う。
冒頭にも挙げた暇空茜と、ウィックジェイ氏は同じタイプであるように思う。あくまで目に見える利益と勝利を得ることこそが目的という現実主義者であり、思想というものを持っていない。そのため、「勝てればいい」のであり「思考」というものに慣れていない。
ぼくは彼らを愚か者だと嘲笑したいわけではない。
暇空はまあ、ちょっと、今は不調だが、それでも裁判に訴えるなり都知事選に打って出るなり、結果としてあまりいいものを残せなかったものの、とにかく現実と格闘して明確な勝利を得ようとしているところは、ある意味エラい。自分の適性を理解しているとも言える。
しかしウィックジェイ氏は人工子宮だなんだと唱えているわりに、別にそれに対するシミュレーションを行うわけでもない。何とはなしにUFOを求めて宙を眺めているばかりだ。
ぼくはまずフェミとの戦いは思想戦であり、暇空や彼のようなやり方を評価はしないけれども、しかし彼がどうしても主張を通したいのなら、彼に見あったやり方で、それを世に問うしかないのではないか。
幾度かUFOを例に出した。
ぼくは今まで彼をシャアとかドゥガチ(とかジャイアン)に準えてきたが、やはりここはオカルト信者に準えた方がわかりやすいかも知れない。
一九六〇年代はUFOブームで、一般的にも「ひょっとして宇宙人がUFOに乗ってやってくるんではないか」といったムードは薄々あった。そんな中、CBAというカルト団体は「地球の終わりは近い、しかし我が団体のキヨラカな心の持ち主だけはUFOが飛来して助けてくれるぞよ」と主張し、騒動を起こした。
丸っきりジェンダーフリーのパロディでしかない皮相的な人工子宮論をぶつも、明確なビジョンも何もない彼は、まさにこうしたUFOカルト、人類が滅亡するのに自分たちだけはちゃっかり助かるというおとぎ話を信じることのできるお調子者たちとそっくりだ。
(その意味で彼が「宇宙人様のお告げを無視した兵頭には神罰が下るぞよ」と脅しているのも実に象徴的だ)
だが、UFOの飛来を信じてお祈りを繰り返しても、恐らく彼らが助かる未来は、ない。
それでも神罰が恐ろしいと言うなら、彼の教団に入ればよい。
もっとも、カルトの唱えた時期を過ぎても人類は滅亡していないという事実だけは、頭の片隅に入れて措いた方がいいかもしれない。予言が外れたことに、責任を取った教祖様は有史以来、ただの一人もいない。