
またまたウィックジェイ氏から反論がありました。
まあ、正直言うと(申し訳ないですが)あまりこっちはモチベが沸かないでおります。
両者が全然噛みあわず、これ以上続けてもあまり意味がないなと感じているからです。
が、このまま無視するわけにも行きません。逐次、反論を加えましょう。
いつも通り、山本弘調(になっているのか?)です。
では、そういうことで……。
もっとも、そうは言っても今回のウィックジェイ氏の反論、前回同様専ら「伝統主義フェミ」についての、あまり反論になっていない反論ばかりで、前回も指摘した白饅頭の件(引いては左派に言論の自由がない件)、女が家庭に入りたがるのは政府の陰謀だという件、何とかポイントの件も、反論はなかった(「何とかポイント」という表現が不満だとのお気持ち表明はあった)。
もっとも、「伝統主義フェミ」についても、似たようなものと言えば似たようなもの。
それを無視しているかのように私が「『伝統主義フェミニズム』という『存在しない概念』をでっちあげている」ように言いふらしています。
先の記事でウィックジェイ氏は「伝統主義フェミ」という表現も語弊がある、と言っていたにもかかわらずぼくがその言葉を使い続けたことに対して、不満を述べているのだ。
それに続き、敢えて言えば「家庭重視フェミ」とでも称するべきと言っているが、しかしぼくの文章の「伝統主義フェミ」を全て「家庭重視フェミ」に変えたところで、論旨は全然変わらない。
何しろ彼自身がぼくが以下のように言っているのを、引用しているのだ。
ぼくは、ずっと「彼の言うフェミがフェミでも何でもないこと」をこそ、指摘している。
しかし、それに対する反論もせず、ウィックジェイ氏は「兵頭は自分の記事を自分の好むように解釈してくれないぞ」と「指摘」しているだけなのである。
その後、彼は伝統主義だか家族主義だか、どっちでもいいけど彼の脳内にしか住まわないフェミが「主婦の優遇に異を唱えたことがあるだろうか(いや、ない)」などと言っているのだから、むしろぼくの言うことを裏書きしてしまっている。
ぼくは彼が愛する人を守るため、家族制だの主婦だのに親和性を持つ、ごく一般の女性をフェミニストだ、と強弁していることを批判してきたのだけれど、いまだ彼は、そこが理解できないままなのだ。
次に彼は参政党の「高齢女性は子供が産めない」との発言をフェミが叩いた、しかし彼女らもまた「男が埋めるのウンコだけ」などと言っていた、つまり自分の妊孕性を肯定しているから、スタンスは同じだ、などと言い出す。フェミが参政党に批判的なのは、ただ党派性で保守を否定しているだけだ、というのが彼の考えだ(この人の文章は意図が取りにくいのだけれど、まあ、普通に読めばそういう解釈になると思う)。
もちろん、そんなわけはない。妊孕性に縋るからこそ高齢出産の否定を受け容れがたいと考えた方が自然だ。しかし、彼にとっては自分の嫌いな者は保守派でなくてはならず、「ウンコだけ」の連中を保守派だと言い募っている。言うまでもなく、社民の福島瑞穂師匠も共産の吉良佳子師匠も保守なのだ。
そして肝心の「事実婚」問題については以下のように言う。
わけがわからない!
当初、「フェミ(のほとんど)は社会的営為としての結婚を否定しない」と言っていたのは彼の方なのだから、今さらそんなことを言われても困る。批判に返せず主張を撤回した、と言われても仕方がないだろう。
この後、「「事実婚という選択肢の存在」を暗示しているものは決して少なくな」い、などとも言っているが、暗示なんて言われても困るし、そもそもそんなのはぼくが既に「結婚率が高かった頃のフェミは次善の策として事実婚を選択していた」と書いている。本当に進退窮まって苦し紛れのことを言っている、としか言いようがない。
ぼくは前回、以下のようにも書いた。
それに対し、彼は驚くべきことに以下のように返している。
また全然、噛みあっていない(笑)。
言うまでもなくぼくは「ウィックジェイ氏の妄想する、フェミの見解」を分析して見せたのだが、彼はそもそもそこを読解できず、どうもぼくの主張を「社会全般の通念」について語っているのだと思い込んでいるようだ。
一体何をどのようにすればこのような誤読ができるのだろうか。
次に第四波フェミニズム(柴田英里師匠)についても書かれているのだが、これもぼくの指摘と何ら噛みあっていない。
時々、相手への反論に窮して、対話を止め、一人言を言い出す人がいるが、彼もそのフェイズに入っている。
その証拠に、結局彼はぼくの指摘に何一つ反論を加えることのできないまま、以下のように言い出すのだ。
そんなことは本編にまともに答えてからにしろ(笑)!!
ここで引用されているのは、「フェミを潰せばどうにかなる」というぼくの基本スタンスなのだけれど、彼は「そもそも、フェミなど高齢者ばかりだから、何もしなくてももうちょっとしたらみんな死ぬ(大意)」と言い出し、以下のように続ける。
じゃあそれでいいじゃん(笑)!!
いや、もちろん、そんなはずはない。
ここまで異常なまでのフェミブームが起きているのはそもそも、女性が(フェミニズムの成果として)結婚から遠ざけられたからなのだから、フェミニズム側は(彼の夢想する「家庭重視」ではなく)普通に結婚を憎む女をいくらでもスカウトして、教育して、学者としてのフェミに育て上げるルートを持っており、事実、若い連中はいくらでも育っている。
しかしそれは措くとして、彼の主張の過ちは(フェミ様をお守りするために)「伝統主義フェミ」でも「家族重視フェミ」でも何でもいいけど、「普通の、女」を「非実在フェミ」に仕立て上げているところにある。
ぼくの主張は要するにそんなのは「ただの、女」だ、そしてフェミを潰すことで、女を「ただの、女」に戻すべきだ、というものなのだけれど、彼はいまだ、両者のスタンスの違いについて、理解の端緒にすらついていなかったのだ。
その後も、彼は以下のように続ける。
離婚そのものがフェミの思想と親和性があることは、いくら何でも彼だって知っているはずで(つまり、フェミを潰せば離婚率が下がるのは自明なのだから)、そもそも前提がおかしいし、ここにはフェミ大好きさんの陥りがちな罠が隠れている。
以前もぼくの「昭和回帰論」に噛みついて、「自分のおばがDVに遭っていたからダメだ」などと言い出した人がいた。
ぼくは昭和が一切の問題がなく、全人類が幸福なパラダイスだった、と言っているわけではない。ただ、今よりマシでしょ、と言っているだけだ。
そこを、昭和でも家族制でも結婚でもいいんだけど、そのネガティビティだけを持ち出して「定年するまで父親の顔もほとんど見たことがない」なんて極論を唱えるのは、もう頭が偏見で凝り固まっている証拠だ。
これはそれこそバブルの頃にフェミがよくしていた「男社会批判」で、彼はその頃から頭が止まっているとしか思えない。それに昭和の時代は休日が少ないなど、労働時間は今より長かったけれど、今の方が短時間で成果を求められ、労働が高密度であるといったことも言われている。今の方がいいとは全然言えないのだ。
ここは、ウィックジェイ氏に限らず、(或いは保守寄りの人でさえ)「フェミ教育」があまりに浸透し、そうした昭和なり家族制なりのネガティビティばかりが世に流布されており、それに瞞されきっているという面もあるかと思う。
結局、最初から、彼は、家族制だけが憎く、それを認める者をこの世から排除するまで、止まらない人なのだ。実際、彼は「女性の妊孕性を深く憎む」と明言しており、何というか、一般的なアンチフェミとはまた違う感情的動機が、内在しているように思われる。
今回の彼の「反論」は悪いけれども、今までで一番質の悪いものとしか言いようがない。
「対話」が成り立っておらず、先に書いたように単なる一人言以上のものではないからだ。いや、前回辺りからそれは顕著だったけれど、今回は一人言と言うより、ジャイアンリサイタルになってしまった。
ぼくはずっと「彼はフェミではなく妊娠、結婚できる一般の女をこそ憎んでいるのだ」と指摘し続けてきたのだけれど、彼は今回、「お~れ~はジャイア~ン、フェミではなく妊娠、結婚できる一般の女をこそ憎んでいるぜ~」と歌い出してしまった。
彼は敬愛するフェミ様を正当な批判から守る「人間の壁」として「ただの、女」を選んだ。一生結婚できなさそうな、そして結婚を否定しているフェミより、最初から彼は結婚、出産している彼女らの方が憎かったのだから。
いや、彼が最初から「だからフェミ様は正しいのだ、悪いのは一般の女だ」と主張しているのなら、わかる。
ところがコソクなのは、彼の文章を見ると「フェミニスト」という言葉をある時は明確に「学問、思想としてのフェミニズムを支持する学者や文化人」という意味で使っておきながら、ほとんどの場合では「普通の、女」を指す言葉として使っている点だ。フェミ様への批判を一般の女への攻撃へとすり替えるために。
ここまでは表現の自由クラスタなどにもよくいるタイプなのだけれど(青識師匠など、ここしばらくの主張には賛成できる点が多いのだけれど、先日、やはり近いことを言っていた)、どうもウィックジェイ氏は天然なのではという気がする。
それは恐らく「フェミ様は天地創造の神であらせられる」という左派の聖書の記述と、世間で(何なら左派界隈でも)のフェミの評判の悪さとのダブルバインドの末に、こうした二重話法(一つの言葉に相反する二種の概念を込めること)を獲得してしまったが故のことではないか。
前にも書いたことがあるけれども、カルトの信者は一方では会社員など市井の人間としても暮らしている。そのため、認識がチャンネルするようになっており、彼ら彼女らの中では「1+1=5である。と共に1+1=2でもある」といった認識が生まれてしまっているのだ。
そして、それを「敵を煙に巻く」「市井に紛れる」ために使っているならいいのだけれど、少なくとも彼の場合は、自身がそれに絡め取られ、言動がメチャクチャになってしまっているようにしか見えないのである。