兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

モテたい理由

2010-05-14 00:14:53 | レビュー

 某自称「アルファブロガー」が「女版電波男」と評していたのでついつい手に取ってしまったのですが、残念ながら「電波女」指数は限りなくゼロに近いと弾言せざるを得ない、女性誌をタネにだらだらと思いつきを並べたたけの「ガールズトーク本」でした。というか、本書の文章は大変に読みにくく、ひょっとして著者の本意をぼくが読み取れてない可能性もありますが。或いは十五分ほどで読み飛ばせば、「素晴らしい本」であるとの読後感が得られるのかも知れません。


 しかし何でこの種の研究者って女性誌が大好きなんでしょうね。というか、それはぼくが著作でオタクネタを連発したのといっしょで、普段からそれらに空気のように接しているからなのでしょうが。実際、ここまで雑誌が売れない売れないと言われている中、女性誌だけはものすごく売れているそうで、要は女性というのは指針が欲しいものなんでしょうね。
 読んでいくと本書の「女性誌分析」にもちょくちょく、鋭いと言いますか、面白い着眼があるのですが、それは『電波男』的な「内面の吐露」というよりは単なる女性誌を上から目線で眺めた上での、著者にとっての「ムカつく女」への攻撃に思えます。まあ、それはそれで別に悪いことではないのですが。
 ちなみにこれは余談ですが、二十年近く前に出たフェミニスト(男性ですが)が書いた本で「愛読雑誌による若年男性の心理分析」というのがなされていたことがあったのですが、そこに並んでいた雑誌というのが『POPEYE』、『ホットドッグ』、『ターザン』、『朝日ジャーナル』の四種だったのには笑ってしまいました。三つが(もはや見る影もない)恋愛マニュアル雑誌、そこに取ってつけたように(これまた既にお亡くなりの)『朝ジャ』を加えてこと足りたような顔をしているという。お断りしておきますが、二十年近く前、つまり90年代の著作です、70年代ではなく。
 まあ、いかに男性の心理分析が難しいかということですね。


 さて、ちょっと気になって例の「アルファブロガー(笑)」の書評を読み返してみました。
 彼は本書の中の「男性が女性に求めるのは母性だ。が、女性も男性に依存しようとしている(父性を求めている)のだからどっちもどっちじゃん(大意)」という主張を持ち上げて、


 こういう「女という強い立場」にいるものが、「強い立場」からフェアな意見を言っているのを、私ははじめて読んだ。


 と、大絶賛をなさっていました。
 彼のおっしゃる「「女という強い立場」にいるもの」というのがどういう文脈で言われているのか、ぼくにはさっぱりわからないのですが
*1、赤坂さんの男を見下したような文体が、きっと彼にとってはたまらなく耳に心地よいものだったのでしょう。
 いや、なるほど、この意見そのものは「フェア」であり、確かに評価できる指摘ではあると思います(ただ、前にも書いた通り、この本は思いつきが並べられているだけで、それが先へと広がっていかないんですね)。アルファブロガーさまに「女の書き手の指摘で、これ以上のものを見たことはない」と弾言されてしまえば、大して本を読んでいないぼくとしては反論もできません。「女の書くものにしてみればこれでも上出来だ」ということであれば、ぼくも「そう言われれば確かにそうかもなあ」と思わなくもありません。とは言え、類似の指摘をする女性作家がゼロなわけではありませんし、どっちにしたって過剰なレトリックを駆使して盲愛とも言えるような大絶賛するほどの指摘ではありませんし、『電波女』にはほど遠いでしょう、これは(本書の終章では平和運動家みたいな人に「戦争で一番苦しむのは女だ」と言われ、「兵隊になる男の方が大変だろう」と思う場面があり、ぼくもそこはなかなかいいと思いました。しかしこれとて「他の女にはそんな指摘すらできていない」ことの裏返しに他ならないのです)。


 本書には腐女子について「可愛くて彼氏のいる娘が多い、そういう具合に普通の女性としての振る舞いをも要求されているから女は大変だ(大意)」と説明する部分があります。
 むろん、間違っています。二重の意味で。
 腐女子にも「結構、取り返しのつかない」タイプの方は大勢いますし、男性だって趣味と男性としての性役割を両立することが求められている以上、「大変さ」では変わらないはずです。
 繰り返しますが本書は「
ガールズトーク本」であり、「男女論」の本でもましてや「電波女」でも、また「モテたい理由」とのタイトルが冠されるにふさわしい本でもありません。その決定的な理由は、結局、女性誌の分析はしてみせても、女性誌が必死になって覆い隠している非モテ女子たちの生態や心理について何も切り込んでいないこと、非モテのルサンチマンについて徹底してスルーしていることでしょう。書き手の赤坂さんが美人なのか不美人なのかは知りませんし興味もありませんが、仮に美人でも自分の中の「ブス性」を根拠に非モテ論を書くことは可能だったはずです。が、彼女はそれを避けました(著者近影を見ると、そこそこに美人に思えました)。
 この種の女性作家の著書において、彼女たちがブスに、女性の非モテに向きあうことは驚くほどにありません。そうした女たちの「ブスを、自らのブス性を認めたくない」という心理は、女性の理解者を自称する男たちの「ナオンにモテたい、しかしブスからは目を背けていたい」という本音と利害の一致を見て、そのためにこのような本ばかりが世に出てしまう結果となるわけなのでしょう。
 その割に終章で唐突に展開される「自分語り」の全体との噛みあわなさも含め、本書は一級の「非電波女」本であると弾言することができます。


 最後に。
 ところどころに優れた指摘のある、フェミニストたちの著書よりは良心的な本書ではありますが、読んでいくといきなり(子供の立場を無視したおなじみの)結婚解体論を主張し出す箇所があり、唖然となります。やはり女性作家はフェミニズムを空気のように摂取していて、よほど批判的でないと自然にそれを体内に取り込んでしまっているものなのですね。


 粗悪な書物が、ナオンの著作だというだけでもう何百冊、盲愛に満ちた絶賛を受けてきたことでしょうか。
 そういった悪癖から卒業しなければ、いつまで経っても優れた女性の著書、即ち『電波女』が世に出ることはできないということを、ぼくたちはそろそろ考えてみるべきではないでしょうか。

 ……ってか、それ以前に、水面下では多くの優れた男性の書き手がその何倍も犠牲になっているわけですが


*1この発言を素直に取れば、彼の考えは「女性は男性よりも強い立場にいる、しかし女性のほとんどはそれを認識せずにアンフェアな発言を続けているのだ」というものであると、そう解釈せざるを得ません。しかし、彼がそのような認識を持っているとはどうにも思えないところが、たいそう不思議です。


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