兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

「選ばれし者たち」の栄光

2012-07-14 23:32:43 | 女性専用車両

「ドク○ー差別」という名を名乗り、女性専用車両に乗り込む運動をやっていらっしゃる方が、います(「○」には「タ」が入ります。以降、「ドクさべ氏」と呼称)。
 ですが、ぼくはかねがねそうした「強硬策」に対して「賛成できない」というスタンスを取ってきました。
 そこで両者が激突してしまいました。
 きっかけはぼくがツイッターで「乗り込み運動」に否定的なつぶやきをしたことに対して、彼が絡んできたことでした。
 それは以下にまとめられています。

  

大女尊男卑空中戦 兵頭新児対ドク○ー差別
 

 正直、ぼくは彼を存じ上げた頃から「通じないだろうなあ」と感じ、積極的に話をしたことはなかったのですが、いざ対話を持ってみると、やはり彼はひたすら「我々の行いは合法だ」と繰り返すばかりで、「大衆にアピールするのに効果的でないのではないか」とのぼくの疑問に答えることは最後まで、ありませんでした(これは「運動」が「目的化」してしまった人にありがちな転倒です)。
 更に、「そんなことをしていて痴漢冤罪でパクられたらどうするんだ」といった危惧に対しても危機感を持っていらっしゃるようには、あんまり見えません(これについては「2011年女災10大ニュース(その2)」においての彼自身のコメントを参照)。
 他人様のやることですから「ヤメロ」とも言えませんが、しかし彼らが軽弾みに振る舞って、それが大事になったら……という危惧は、決して非現実的なものだとは思えないのです。

 

 彼のサイトでも関連したエントリが作られ、またコメントがされております。

 

「ドク○ー差別と選ばれし者たち」
拝啓 兵頭新児殿 いつになったら乗れるのですか?

 

 この「拝啓 兵頭新児殿――」を見ると女性専用車両に乗り込んだ自分たちを難詰した女性を警察に突き出し、また示談を成立させたと述べられており、さすがに行きすぎではないかと感じ、問い質そうとしたのですが、彼は事情を説明することなく、とたんに言葉を左右にし始め、ついにはこちらの発言は削除されてしまいましたw
 そのコメント欄におけるやり取りはかなり膨大なものになるので上のリンク先を見ていただきたいのですが、これを見る限り、彼が信頼に足る人物だとは、ぼくにはとても思えません。
 この話しあいにおいて、ぼくは専ら事実関係を明らかにすることに腐心しました。

 

 1.「まず、現場に警官がいたのは何故か。誰が呼んだのか」

 

 についてはまともに説明をしないまま、ぼくがやむなく想像で「こうだったのですか?」と問い質すのに対して、相手をバカにしたような返答を繰り返すのみ。
 これは例えれば、
 A「俺、昨日の晩、何食ったかわかる?」
 B「わからん。カレー?」
 A「ブー。バカじゃね?」
 B「じゃあハンバーグ?」
 A「ブー。そんなこともわからないの?」
 といったやり取りと同じで、何故彼がこんなことでここまで心理的優位に立とうとしているのか、どうにも理解に苦しみます。

 後々、彼はぼくが事実関係を問い質そうとしているのを

 

反論されて「分が悪くなる」と、「インタビュー」などと下手に出て、

 

 と形容しています。
 インタビューが「下手」だとは初めて知りました。
 どうも彼の文章からは、往年の市民運動家が新聞社のインタビューに(
実は見下されているのだと気づきもせずに)横柄に応じるような邪気のない傲慢さが濃厚に漂っています。

 

 次に

 

 2.「示談があったのか」

 

 ですが、これも話を聞くと当初は

 

私の知る限り、5人の女性が警察に突き出されております。あと、2人は「逃走中」。
とは言え、基本的に、警察には「男性排除=強要罪」という認識はございませんから、「男性排除犯」の女性は、侮辱罪や暴行罪を絡めて警察に突き出します。しかし、女性に対しては、「男性を排除した」ということを認めさせ、「二度としない」と約束させます。そういう約束をした女性は、示談とし、告訴はいたしません。今のところ、5人全員が謝罪し、「二度としない」と約束しております。

 

 と言っておきながら、ぼくが詳しいことを尋ね出すと、

 

警察が「示談にしてはどうか?」と言ったらしいですよ。
 
 と言葉をひるがえしました。
 この辺りから彼は、ぼくの問いかけに答えるのを避け、話を左右にし出しました。
 もし女性たちと彼の間に話しあいがあり、女性たちが約束したのであれば、それはそれで簡単ながら「示談」と呼べなくもないでしょう。
 が、ここで話を変えたというのはやはり、彼にとってつつかれてまずいネタであったのではないでしょうか。
 最後期に彼は、

 

①私らを強制排除しようとした女性がいて、
②私らに警察に突き出され、
③警察署で調書を取られ、
④始末書を書かされ、
⑤警察官に示談を促され、
⑥示談に応じて、私らに謝罪し、「二度としない」と約束した、
⑦だから、私らは、その女性を告訴せず、許した、

 

 と説明しました。
 こうなれば、一応の辻褄はあいます。むろん、本当のことだったのかはおくとして、ですが。
 しかし、ならば「警察が示談にしたらと言ったそうですよ」といった発言はいかにも不自然ですし、
ぼくが再三尋ねていた時に、「示談はあったのだ」とちゃんと説明しなかったのか、疑問は残ります。
 また、普通、示談と言えば書類が取り交わされるはずですが、それについても繰り返し繰り返し尋ねて最後の最後に「それはない」と答えたのみ。確かに「示談」そのものは「話しあい」以上の意味はなく、書類の作成が必須では恐らくないはずですが、そうしたことを手柄であるかのように喧伝するくらいなら、書類くらい作っておくべきでしょうに……。
 むろん、これをもってぼくは彼らの発言を「ウソだ」と断じているわけではありません。
 要するにまあ、「警官がうるさいことを言う市民に対して『まあまあ』となだめるために『示談』というそれらしい単語を使って話しあいによる和解を進めた」という
ありがちな経緯はあったのでしょう。
 ぼくが疑問なのは彼が徹底して言葉を左右にして、明言を避け続けたことです。
 或いは、ぼくとドクさべ氏のどちらか(或いは両方)のコミュニケーションスキルの欠如が、不幸な誤解を生んだのかも知れません。或いはまた、彼もぼくに挑発されたように感じ、素直に「事実関係」を開示する気になれなくなったのかも知れません。
 しかしいずれにせよこうした態度は不誠実に取られます。
 もし彼に後ろ暗いところがないのであれば、なすべきことは「相手の発言の削除」ではなく、「できるだけ詳しく、当時の事情を説明する」ことでしょう。

 いえ、以下のように、それは後ほど、第三者によって一応、果たされました。

 しかしそこでも、彼らが主張する、女性からの「侮辱罪・脅迫罪・名誉棄損罪」の被害というものがどんなものであったか、具体的な説明はなされていません。

 悪いですが、「自分にちょっと手が触れたのを『ぶたれたー!』と騒ぐ市民団体」といったものを、ここで連想する人はかなり多いのではないでしょうか。

 

 さて、その「発言の削除」についてです。
 彼は最後に

 

まあ、大抵の賛成派、アンチがそうですが、言い返せなくなると、相手の誹謗・中傷に走る輩がいます。残念ながら、兵頭氏もその1人のようです。2つ上の、投稿の一部に「不適切な表現」がありましたので、その投稿は削除されました。

  

ということに納得がいかないようであれば、今後、書き込みはご遠慮ください。

 

 

 と言い捨てて対話を拒否しました。
 しかしぼくは彼を誹謗中傷した覚えはないし、仮に「誹謗中傷」したのならそれはぼくの下劣さを世に知らしめることになるのだから、ドクさべ氏もむしろ削除しないことで自分の優位性をアピールできることでしょう。これは
彼が「削除」したことで「兵頭が何やら悪質なことを書いた」とミスリードさせてしまうようなやり方です。

 何しろ、彼の言い分が振るっていて、


誹謗・中傷だけでなく、相手を揶揄するのも、このブログのルールでは「削除対象」になりますので、お気をつけ下さい。「w」とか「笑」などのマークも、管理者に揶揄と見なされれば、「削除対象」となります。


 というのですから、これでは自分の発言をつつかれたくなく、強引に話をリセットして誤魔化してしまったのだ、と言われても仕方がないのではないでしょうか。
 いえ、彼がそうした狡猾な人物だといっているわけではありません。彼は良くも悪くも天然で、自分の正義を、相手側の悪を100%信じているのでしょう。

  しかしその「天然」な性格は容易に独善に陥り、「我々に賛同しない者は敵」といった危険な二元論を呼び起こします。
 だから彼は敵対的な人物については憶測と妄想で罵倒を続けておきながら(彼はぼくの著作「所詮、「自費出版」の域を出ない」と評しているのですが、そんなことすらも妄想で書き連ねているのか、それともクオリティ的に自費出版レベルだと言いたいのか……)、自分が何か言われると

 

礼節と申しますか、礼儀と申しますが、大人として最低限度のマナーは必要でしょう。

 

 などとぬけぬけと言ってみせるほどに傲慢になれるのでしょう。
 また、彼はぼくの「兵頭新児」という名義がペンネームであると(何故か、誰もそんなことは言っていないのに)断じ、

 

つまり、自分は何の危険も冒さず、安全な立場にいて、高みの見物よろしく、アレコレ言っているだけ。責任を持っての発言でもないし、そもそも、責任を持つ気もないのでしょう。

  

 などと言い立てます。

 

 じゃあ「ドク○ー差別」という名義はどうなのか、との疑問が沸きますが、多分「自分は正義だからおk」なのでしょう。


では、「兵頭新児」なる人物が、一皮むけるには、どうすべきか? 一にも二にも、まず、責任感を持つことです。そうすれば、ネット情報に頼らず、自分の足で情報を得よう、とするはずです。

 

 むろん、彼はぼくの著作を読まずに、こうしたありがたいアドバイスをくださるのです(何故か、彼はぼくがネット情報をコピペして本を作っているのだと信じきっています。彼の脳内の「マスゴミ」イメージの投影なのか……)。

 上に市民運動家とインタビュアーの例を挙げましたが、こうした「市民運動家」にとってマスコミとは自分の手足として動く奴隷みたいな認識なのかも知れません。彼らにとって、新聞を飾る「当事者である自分」の写真が重要であって、「評論」などというジャンルの存在も、ご存じないのではないでしょうか。

 彼らをオウムに喩えるのはあまりにも安易かも知れませんが、そもそもが世間にあまり受け容れてもらいにくい価値観を持っている者という点では彼らも、オウムも、そしてぼくたちも大差ありません。
 オウムは珍奇なパフォーマンスと共に選挙に打って出て、世間の失笑を買いました。
 しかし彼らは「自分を客観視」する目に欠け、世間の失笑を「自分たちへの快哉」であると感じていたフシがあります(これはオカルティストには極めて普遍的な特徴であるように思われます)。
 しかし結果は惨敗。彼らは世を拗ね、閉鎖性、独善性の中へと引き籠もり――そしてそれが何を引き起こしたかは、皆さんよくご存じでしょう。
 繰り返しますが、ぼくは気に入らない者に対して「やーい、オウムといっしょ」と言っているわけではありません。マイノリティとして、オウムの失敗は他山の石にすべきだ、と言っているのです。

 

 ぶっちゃけ、ぼくはデモも含めた「市民運動」と呼ばれるものに、強烈な嫌悪感があります。だから、ぼくの反応もまた、やや過剰なものであることは否定しません。
 しかしそれを鑑みた上で、それでも「選ばれし者」だけで集まり続ける彼らの言動は、そうした70年代的「市民運動」の傲慢さを色濃く受け継いでいると、判断せざるを得ないのです。

 最後に、オウムのついでにフェミニズムにも言及しておきましょう。
 80年代末から90年代初頭にかけて、フェミニズムバブルがあった、ということは幾度も述べています。しかしそこで、「女性差別」的な広告、CMなどに文句をつけるといった活動を続けた「行動する女たちの会」は世間からの嘲笑と反発を受け、消滅してしまいました。
 しかし、思想的には彼女らと何ら代わりのない上野千鶴子師匠たちはアカデミズムの中で地位を築き、近年もベストセラーを出し、「勝ち組」となりました。
「男性差別」業界の中にはフェミニズムに心理的に親和性があるかどうかはともかくとして、彼女らの方法論(というか、70年代の市民運動的方法論)を見事なまでに踏襲している人々がいらっしゃいます。
 しかしやはりそれは「おわコン」であるということを、ここで強調しておかないわけには、どうしてもいかないでしょう。
「選ばれし者たち」は、どこにも到達することはできなかったのですから。


☆補遺☆

 

 彼らのサイトで(ドクさべ氏ではない、彼の関係者による)書き込みがありました。

 

私と男性2人で女性専用車両に乗車していた際、侮辱罪・脅迫罪・名誉棄損罪などの被害を、女性乗客から受けました。駅に停車したところで現行犯逮捕し、警察に引き渡しました。

  

 警察は女性の身柄を受け取り、警察署に連行しました。私たちは最寄りの交番で事情を聞かれた後、警察署に自由意思で行きました。

  

 警察は私たちからと女性から、それぞれ事情聴取し紙に録取しました(女性については、警察官からその日に聞いています)。警察は女性に示談を勧め(同じくその日に警察官から聞いています)、女性が私たちにもう二度としませんと誤ったので示談にしました。

  

 まあ、要するにそういうことだったのでしょう。


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