北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第164回 北京の胡同・四勝胡同(後) 三等妓女の悲しき面影、今いずこ

2017-11-13 10:26:46 | 北京・胡同散策
趙錐子胡同沿いにある“四勝胡同”の出入口を入って、北方向にほんの少し進むと道が
西と東のふた手に分かれていました。前回は西の道を進みましたが、今回は三等妓院の
面影をもとめて東の道を歩いてみました。



道が西と東に分かれるのは共同トイレのすぐ近く。





トイレの前をほんの少し西に進むと建て増したこと歴然たる二層の建物。



新しい家屋の下には、もちろん手は加えられているでしょうが、それを見る者に旧時のあれこれを
彷彿とさせるには十分といった風情の年季のはいった建物。





妓院としてはちょっと華やかさに欠ける外観、しかし、三等妓院だからしかたがない。
「ひょっとすると、ここはかつての妓院跡か?」
半信半疑でそう思いながらも、それがいつしか「ここは妓院跡にちがいない」と
盲目的な確信に近くなり、束の間、白日夢の世界に遊ぶ。

門洞の日だまりの中では幼い一匹のネコがうつらうつらしていました。



ところで、上の写真のお宅は13号院。ということは、この辺りに黄樹卿夫婦が営んでいたという
「華清館妓院」に近づいているということになりはしないか。
この13号院沿いを歩くと11号、9号、7号、5号となっているはず。



胡同関係の本によれば、7、8号院に「華清館妓院」はあったという。もっとも、それらの現在の
状況がまったく書かれていないので、旧時の様子をとどめていない、ということは十分あり得る。
妓院が封鎖された1949年以降、たび重なる改築によって原型をとどめていないのは当然とも言え
る。しかし、その場合はそれでよく、その場所を実際に訪れ、自分の足で立つことができたという
だけでも感激で胸がいっぱいになる。もし、万が一、ほんの少しでも痕跡が残っていて、そのわず
かな痕跡を目の当たりにできた時は望外の喜びです。



建て増しされた二階へとつづく傾斜のはげしい階段。
その階段横のお宅の玄関脇に8号院のプレートが貼られてありました。



辺りを見回してみましたが、わたしの見た範囲では旧時の面影をとどめる痕跡はありません。
階段を過ぎ、7号院を探してみました。



道の両側ともに建て増しされ、しかも頭上にも建て増しされた建物がまるで牌楼のように道を
またいで頭上を覆うトンネル。



トンネルにはいり、この辺りの北側に7号院はあってもよいが、と思ったのですが、7号と書かれ
た門牌を見つけることさえできません。その代わり目に飛び込んで来たのは、南側のお宅の玄関
に貼られたお目出度い大きな双喜文字。




妓院封鎖後68年が経った現在の四聖廟胡同の一隅。











あとわずかでこの胡同の東端になりました。

ここで四聖廟の三等妓院から少し離れ、妓院は妓院でも、かつて北京にあった外国人向け妓院に
ついて簡単に触れておきます。

旧時、外国人といえば、なんといっても使館区のあった“東交民巷”が思い浮かびますが、その
使館区にほど近い船板胡同、蘇州胡同、鎮江胡同などに外国人向けの妓院があったそうです。お
客の多くは各国使館の関係者だったとか。

ここのところ続けて当ブログでご紹介している四勝胡同などのある地域からほんの少し行った西
側の地域にも外国人向けの妓院がありました。それはかつて“大森里”と呼ばれていた地域。現
在は取り壊されてその面影はありませんが、洋風二階建て、灰色の建物が二棟あったそうです。
日本占領期(1937-1945)には、もっぱら日本兵や各界日本人が足を運んだ模様。


(オレンジ色線部の上に「東大森里」「西大森里」と見える。民国期発行の『北京内外城詳図』
より。)

なお、ご参考までに書きそえておきますと、日本人専用であったのかどうかは不明ながら、八大
胡同の一つとして必ずといってよいほど名前の挙がる百順胡同には、やはり日本の占領時期に
六軒の日本妓院があったそうです。









三等妓院の面影は、今いずこ。
そんな思いとともに歩きはじめた四勝胡同。しかし、その結果は、わたしの力不足でご覧のとおりで
した。でも、まったく収穫がなかったというわけではありません。
もっとも、「これがそうだ」と自信をこめていうつもりはないのですが、わたしの目にはそう映った
という程度のそれらしき痕跡をご覧ください。

魑魅魍魎が出没する夜の深い闇の底、毎夜汚辱の汗とともに生きた三等妓女たちの悲しき残り香を
今にとどめるかと思われる痕跡が、当時の妓女たちの面影を偲ぶよすがともなれば嬉しいです。




昔刻まれていたであろう文字らしきものが、うっすらと見える。四勝胡同にて。




お気に入りの街を紹介するトラコミュ『世界のわが街』
を作りました。出来たてほやほやで、まだメンバーが
おりません。興味をお持ちの方は覗いてみてください。
 にほんブログ村テーマ 世界のわが街へ
世界のわが街
 

 
  にほんブログ村

 にほんブログ村 海外生活ブログへ
  にほんブログ村



第163回 北京の胡同・四勝胡同(前) 三等妓院と天橋の悪名高き四大ボスの一人、張八

2017-11-06 10:25:05 | 北京・胡同散策
四勝胡同。



民国期(1912-1949)に“四聖廟”と呼ばれていた頃、ここは北京の中の三等妓院の多いところとして
その名を馳せた胡同の一本でした。


(左手の建物には「華清館妓院」経営者、黄樹卿が住んでいたといわれる。)



再び民国18年(1929年)の北京における妓院と妓女の調査を三等妓院までご覧いただくと次の通り。
この胡同に三等妓院がいかに多かったかが分かるかと思われます。
 一等妓院(清吟小班) 妓院数45軒、妓女数328人。
     最多は「韓家潭」(現在名、韓家胡同)、次は「百順胡同」と「陕西巷」。
 二等妓院(茶室) 妓院数60軒、妓女数528人。
     最多は「石頭胡同」、次は「朱茅胡同」。
 三等妓院(下処) 妓院数190軒、妓女数1895人。
     最多は「河里」(現在名、栄光胡同)、次は「四聖廟(現在名、四勝胡同)。
 




ところで、この胡同は単に三等妓院が多いことだけで有名だったわけではありませんでした。
ここには、天橋の悪名高き四大ボスの一人、張徳泉、ニックネーム張八が住んでいました。


(悪辣なボス、張八は18号院に自宅があったといわれています。)

天橋を東部、西部、南部、北部と四つの地域に分け、それぞれの地域を自分の縄張りとしていた
四人のボスがいました。彼らは市民から恐れられ、東覇天、西覇天、南覇天、北覇天と呼ばれて
いました。



東覇天と呼ばれていた張八は、自分の縄張りの市場などで商売を営む人々から、骨の髄まで吸い尽
くすようにその売り上げ金を搾り取り、婦女たちは侮辱し、歯向かう者には容赦なく制裁をくわえ
るなど、その行いは極悪非道で、やりたい放題だったそうです。なお、張八の住まいは、天壇公園
の西側、自然博物館の近く「東市場七巷」にもあったそうです。東市場七巷7号院。



四勝胡同。ここはかつて、ごく普通の市民たちが近づけなかった、いや、けっして近づかなかった場所。
いかがわしさと恐ろしさとが同居したような胡同でした。

トイレの前で道が東西のふた手に分かれていました。今回は西の道に行ってみたいと思います。






どうやらこの胡同は奥が深いようで、くねくねと道がつづく予感がします。







行き止まりと思ったのですが、まだまだ続くようです。





もう行き止まりだろ。
どこへ行くのか、ちょっと不安にもなってきました。
それに、わたしが見落としているのかもしれませんが、もと妓院の痕跡らしきものも見当たりませ
ん。思えば、ここは平屋建ての三等妓院の多かったところ。一般の民居と紛れてしまい、そう易々
とこれと分かる痕跡がそもそも見つかるはずはないのです。

突き当たりの先には、まだ道がつづいているようです。


こういう細く、しかもくねくねと続く胡同内に三等妓院があったとすると、ここは言葉では言い表
すことのできない、妖しくもまことに怪しい場所だったにちがいありません。この胡同の夜の闇の
中に妓女の姿をおいてみると、いやが上にもそう思えてしまいます。しかもここには無頼漢の張八
までが住んでいたのです。







夜の闇の底で、うめき、のたうちまわる妓女たち、それに対する「華清館妓院」の経営者で、彼女た
ちの生き血を吸っておのが身を太らせるかのように妓女たちを嬉々として虐待してまで客をとらせ、
おのれの店の拡張にいそしんだ黄樹卿という男とその妻の黄苑、そして6人もの人間を殺害したとも
いわれる極悪人の張八。彼女たちや彼たちは、例の魔除けの鏡が魔物や化け物の正体を暴き出すよ
うに民国期という時代や社会の表層の陰に隠れた深い闇を映しだす鏡だったのかもしれません。





ところで、ここはさすがに芸人さんのメッカ天橋。相声(日本の漫才)の李嘉存さんは、生まれも育ち
も四聖廟。少年時代の思い出を仲間たちと語っていらっしゃいます。ご覧になれない場合は、URLを
コピペのうえ、検索お願い致します。

《記憶2016》四聖廟胡同一般人不敢去(騰訊視頻)
v.qq.com/x/page/n0308zivnyz.html







やっと出口がありました。



たどり着いたところは、なんと、前回ご紹介した魅力的な古物件の真ん前。
ということは、当然、趙錐子胡同沿いにある、四勝胡同への西寄りの出入口を見落としていたと
いうことになるわけだ、と思ったものの、この時のわたしはキツネにつままれたような気持ちで
した。これだから胡同は油断がならない。これだから胡同はおもしろい。
再びトイレのところに戻り、今度は東側の道を歩いてみました。


 
 
   にほんブログ村
 
 
  にほんブログ村