北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第163回 北京の胡同・四勝胡同(前) 三等妓院と天橋の悪名高き四大ボスの一人、張八

2017-11-06 10:25:05 | 北京・胡同散策
四勝胡同。



民国期(1912-1949)に“四聖廟”と呼ばれていた頃、ここは北京の中の三等妓院の多いところとして
その名を馳せた胡同の一本でした。


(左手の建物には「華清館妓院」経営者、黄樹卿が住んでいたといわれる。)



再び民国18年(1929年)の北京における妓院と妓女の調査を三等妓院までご覧いただくと次の通り。
この胡同に三等妓院がいかに多かったかが分かるかと思われます。
 一等妓院(清吟小班) 妓院数45軒、妓女数328人。
     最多は「韓家潭」(現在名、韓家胡同)、次は「百順胡同」と「陕西巷」。
 二等妓院(茶室) 妓院数60軒、妓女数528人。
     最多は「石頭胡同」、次は「朱茅胡同」。
 三等妓院(下処) 妓院数190軒、妓女数1895人。
     最多は「河里」(現在名、栄光胡同)、次は「四聖廟(現在名、四勝胡同)。
 




ところで、この胡同は単に三等妓院が多いことだけで有名だったわけではありませんでした。
ここには、天橋の悪名高き四大ボスの一人、張徳泉、ニックネーム張八が住んでいました。


(悪辣なボス、張八は18号院に自宅があったといわれています。)

天橋を東部、西部、南部、北部と四つの地域に分け、それぞれの地域を自分の縄張りとしていた
四人のボスがいました。彼らは市民から恐れられ、東覇天、西覇天、南覇天、北覇天と呼ばれて
いました。



東覇天と呼ばれていた張八は、自分の縄張りの市場などで商売を営む人々から、骨の髄まで吸い尽
くすようにその売り上げ金を搾り取り、婦女たちは侮辱し、歯向かう者には容赦なく制裁をくわえ
るなど、その行いは極悪非道で、やりたい放題だったそうです。なお、張八の住まいは、天壇公園
の西側、自然博物館の近く「東市場七巷」にもあったそうです。東市場七巷7号院。



四勝胡同。ここはかつて、ごく普通の市民たちが近づけなかった、いや、けっして近づかなかった場所。
いかがわしさと恐ろしさとが同居したような胡同でした。

トイレの前で道が東西のふた手に分かれていました。今回は西の道に行ってみたいと思います。






どうやらこの胡同は奥が深いようで、くねくねと道がつづく予感がします。







行き止まりと思ったのですが、まだまだ続くようです。





もう行き止まりだろ。
どこへ行くのか、ちょっと不安にもなってきました。
それに、わたしが見落としているのかもしれませんが、もと妓院の痕跡らしきものも見当たりませ
ん。思えば、ここは平屋建ての三等妓院の多かったところ。一般の民居と紛れてしまい、そう易々
とこれと分かる痕跡がそもそも見つかるはずはないのです。

突き当たりの先には、まだ道がつづいているようです。


こういう細く、しかもくねくねと続く胡同内に三等妓院があったとすると、ここは言葉では言い表
すことのできない、妖しくもまことに怪しい場所だったにちがいありません。この胡同の夜の闇の
中に妓女の姿をおいてみると、いやが上にもそう思えてしまいます。しかもここには無頼漢の張八
までが住んでいたのです。







夜の闇の底で、うめき、のたうちまわる妓女たち、それに対する「華清館妓院」の経営者で、彼女た
ちの生き血を吸っておのが身を太らせるかのように妓女たちを嬉々として虐待してまで客をとらせ、
おのれの店の拡張にいそしんだ黄樹卿という男とその妻の黄苑、そして6人もの人間を殺害したとも
いわれる極悪人の張八。彼女たちや彼たちは、例の魔除けの鏡が魔物や化け物の正体を暴き出すよ
うに民国期という時代や社会の表層の陰に隠れた深い闇を映しだす鏡だったのかもしれません。





ところで、ここはさすがに芸人さんのメッカ天橋。相声(日本の漫才)の李嘉存さんは、生まれも育ち
も四聖廟。少年時代の思い出を仲間たちと語っていらっしゃいます。ご覧になれない場合は、URLを
コピペのうえ、検索お願い致します。

《記憶2016》四聖廟胡同一般人不敢去(騰訊視頻)
v.qq.com/x/page/n0308zivnyz.html







やっと出口がありました。



たどり着いたところは、なんと、前回ご紹介した魅力的な古物件の真ん前。
ということは、当然、趙錐子胡同沿いにある、四勝胡同への西寄りの出入口を見落としていたと
いうことになるわけだ、と思ったものの、この時のわたしはキツネにつままれたような気持ちで
した。これだから胡同は油断がならない。これだから胡同はおもしろい。
再びトイレのところに戻り、今度は東側の道を歩いてみました。


 
 
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