北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第99回 通州・蔡老胡同(その二)  ヘチマ棚のある風景

2016-05-31 13:54:54 | 通州・胡同散歩
胡同を歩いていると、不思議な気持ちになることがございます。
おそらく、胡同を歩いていて、私の日常からはあまりにかけ離れていたり、あるいは、
私が普段忘れがちな「何か」が不意に目に飛び込んできたりするからかもしれません。
たとえば、いくつもの石臼の一部が壁沿いに埋まっていたり、こちらは全く知らない
のにあちらは私の事を知っている方が不意に胡同の曲り角から目の前に現れたり、やはり
気が付くと見ず知らずの子供と一緒にミニカーで遊んでいたり、まるでワンダーランド
に迷い込んでしまったような気持ちになってしまいます。

今回ご紹介するのは中街(胡同)以東の「蔡老胡同」。中街(胡同)とこの胡同が交差する
地点に立ったときも、不思議な感覚に捉えられてしまいました。
「なぜだろう」。
究極的な答えは不明なのですが、その問いと共に脳裏を横切ったのは、胡同歩き初めに目に
した素敵な中庭の鉢植えや玄関脇の植え込みと最後に見た墀頭に彫られた縁起の良い植物
模様でした。つまり、中街以西の蔡老胡同は、植物で始まり、植物で終わっているわけなの
ですが、どうやらその辺りのことが今回私を不思議な気持ちにさせてしまったようなのです。
この胡同で、今後、いったい何に出会うのか、何を目にすることになるのか。そんな不思議
な思いと共に今回「蔡老胡同」を歩き出していました。



素敵なお宅がありました。



・・・というよりは、クルマの中を、つい写してしまいました。



これだけ多くの人形たちに見つめられたら、後続車はクラクションを無闇に鳴らせません。
交通事故など、クルマ関係のいざこざを回避するために置かれた楽しいお人形さんたち。
現代版護符でございます。



墀頭になにやら模様。







どうやら梅の花のようです。
まだ寒い2月から3月に咲く、強く逞しい生命力を感じさせる花。華やかではありませんが、その
清楚で凛とした姿や香りがお気に入りの方も多いのではないでしょうか。
また、梅は花びらが5枚であることから、「五福」に通じていると考えられているようです。「五福」
とは、長寿・富貴・康寧(無病息災)・修好徳(陰徳を積む)・考終命(天命を全うする・平和)の五つの
福を示しているとか。胡同を歩いていると、門の上部に貼られた「五福臨門」と書かれた赤く細長い紙
を見かけますが、梅の花の図案と共に幸福の訪れに対する人々の祈りがこもっています。

写真を撮っていますと、上の対面のお宅からただならぬ気配。





玄関両脇の下部。



門墩(mendun)の機能とは無関係な置き方。それでも廃棄せず玄関に置いてあるのは門墩への
住人たちの愛着の現れでしょうか。おそらく縁起物として置いているのでしょう。



彫られた図案は、いったい何を表しているの?
自信は全くありませんが、とりあえず、門墩研究家・岩本公夫さんの「中国の門墩」などに助けて
いただき、「暗八仙」の一つとしておきたいと思います。より具体的には、仙人の一人・曹国舅の
「拍板」。この「拍板」を「玉板」と記録しているものもあるようです。

「暗八仙」についての説明は次の通り。
岩本公夫さんの「中国の門墩」より引用させていただきました。より詳しくは左のブックマークに
ございます「中国の門墩」北京編の「模様」をご覧いただければ幸いです。
 
 『不老長寿の願望の強かった中国では修行を積み、不老不死を得た仙人への憧れは大変強く、
 中でも次の八人の仙人は有名です。
 八人は各々特有の持物を持っており、その持物でその仙人を象徴するのを“暗八仙”と言います。
   李拐鉄の“瓢箪”張果老の“幽鼓”呂洞賓の“宝剣”藍采和の“花籠”韓湘子の“竹笛”  
   何仙姑の“蓮花” 曹国舅の“拍板” 』


さて、上のお宅の前辺りから再び胡同を歩きます。



右を見ますと、



お宅の壁に窓の塞がれた跡。



やはり、北側に窓があっては、北京では厳しい。そんなことが塞がれた理由なんでしょうか。

さらに歩きます。



塀沿いにグリーン。規模は小さいながら、やはり、ちょっとした胡同植物園。







胡同を彩るグリーンの塀飾り。



季節が来れば、もっと素敵な塀飾りが出来上がります。



そして、胡同植物園のエッセンスが凝縮されているのが、これ。



まるで昔の牌楼のように道路を跨いで、ヘチマがその蔓を巻きつけるようにとしつらえられた棚。
季節が来れば、グリーンの天井も完成です。人と自然が仲良く手を取り合って作り出したモノの
中の傑作の一つといって良いと思います。こちらの胸にぐっと迫るものがございます。

胡同の住人たちや道行く行く人々に、素敵な木陰を提供するヘチマ棚。
季節が来ましたら、私もこのグリーンのトンネルを潜り抜けてみたいと思っています。

なお、このヘチマのグリーントンネルは、北京の胡同にもございます。胡同にお立ち寄りの際には、
ぜひグリーントンネルをお潜りくださればと存じます。ひとたび潜れば、身も心もリフレッシュ。
人々は密かにこれを「胡同浴」と呼んでおります。

素敵なグリーンの塀飾りを後に進むと、やはり目出度い「福」の一字がドアに貼られたお宅。



ドアに見える「一帆風順」の四文字を心に刻み込んで、さらに歩きます。


このお宅の斜め前には路地。



奥に入ると、



玄関の上に、よりよい採光のための工夫がなされていました。前にも書きましたが、現在、
このようなお宅がこの界隈の胡同では増えています。はたして一時の流行なのか、それとも
このまま増え続けるのでしょうか。わたし的には目の離せない現象の一つになっております。

玄関脇には、やはり植物園。



レンガの色と植物の緑の取り合わせが、お互いがお互いの色を引き立てあって、実に綺麗でした。



もちろん、レンガの色だけでも十分に魅力的。よく見ると、レンガの積み方が今まで見てきた
レンガ造りのお宅とは、ちょっと違っているような・・・。これからはレンガの積み方にも
注意を払いつつ胡同を歩きたいと思います。



レンガの色を堪能した後、再び歩きます。



さらに進み、正面。



すると、素敵な「花瓦頂」のお宅。



たとえ、玄関脇や壁沿いの道端に鉢植えなどがなくとも、植物は生活の一部として身近に
置かれているのです。



目を隣のお宅に移すと「花瓦頂」はないのですが、驚きました。



門墩の太鼓の部分が地中から顔だけ出していましたよ。



摩滅が激しく、残念ながら何が彫られているのか不明。





さらに隣を見ますと・・・



「花瓦頂」も門墩も、あるではありませんか。



しかも、門墩はと言えば、やはり地中からその太鼓の部分だけが顔を出していました。





何が彫られていたのか、なんとか読み取ろうとしてはみたのですが、やはり摩滅が激しくギブアップ。
それにしても、このような門墩を続けて見てしまうと、不思議で怪しい門墩ストリート、思わずそう
呼びたくなってしまいます。



門墩脇の物置でございます。

子供たちが書いたものだと思います、漢字がびっしり。



学習は、なにも室内の机だけでするものではありません。道端の物置でも可能なことやココで
遊びながら勉強する子供の力強さを改めて思い知らされたような気持ちがしました。
そして、学習物置に思わず頭が下がりましたよ。

感心のタメ息をつきながら、さらに前へ。



路地がありました。
路地の前辺りから、胡同正面。



あれっ? と思わされたお宅。



ここで気になりましたのは、植え込みではなく、玄関上の庇(ひさし)。



何がいったい気になったかと申しますと、玄関上の庇が壁から突き出しているところ。
私の記憶違いでなければ、こういう形式のお宅って、ひょっとして、この界隈の胡同では
初めて見たかもしれません。北京の旧城内の胡同ではどうでしょうか。胡同ウォッチャー
といたしましては、今後はこの辺のことにも注意しなければなりません。



ちなみに、庇の瓦に彫られているのは、「喜字(xizi)」。「喜」の字を二つ組み合わせた図案です。
結婚式の装飾として使用されますが、ここでは「双喜臨門」、目出度いことが重ねてやってくると
いう意味だといってよいと思います。

なお、庇の左上に載っておりますのは、かつてのヘチマでございます。

このお宅の前は、路地。





路地の横に電動車。



やはり、キャリアルーフ付き。胡同内をちょっと走るには、もってこいのクルマ。



斜め前には、やはり明り取りのために玄関上に工夫がなされたお宅。



とうとう胡同正面突き当たりまで、やって来ました。



突き当たりと申しましても、行き止まりではありません。
左へ行っても右へ行っても、蔡老胡同。
次回は、まず左の路地から歩き始め、続けてやや奥の深い右側の路地をご紹介させていただきます。
何が姿を現すか、次回もご覧いただければ幸いです。

以下、この胡同についての簡単な解説になっております。興味のある方はお読み下さい。

明代にはすでに形成されていたようで、中街以東に蔡さんというお金持ちが住んでいたのが
この胡同の名前の由来。この蔡さんは土地持ちで、南側を「蔡家前胡同」、北側を「蔡家后
胡同」と南北二本の胡同にかけて蔡姓が使われていました。時代が移り、清の乾隆初めには、
その人柄が人々に慕われ「蔡老叔胡同」と呼ばれています。1913年、民国期に現在の名前に
改められました。なお、中街以西は、北京の胡同にもございます「史家胡同」と呼ばれていた
のですが、1981年に「蔡老胡同」に編入されております。


   
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