北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第31回 通州・清真寺胡同3・通州「清真寺」で見つけたもの。

2015-06-19 12:30:05 | 通州・胡同散歩
今回も前回に引きつづき通州「清真寺」の中をご覧いただきます。




石碑の左右に門があるのですが、当日は碑に向かって左側を進みました。
入ると中庭があり、そこには堂々とした建物がありました。








石碑にも記されていた「邦克楼」。宣礼楼(塔)ということも。日本語では「ミナレット」と呼ばれる建物で、
現在使われているのかどうかはさておき、地域の人々に礼拝を呼びかけたり、礼拝時刻の告知を行なうのに
使われるようです。









先に石碑を見た際、『明代の正徳十四年(1519年)、重修され寺名も「朝真寺」となる。』と刻まれていた
ことを思い出しました。



500年ほど前の名前がここにこうして掲げられているということは、この「朝真寺」という名称が北門に
見られた「礼拝寺」と共にいかに重要な名前であるかを示していると言ってよいのではないでしょうか。



「邦克楼」の左右に出入り口があることと共にそれらの左右に「影壁」まであり、徹底的に中華風である
ことに驚きを禁じ得ませんでした。


右側。




左側。


ご覧のようにそれぞれ文字が書かれているのですが、勉強不足のためその意味は不明。これからは、もっと
視野を広げ、アラビア語などもある程度学習しなければいけません。



次は「邦克楼」に向かって右側の建物。




左側。





そして、「邦克楼」の前にある「影壁」。


「影壁」の左右に「垂花門」があることは前にご紹介しましたが、その「垂花門」にもそれぞれ「影壁」
が付属していて、やはり徹底的な中華風です。



それでは、今来た道を引き返し、いよいよ「礼拝殿」をご紹介したいと思います。


いや、その前に体を浄めないと・・・。



男性用浴室に入るとご親切にも次のような説明書きがありました。




その前にはずらっと水入れが置かれた棚。



この水入れを使って体を浄めるというわけなのです。

なお、この棚の後ろには一人用ドア付きシャワールームのような小部屋がいくつも並んでいたのですが、
その写真は省略させていただきます。


というわけで、次は「礼拝殿」に移動です。


「礼拝殿」の中は、こうなっていました。







金で書かれた装飾文字、柱といい天井といい植物模様に彩られたこの部屋は、私の日常とあまり
にもかけ離れた全くの異空間でした。


もう少し前へ。



写真正面の壁にアーチ型の扉付きの窪み。
これは「ミフラーブ」といい、コーランの規定に従ってメッカの方向に対して行なわれる礼拝の方向を示す
ためのもの。中国からメッカは西になります。

「ミフラーブ」のある所は、ちょっとした部屋のようになっていました。「ミフラープ室」。



右側には、導師が説教を行なう階段状の説教壇。




居合わせた信者さんがわざわざ経典を開いてくださいました。





「ミフラープ室」に入ってみました。





回教寺院、通州「清真寺」のエッセンスが凝縮された壁「ミフラーブ」。
扉を開けると何があるのか。開けてみたかった。
そんな私の気持ちを察したかのように、やはり先ほどの信者さんが私の顔を見ながら扉を開けてくださった。
扉を開けて私の目の前にあったもの、それはアーチ型に縁取られた白い壁。ただそれだけでした。



上を見上げるとドーム状。



この「ミフラーブ室」、さきの信者さんたちが座る場所とはその雰囲気が大きく異なり、天井や周囲の壁
が白を基調としており、実にシンプル。簡素で、清潔感に満ち、私には神秘的でさえありました。


なお、もう一つの建物「望月楼」はのちほどその外観だけですがご覧いただきます。



足元に敷きつめられていたカーペットを撮り忘れるところでした。







次は場所を移動して、少しですが「清真女寺」をご覧いただきます。




「モスク」は本来、成人男性専用の礼拝場所であったそうですが、この「清真寺」には女性専用の
「礼拝殿」があります。



中も拝見できました。



先に見た礼拝殿に比べ、その規模は小さめで、装飾も抑えられています。そのため豪華さ・華麗さ
はないものの、前にご紹介した「ミフラーブ」に見られた単純さや質朴さに通じる魅力が私には
感じられました。


通州「清真寺」をひとわたり拝見していろいろ感じたことはあるのですが、ここではその内の二点
を挙げておきたいと思います。

まず、一つは、この寺院がイスラム教寺院(モスク)でありつつ、中華風寺院でもあるということ。
この場合、イスラム教寺院であるということ、それは礼拝所における礼拝方向がメッカの方向(中国
の場合は西方)であること、他方、中華風であるとは、一本の中軸線上に主要な建物が並び、中庭な
どをはさんで付属の建物が対称的に置かれているということを意味しています。
そして、私が目を見張ったのは、例えば、

影壁→中庭→「朝真寺」の額がかかる「邦克楼」→中庭→「礼拝殿」→「望月楼」

と、一本の中軸線に沿って主要な建物を配置しつつ、しかも、それらの建物がメッカの方向である
西方に向かっているということ、つまり、イスラム教寺院でありつつ中華風寺院でもあるという
二つの特徴を巧みに融合させてしまっていることでした。

しかし、ここで見落とすことができないのは、東西軸に沿って置かれた主要な建物に肝心のこの
寺院の正門がないことです。そして、そこで浮上してくるのがこの寺院内を歩いていて気付いた
もう一つのこと、この寺院が南北に長く、それに比して東西に短いということでした。
ひょっとしてこの立地条件が、「礼拝寺」という信者さんたちにとって重要な名前の書かれた額
の掛かった大きな門を回民胡同沿いの北側に、また、「清真古寺」と書かれた門を中街沿いに置
かざるを得なかった理由となっていたのではないか。

きっと、信者たちにすれば、この寺院のルーツとも言える「礼拝寺」という額の掛かった大門を
東側、具体的には「清真寺胡同」沿いに置くということが最善であったにちがいありません。
しかし、立地条件がそれを許さない。たとえば、仮に「礼拝寺」という額の掛かった大門を現在
「影壁」のある位置に置いたとしたらどうなるか。おそらく、東西軸に置かれている二つの「中
庭」の面積がそれぞれ縮小されると共に、「朝真寺」という額の掛かる「邦克楼」や「礼拝殿」
などそれぞれ主要建物間の距離も縮まり、全体的にかなり窮屈な寺院配置になってしまい、信者
さんたちの選ぶところではなかったのではないか。そして、そこで次善の策として選ばれたのが、
「礼拝寺」という額の掛かる大門の回民胡同沿いへの配置ということだったのではないかという
ことになるのですが、この次善の策としての配置、たとえそれが次善の策だったとしても、私には
実に見事なものに思えて仕方がありません。というのも、回民胡同こそが元朝に回教徒たちが集住
し始めた頃「牛市」あるいは「牛羊市」と呼ばれた、彼らにとって出発点となった、いわば記念す
べき場所にほかならないからなのです。



望月楼



写真右側の塔。この上に登り、月を見て「ラマダーン明け」を確認するそうです。
話しは少しそれますが、この寺院西側に置かれた塔を見ながら不思議な気持ちに襲われました。
この塔と「北海公園」や「白塔寺(妙応寺)」の「白塔」、そして「万松老人塔」など、北京西側に集中して
いる「塔」とが私の中で重なってしまったからなのです。これって単なる偶然なのでしょうか。これから
本格的に暑くなるというのに、謎が増えればいっそう熱くなるっつーの。


通州「清真寺」が地元住民たちに密着した施設であることはいうまでもありません。
今回初めてこの寺院におじゃまして、この界隈の胡同でお会いする方々の穏やかな笑顔、そして
その背後に感じられる自信や誇りのようなものが奈辺から来るものなのか、その一端を垣間見る
ことができたように感じたのは私の気のせいでしょうか。
次回このモスクにおじゃまする時は、「邦克楼」や「望月楼」に昇るっきゃあない!!


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