北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第113回 通州・頭条胡同(その三) トイレの話で恐縮です。

2016-10-23 10:22:13 | 通州・胡同散歩


このワンちゃん、私の姿を見て顔をそむけた、と前回書きましたが、実はそうでは
ありませんでした。
少しの間、入り口で横向きのままじっとしていたワンちゃん、やがてもと来た所に
戻っていき、さらにお座りまでして何かを待っている様子。



どうやら飼い主さんと散歩のようです。



飼い主がやって来るのを大人しく待っていたんですね。



ワンちゃん、オシッコしてる。

ワンちゃんのあの時のスタイルにご興味をお持ちの方は『イヌはそのときなぜ
片足をあげるのか』(今泉忠明著・TOTO出版)をご覧ください。

たしか昨年のこと、ニュース(電子版)で北京の公衆トイレをめぐる記事をいくつ
か読んで「ヘェ~!!」と思ったことがありました。

ある記事によると、北京の公衆トイレにWiFi、光熱費の支払い、ATM、携帯電話
や電気自動車の充電設備、さらには血圧や心肺測定、尿検査といった身体検査の
できる設備を設置するというもので、このような設備が充実した公衆トイレを「
第五の空間」と呼ぶのだそうです。(「人民網日本語版」2015年10月12日・『北
京の公衆トイレにWiFiとATMを設置へ 携帯の充電も可能に』)

ほかのニュースには、(北京の)房山区に登場した「第5空間」には、老人や子供
連れの利用者を補助する設備があるほか、冷暖房も完備され、さらには清掃員用
の休憩室やシャワールームまで付いている、とありました。
同記事によると、「第5空間」とは、仕事、生活、余暇、ネット空間に次ぐ第5
番目の空間という意味なんだそうです。(「レコードチャイナ」2015年11月21日
『「中国のトイレは汚い」は昔のこと? 北京にスゴい公衆トイレが登場』)

上の記事の他に次のような記事もありました。上記二つの記事は昨年のものです
が、これは今年半ばごろのもの。

その記事によると、北京市では今年中に新たに800か所もの公衆トイレを建設し、
中国全土では来年までに計5万7000所で公衆トイレを新設・改築するほか、農村部
での水洗トイレ導入を急ぐなど、世界第2位の経済大国にふさわしいトイレ環境を
整えることを目的にしているそうです。なお、同記事によると、通州区には一挙に
100ヵ所の豪華トイレが建設される予定とか。(「NEWSポストセブン」2016-5-14・
『北京市が800か所でWi-fi完備公衆便所建設 トイレ革命目指す』)

これらの記事を読んだとき、いろいろな思いが心に浮かんだのですが、取り急ぎ
その内から3点を書くと次の通りです。

一つは、利用者に便利さ・快適さを提供しようとしている当局の取り組み姿勢に
「中国もなかなかやるなぁ」という、いささか楽天的で好意と感動のこもった思
い。二つ目は、「そんな豪華なトイレって必要なの? 他にお金をかける所はない
の?」という当局者たちにとっては大きなお世話。そして三つ目。私にはこれが最
も重要なことだったのですが、それは「記事に見られる便利さ・快適さって、多
くの人たちの目につき易い感動的なものばかりだと思うんだけど、多くの人の目に
見えない地味な部分は一体どうなってるの? 何か問題はないの?」という好奇心
とおそらくは私の杞憂に過ぎないであろう、気がかり。「杞憂」と書きましたが、
気がかりな点については後ほど再び触れたいと思います。

先にご紹介した記事を読んで昔の北京のトイレ事情を思い出しました。

清の嘉慶時代以降に書かれたと思われる『燕京雑記』という本には当時の北京の道
路やトイレ事情に関して次のような記事が載っていました。

“京師溷藩、入者必酬以一銭、故當道中人率便溺、婦女輩復傾溺器於當衢、
 加之牛溲馬勃、有增無減、以故重汚疊穢、觸處皆聞。”
 (迷訳:北京のトイレは利用者が一銭を払う必要があり、だから道行く
  人たちは路上で大小便、ご婦人たちは便器の中身を道路にぶちまけ、
  それらに牛馬の糞尿が加わり、増えることがあっても減ることはなく
  汚れる一方である、と聞いている。)

そして、清の末期のトイレ事情を窺わせる夏仁虎の『旧京瑣記』には次のような
記事。

“行人便溺多在路途、偶有風厲御史、亦往往一懲治之、但頽風卒不可挽。”
 (迷訳:通行人は路上で大小便をし、役人さんがしばしば取り締まり
懲罰を与えても、悪習はなかなか無くならない。)

これらの記事を読んで驚きと共に凄まじい路上風景が目先にちらついてしかたが
ないという方、中には驚きを通り越して「なんとおおらかなんだ!感動したぁ~」
とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、こんなことで驚いたり感
動したりしていてはいけません。私が驚愕とともに看過できなかったのは、胡同関
係の本に載っていた数字。

“清宣統三年(1911年)、北京城区有官建公厠3座、私建公厠5座。”
(『北京胡同志』段柄仁主編・北京出版社)

1911年の段階で官設の公衆トイレが3つ、私設が5つ。当時、北京城内にどの位
の人たちが居住していて、仕事などで地方からどの位の人たちがやって来たのか
分からないのですが、当時の人口に比べて公衆トイレの数が圧倒的に少なかった
ことは想像に難くありません。

もし“文明人”たる“日本人”である私が当時の北京にタイムスリップしたとしても、
きっと道端の老若男女に混じって嬉々として大小便をしているでしょう。もち
ろん、はじめは抵抗を覚えるかもしれません。でも、この生理現象だけは皇帝で
あろうが庶民だろうが文明人たる私だろうが止められません。しかも、習慣は第
二の本能。一度身に付けてしまった習慣は毎日食事をするようなものでお役人が
どんなに厳しく取り締まったところで、そう易々と改められる訳がないのです。

この辺で少し話題を変えて皇帝とトイレのお話。中国にはこんな「笑い話」があ
るそうです。

宋太祖・趙胤が四川を平定すると、後蜀皇帝・孟昶の皇宮の宝物は全部宋太祖の
ものになったわけですが、持ち帰った品物の中に瑪瑙や翡翠を嵌めこんだ素敵な
器があり、その器をたいそう気に入った太祖は部屋にその器を飾っていたとか。

ある時、太祖が孟昶の寵愛していた花蕊婦人を招いて踊りを踊らせた時、婦人は
太祖に告げたそうです。「その器は孟昶が使っていた便器」と。すると太祖は「
こんな便器を使って、国が滅びない道理があろうか!!」と怒ってその器を叩き壊し
たそうです。

なお、室内用携帯便器を日本語で「おまる」と言いますが、漢字で書くと「御虎
子」。「虎子」とは昔の中国では大小便の容器のこと。「おまる」の「まる」は
中国語「馬桶児(マートル)」が語源だと言う説があります。前にご紹介した尚秉和
『歴代社会風俗事物考』(秋田成明編訳『中国社会風俗史』)によりますと漢の皇帝
は行幸の時に玉製の「虎子」を侍中(帝の側近に侍って諸事を弁ずる官)に持たせて
お出かけになっていたそうです。「瑪瑙や翡翠を嵌めこんだ便器」や「玉製」の
便器。いずれも豪華なものですが、孟昶を罵った宋太祖はいったいどんな便器を
使用していたのやら。興味津々です。

ここで話を再び公衆トイレに戻しますが、昨年の7月に全国レベルの公衆トイレに
関する次のようなニュース(電子版)記事を目にしました。

その記事は、中国国家観光局は「全国観光工作会議」(2015年1月開催)において、
「全国観光トイレ建設管理大行動」を全国規模で展開することとしたというもの。
その半年後の7月における事業の進展状況はといえば、事業主体の国家観光局の担
当者によると、この「観光トイレ革命」は、全国各地で大きな評価を得ていて、「
今のところ、各地のトイレの新設・改造工事は、全体的に、順調に進展している」
そうです。
(「人民網日本語版」2015年7月20日・『中国「トイレ革命」実施スタートから半
年すでに5千ヵ所の新設・改造完了』)

ただし、この記事には次のような問題点が3点挙げられていて、これらの問題点が
大きな障害となった場合、これらの障害をいかに克服するか、その辺りのことが
今後の中国のトイレ事情を左右するのではないかと思われます。もちろん、北京
の公衆トイレ事情に関しても例外ではありません。

その3点とは次の通りです。
第1は「資金不足」、第2は「管理不行き届き」、第3は「技術的問題」。

記事には続けて次のような文言がありました。「国内の高地、寒冷地、山間部、水
資源に乏しい中西部地区では、トイレ建設にはまだまだ大きい困難が伴い、『生態
系トイレ』『便のメタンガス化』などの技術も、広い実用化が実現していない。」

鈴木了司さんの『寄生虫博士の中国トイレ旅行記』(集英社文庫・1999年10月25日)
には今挙げた問題を含め、単に中国だけではなく、日本におけるトイレ事情に関連
する話も載っており、興味がつきず、しかもこの本は人間とほかの生き物と自然と
の関係を私に考えさせてくれました。その中で著者の鈴木了司さんは、こんな事を
書いています。

“水洗トイレは、ボタンを押すことによって水道の水が糞便を、あっという間に流し
てしまうのだからたしかに便利である。
したがって、水洗トイレ・イコール文明と思い、水洗トイレがどれほどあるかは
衛生状態を示すバロメーターの一つと関係者は思いこんでいるが、それは正しく
ない。糞便を処理する方法の一つにすぎないのだ。
私は水洗トイレを悪いとは言わないが、流せばすべて終わりと考えるのはあまり
に早計だ。下水道がなく、終末処理施設が未整備の場所では、糞便まじりの水が
川に入れば飲料水が、海に流れこめば魚貝類がそれぞれ汚染されて、結局は人に
戻ってくる。汚染ばかりか、海で富栄養化の犯人となるリンや窒素が赤潮の発生
をおこす。したがって、処理する浄化槽なり、下水処理施設が完備し、機能する
ことが水洗 トイレの設置条件だ。なお、一応の処理はできるとしても、現在の科
学では種々な薬剤や設備を使っても100%完全な浄化処理はできないことも承知
しておくべ きだろう。”

“さらに水洗トイレは水を使う。生活用水すら満足でない所では水洗トイレは作れ
ない。また、水洗で流す水は、飲んだり料理に使う量にくらべればきわめて多い。
コップ一杯にも満たない尿や糞便のために、製造に金がかかる浄水処理された水
を10リットル前後使ってしまう。そのうえ、下水設備などの終末処理にも莫大な
費用がかかる。つまり、水洗処理には金がかかる。だから、水洗化によってトイ
レの使用は快適にはなるが、環境面からも、経済面からも、諸手(もろて)を上げ
ては賛成しがたい。”

私などは、どうしても目に付きやすい所ばかりを見てしまいがちですが、「それっ
て、どうなの?」と考えさせられてしまいます。

排泄は人間の体にとって重要な営み。その営みの場所であるトイレや便器。その上、
トイレは話題の泉です。でも、多くの人からいとわしい存在として白い目で見られ
がちなトイレや便器。それらに関心を寄せること、それは取りも直さず「大小」の
“製造元”である人間自身に関心を持つことなのでは?と私個人は思います。今回はそ
んなトイレや便器をめぐって、香り高いお話を熱くご紹介させていただきました。


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