今回は「北二条」をご紹介いたします。
北二条にはいくつか行き方があるのですが、今回は南大街から回民胡同に行き、そこからさらに入った清真寺胡同を
直進した突き当たり左側から歩き始めました。次の写真は突き当たりの壁に貼られたプレート沿いに胡同正面を撮影
したもの。
次は正面。西方から東方に向かって撮影。
この北二条は、明代漕運の発展とともに回族の人々が清真寺周辺に居住し始めて出来た胡同。
「二条」があるわけですから「一条」があってもよいわけですが、この「一条」に当たるのが現在の「回民胡同」で
かつては「回回大条胡同」と呼ばれていました。
つまり、それに次ぐ胡同ということで「北二条」という名称になっているわけなのです。ただし、この「北二条」は
かつては「回回二条胡同」と呼ばれていました。
なお、現名「北二条」は1913年以後に改名されたもの。さらに細かいことを書けば、かつては現在の「北二条」よりは距離
が長かったようです。万暦年間(1573-1619)、清真寺の南側への拡張に伴い西側が閉ざされてしまったようなのです。
(「北京胡同志」北京出版社を参照)
それでは本日も歩きます、と書きたいところなのですが、ここでちょっと寄り道。
次の写真をご覧ください。
この写真は、昨年の10月の初旬に撮ったもの。ご覧のようにワンちゃんが写っていますが、今年の11月初旬に撮った初めに
ご紹介した二枚にもちゃんとこのワンちゃんが写っているのです。
同じ場所で撮ったわけですから同じ犬が写っていても何の不思議もないわけでことさら言い立てることでもないのですが、この日
同じワンちゃんに出会った私にはこれは意外な出来事で不思議でした。
というわけで、
それでは本日も歩きたいと思います。
左側のおウチ。
正面。
玄関上の花模様の飾りがかわいらしい。住民の方の人柄が伝わってくるようです。
昨年10月初旬に撮影。
上のおウチの前辺りから進行方向。
さらに進みます。
これは昨年の10月初めに撮ったもの。
さらに進むとこんなおウチ。
これは東側から撮ったもの。
どなたも住んではいらっしゃらないようでした。
次の四枚は同じおウチですが、昨年の12月初めに撮ったもの。
正面。
門墩(mendun)。向かって右側。
もとは彫り飾りがあったのでしょうが、原型をとどめぬまでに傷んでいます。削り取られてしまったのかもしれない。
向かって左。
右側のものより飾りが残っていますが、やはりだいぶ傷んでいます。
当然のことですが、門墩(mendun)一つとってみても、そこには北京の、広くは中国の歴史が刻まれている。
この傷んだ門墩(mendun)がいったいどのような歴史を担い体現しているのか、目を凝らし耳を澄ましてこの歴史を語るもの
に対面する必要を感じる。
進行方向。
左側のおウチ。
正面。これは昨年12月初めに撮影したもの。
少し進むと右側にこんなおウチ。
同じおウチですが、これは昨年の12月初めに撮ったもの。
進行方向正面。
さらに前進して。
右側のおウチ。
正面。
左側のおウチ。
正面。
次は昨年12月中旬に撮ったもの。
ドアの取っ手の形がおもしろいので撮った。でも、なぜ興味を持つのか自問自答しても今のところ
分っていない。貧弱な想像力を刺激してくれるということに間違いはないのですが・・・。
この写真は上の二軒のおウチの手前から昨年の10月初旬に撮影したもの。
胡同には背の高いビルがないので、空が大きくて広い。だから気持ちがいい。歩行者にとっては実に有り難い。
そんな胡同と青空に感謝の気持ちを込めてシャッターを切った。
さらに前進。右側のおウチ。
正面。
門墩(右正面)
右斜めから。
左正面。
左斜めから。
次の二枚は昨年12月中旬に撮ったもの。
写真奥にあるのは電動三輪車。
次の二枚は昨年12月初めに撮ったもの。
角度を換えて。
このおウチは北向き。だから写真手前の窓を見てもお分かりの通り、窓が実に小さい。もちろん北京の厳しい寒さを
防ぐため。
これは上のおウチの前辺りのおウチですが、南向きであるため上のおウチの窓より大きい。やはり昨年の12月初めに撮影。
上の二枚に収めた二軒のおウチの前から進行方向。
さらに進み、進行方向。
右側に三輪オートバイ。
さらに進み、正面。
左側のおウチ。
上のおウチの前辺りの壁沿いに正面。
ちょっと前に進み、振り返って。これは昨年12月初めに撮影したもの。
少し進んで進行方向。
写真奥の道は前回までご紹介した「安家大院」。
左側のおウチ。
どなたも住んでいないようだ。
正面。
角度を換えて。
このおウチの大門の形式・構造は壁に直接繋がっている壁垣式大門と考えてよいと思う。
次は昨年12月初めに撮ったもの。
現在空き家のようであるが、今後この家がどのような変貌を遂げるのか、これからも見守っていきたい。
上の前のおウチの壁沿いに西方を。やはり昨年の12月初めに撮影。
次も昨年12月に撮影。北二条の東端から西方を。
廃品回収の男性と出会った。
これも昨年の12月初めに撮ったものだが、他の胡同を歩いていたその帰りに撮影。
この男性を撮る前、瞬間的にではあったが私には忘れがたい出来事があった。
写真を撮る前にこの男性と顔があった。その時、この男性が私の顔を見て瞬間的にではあったがニコッと笑った。
その笑顔を見た瞬間、私にある懐かしさがこみ上げてきた。
その時は深く考えずにこのように写真を撮らせていただいたわけだが、後でその懐かしさの原因なり理由を考えてみると
中学生の時の同級生の笑顔にどことなく似ていたことが分った。眉毛が太く濃いところも似ていることも後で思い出した。
しかし、私に分らないのはその同級生とはもちろん口を利いたことぐらいはあるのだが遊び友達といった親しい間柄では
なかったことだ。それなのになぜその笑顔を見てその同級生のことを思い出し、懐かしいという感情が胸にこみあげてきたのか。
その辺のことが私には分らない。意外な出来事だった。おそらくしかつめらしい顔から寄せた眉根を開きニコッと笑顔になった
その瞬間の顔にその理由なり原因があるのかも知れないと考えてみたのだが何の心当たりもない。
なぜ、そして何のために懐かしさがこみ上げてきたのか。あの時味わった懐かしさはいったいなんだろう。
再びあの笑顔を見てみたいという気持ちはあるが、今年はまだあの男性に出会っていない。
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北二条にはいくつか行き方があるのですが、今回は南大街から回民胡同に行き、そこからさらに入った清真寺胡同を
直進した突き当たり左側から歩き始めました。次の写真は突き当たりの壁に貼られたプレート沿いに胡同正面を撮影
したもの。
次は正面。西方から東方に向かって撮影。
この北二条は、明代漕運の発展とともに回族の人々が清真寺周辺に居住し始めて出来た胡同。
「二条」があるわけですから「一条」があってもよいわけですが、この「一条」に当たるのが現在の「回民胡同」で
かつては「回回大条胡同」と呼ばれていました。
つまり、それに次ぐ胡同ということで「北二条」という名称になっているわけなのです。ただし、この「北二条」は
かつては「回回二条胡同」と呼ばれていました。
なお、現名「北二条」は1913年以後に改名されたもの。さらに細かいことを書けば、かつては現在の「北二条」よりは距離
が長かったようです。万暦年間(1573-1619)、清真寺の南側への拡張に伴い西側が閉ざされてしまったようなのです。
(「北京胡同志」北京出版社を参照)
それでは本日も歩きます、と書きたいところなのですが、ここでちょっと寄り道。
次の写真をご覧ください。
この写真は、昨年の10月の初旬に撮ったもの。ご覧のようにワンちゃんが写っていますが、今年の11月初旬に撮った初めに
ご紹介した二枚にもちゃんとこのワンちゃんが写っているのです。
同じ場所で撮ったわけですから同じ犬が写っていても何の不思議もないわけでことさら言い立てることでもないのですが、この日
同じワンちゃんに出会った私にはこれは意外な出来事で不思議でした。
というわけで、
それでは本日も歩きたいと思います。
左側のおウチ。
正面。
玄関上の花模様の飾りがかわいらしい。住民の方の人柄が伝わってくるようです。
昨年10月初旬に撮影。
上のおウチの前辺りから進行方向。
さらに進みます。
これは昨年の10月初めに撮ったもの。
さらに進むとこんなおウチ。
これは東側から撮ったもの。
どなたも住んではいらっしゃらないようでした。
次の四枚は同じおウチですが、昨年の12月初めに撮ったもの。
正面。
門墩(mendun)。向かって右側。
もとは彫り飾りがあったのでしょうが、原型をとどめぬまでに傷んでいます。削り取られてしまったのかもしれない。
向かって左。
右側のものより飾りが残っていますが、やはりだいぶ傷んでいます。
当然のことですが、門墩(mendun)一つとってみても、そこには北京の、広くは中国の歴史が刻まれている。
この傷んだ門墩(mendun)がいったいどのような歴史を担い体現しているのか、目を凝らし耳を澄ましてこの歴史を語るもの
に対面する必要を感じる。
進行方向。
左側のおウチ。
正面。これは昨年12月初めに撮影したもの。
少し進むと右側にこんなおウチ。
同じおウチですが、これは昨年の12月初めに撮ったもの。
進行方向正面。
さらに前進して。
右側のおウチ。
正面。
左側のおウチ。
正面。
次は昨年12月中旬に撮ったもの。
ドアの取っ手の形がおもしろいので撮った。でも、なぜ興味を持つのか自問自答しても今のところ
分っていない。貧弱な想像力を刺激してくれるということに間違いはないのですが・・・。
この写真は上の二軒のおウチの手前から昨年の10月初旬に撮影したもの。
胡同には背の高いビルがないので、空が大きくて広い。だから気持ちがいい。歩行者にとっては実に有り難い。
そんな胡同と青空に感謝の気持ちを込めてシャッターを切った。
さらに前進。右側のおウチ。
正面。
門墩(右正面)
右斜めから。
左正面。
左斜めから。
次の二枚は昨年12月中旬に撮ったもの。
写真奥にあるのは電動三輪車。
次の二枚は昨年12月初めに撮ったもの。
角度を換えて。
このおウチは北向き。だから写真手前の窓を見てもお分かりの通り、窓が実に小さい。もちろん北京の厳しい寒さを
防ぐため。
これは上のおウチの前辺りのおウチですが、南向きであるため上のおウチの窓より大きい。やはり昨年の12月初めに撮影。
上の二枚に収めた二軒のおウチの前から進行方向。
さらに進み、進行方向。
右側に三輪オートバイ。
さらに進み、正面。
左側のおウチ。
上のおウチの前辺りの壁沿いに正面。
ちょっと前に進み、振り返って。これは昨年12月初めに撮影したもの。
少し進んで進行方向。
写真奥の道は前回までご紹介した「安家大院」。
左側のおウチ。
どなたも住んでいないようだ。
正面。
角度を換えて。
このおウチの大門の形式・構造は壁に直接繋がっている壁垣式大門と考えてよいと思う。
次は昨年12月初めに撮ったもの。
現在空き家のようであるが、今後この家がどのような変貌を遂げるのか、これからも見守っていきたい。
上の前のおウチの壁沿いに西方を。やはり昨年の12月初めに撮影。
次も昨年12月に撮影。北二条の東端から西方を。
廃品回収の男性と出会った。
これも昨年の12月初めに撮ったものだが、他の胡同を歩いていたその帰りに撮影。
この男性を撮る前、瞬間的にではあったが私には忘れがたい出来事があった。
写真を撮る前にこの男性と顔があった。その時、この男性が私の顔を見て瞬間的にではあったがニコッと笑った。
その笑顔を見た瞬間、私にある懐かしさがこみ上げてきた。
その時は深く考えずにこのように写真を撮らせていただいたわけだが、後でその懐かしさの原因なり理由を考えてみると
中学生の時の同級生の笑顔にどことなく似ていたことが分った。眉毛が太く濃いところも似ていることも後で思い出した。
しかし、私に分らないのはその同級生とはもちろん口を利いたことぐらいはあるのだが遊び友達といった親しい間柄では
なかったことだ。それなのになぜその笑顔を見てその同級生のことを思い出し、懐かしいという感情が胸にこみあげてきたのか。
その辺のことが私には分らない。意外な出来事だった。おそらくしかつめらしい顔から寄せた眉根を開きニコッと笑顔になった
その瞬間の顔にその理由なり原因があるのかも知れないと考えてみたのだが何の心当たりもない。
なぜ、そして何のために懐かしさがこみ上げてきたのか。あの時味わった懐かしさはいったいなんだろう。
再びあの笑顔を見てみたいという気持ちはあるが、今年はまだあの男性に出会っていない。
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