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この土器は「自作の繊維土器」です。
今回は心苦しいことだが「どうなってんの」をつづってみました。
縄文土器・濁点
専門家は「考古学研究の第一歩は 土器を理解することである 」と主張しています。
土器に関する本の内容を見ると「形式論」が主流で、 土器の年代を 器形や模様から推測して 年代順に並べるのです。
それが、土器編年の 物差になっていると思います。
縄文人の生活や心情などは 門外に感じます。
気になる記述がありました。
「証拠不十分のまま新しい新型式の提唱を主張してはいけない」
と受け取れる文面なのです。
つまり
「新しい説は主張してはならない」
と忠告されているようです。
そのためか縄文時代の土器解明の新しい説は皆無に近いと想像します。
これでは、専門家は解読することに力が入らないし分かっていたとしても表に出せない雰囲気があると感じます。
何人かの専門家に土器の解読を試みて話した時も聞く気配も見せなかったり、いやがる様な雰囲気を感じました。
「火焔土器」が「煮炊き用」の土器だと信じているヒトがいたらどうしますかね?以前は自分も信じていました。
「縄文土器はおらの里山」
縄文楽 浄山
(北黄金貝塚ガイト小倉定一)
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