気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

お茶事は一汁二菜

2017-03-04 19:22:50 | お稽古
昨日は「茶の湯の書」講座を受けに京都へ。
伺うたびに、気付かされることがあります。
最後の講座は、茶の湯の書にかかわらず、
お茶に関する事で疑問に思ってる事をそれぞれ持ちより
先生が答えてくださる「Q.&.A」でした。
色々な質問があり、あっという間の講座だったのですが、
その中に「将来、家で茶事をしたいと思いますが、
料理の段取りなどの実習ができず、無理なように思いますし、
前日の魚など心配もありますが?」と言う質問があり、
それに先生は明解に答えてくださり
私自身が茶事を行うにあたり重荷になっている事が
ちょっと解決できたように思います。
それは、茶懐石では、原則的に生臭を使わないと言う事、
前日に準備できるものを用意し、
当日は温め、盛り付けるだけにする。
向付に昆布締めを多く使う理由も解りました。
先生、曰く、”お茶がメインですので、仕立ては
「一汁一菜」が基本なのです。それでは少し寂しいですから、
煮物椀を付けての「一汁二菜」で良いのです”とのこと。
私は今まで、始めに教えて頂いた先生の教え通り、
「おもてなし」として御馳走をお出ししなければという思いで、
献立を考え、準備などの手配や当日お出しするタイミング等々
お茶がメインなのに、懐石が終わったら
大半が終わったような気になってしまっていたのでは・・・
反省です。
お茶事は一服の御茶をいかに美味しくいただいて
いただくかを考えなくては、又お客様も
懐石が長いとそれで疲れてしまいますよ。
と先生に言われ「なるほど、なるほど」
重ねて反省です。

最近読んだ雑誌に一際目を引いた記載が二つありました。
「淡交」3月号、特集は「楽歴代の作陶」3月から東京での
開催に合わせ特集を組まれているのでしょうが、
京都で伺っており、それはそれで興味深く拝読しましたが、
この特集ではありません。

一つは仕立てについてで、
筒井紘一文庫長の連載「茶の湯と仏教」15回目
『興福寺四聖坊と奈良僧徒』で「松風雑話」のなかで、
侘茶が深化した時期の心得を描いており、
奈良風の「ぬるき茶の湯」が、一期一会の新しい時代の茶の湯に
通じなかったくだりが奈良に住む人間として、現代の奈良の
気風に通じることが、歯がゆくもあるのですが・・・、
茶会の様子が記載されており、一部を垣間見てみますと、
1571年、円明院と松屋久松が興福寺・成身院宗慶に招かれたおり
『松屋会記』によると
  十一月六日、・・・略・・・
  コホウ 
  セリ 汁ヒラ竹
 タヲフ 飯 中段イモマキ 後段ユツケ
一汁二菜、湯漬で茶会は終了しています。

二日後の返礼には、「二汁一菜」と四種の菓子
 後段で、小豆餅とヒラタケの吸い物

侘び茶が成立した時期、質素な仕立てだったんですね。
「目から鱗」とはよくいったもので、お話をお聞きして、
もう少し気楽にお茶事が出来るのではないでしょうか。

  
二つ目は、「今日庵稽古始め」のなかに、
 ”薄茶席の主茶碗に『諫鼓(かんこ)』と銘を・・”
読み進めると
 ”「諫鼓苔深うして鶏驚かず」と
 世の中が平安で あれば鼓は叩かれずに苔生し、
 鶏も悠々とどまっている。”
ここまでは私も調べており、初釜に諫鼓香合をしつらえ
私はここ止まり、勉強しなくては。
 ”その光景から初削茶杓の銘を『苔好古』、
 「古き苔を好む」と読みますが、酉年だけは
 『コケコッコ』と読んでください”と
座を和ませる発想の豊かさに頭が下がります。

不穏な世界情勢、『諫鼓』であってほしいものです。