気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

茶道資料館「描かれた茶の湯」展へ

2017-03-06 08:15:30 | 美術館・博物館
今にも雨が降りだしそうな暖かな朝を迎えました。
朝から月一回の大先生のお稽古日になり、
家に帰りつくまで雨が降りませぬように願っております。
なお雨の後、また寒気が来て冬型の気象配置だそうで、
寒暖の差にお気をつけて下さい。
今朝の奈良の最低気温は6.6℃、修二会の練行衆の方々も
楽なのでしょうか?、いえ終わるまでは・・・
昨晩は「実忠忌」「過去帳」「走り」の行事が加わり、
実忠忌」は752年に修二会を始められた実忠和尚の命日。
過去帳」は、五日と十二日の初夜に奉読されており、
 千二百年途切れることなく続けてこれたのは、聖武天皇以下
 歴代の功労者の名前を読み上げ、菩提を弔らわれており、
 一つの逸話がつたえられております。
 鎌倉時代初期、練行衆の集慶さんが過去帳を読まれていると
「なぜわが名を読み落としたるや」と一人の女性が目前に現れ
 着衣の色からとっさに「青衣女人」と読み上げられたそうで
 実際に、源頼朝から18人目に「青衣女人」と書かれ、
 当役の練行衆も心得たもので、低い声でゆっくりと
 読み上げられており、温かみを感じさせるひとコマに。
走り」は五,六,七,十二,十三,十四日、半夜の時の後に行われ
 これは実忠和尚が霊感を得て兜率天の菩薩たちの修業を
 まのあたりにされ、地上界にも遷そうとされたが、
”此の所の一昼夜は、人間の四百歳にあたる。然ば行法の軌則、
 巍々として千返の行道懈らず。人中の短促の所にては更に
 修めがたし。また、生身の観音をばましまさずば、
 いかでか人間すべからく摸すべきと云う。 和尚重て申く。
 勤行の作法をば急にし、千返の行道をば、走りて数を満つべし。
 誠を致て勧請せば、生身何ぞ成給はざらんとて、
 是を伝えて帰りぬ。”(東大寺Hpより)
つまり
”天上界の一日は人間界の四百年にあたるので無理と”
「それでは走ってでも勤めます」”と答えられたことにより、
連行衆たちは袈裟や衣をたくし上げ、内陣を走り回り、
最後に五体投地をされ、自分の席に戻られます。
その後に堂司から一滴の香水を頂かれるのですが、
昼食以後、一口も飲食をされておられませんから、
まさに「甘露」になるそうです。
走り五体投地

先日「茶の湯の書」講座の後、お友達になった方を含め
三人で茶道資料館「描かれた茶の湯」展へ伺っております。

男性主体に行われてきた茶道が、明治時代になると女性にも
身に付けるべき礼法の一つとして、描かれており、
勉強になることが多く、女三人、小声で話していたのですが、
姦しかったそうで・・・スミマセン
「女礼式之図」1887年 安達吟光
「女礼式茶の湯」1901年 揚州周延

「春秋遊楽図屏風」江戸時代前期、作者不詳
室町時代以前お茶は、客をもてなす部屋とは別の場所で点てられ
運びだされる様子が描かれており、花見の茶会なのでしょう。
「春秋遊楽図屏風」右隻部分
「春秋遊楽図屏風」左隻
石臼で引かれるお茶、席入りからの様子や
ウグイス?と?、鳥かごも面白いですね。
春秋遊楽図屏風・左隻部分

「茶の湯絵巻」橘尚利 江戸時代後期
侍三人が茶事に招かれた様子が描かれおり、濃茶席。
茶の湯絵巻

「四条河原遊楽図巻」江戸中期 
下町の茶店で茶を振る舞う様子が
四条河原遊楽図巻

「賀茂競馬図巻」江戸時代前期~中期
荷い茶屋の行商人がお茶を振る舞う様子
賀茂競馬図巻

併設展「春のくらしと茶道具」も前期より展示品が増え、
桜を愛でる茶道具と酉(鳥)も集められております。
画賛「花下半日客」裏千家14代無限斎筆 
酒盃 五種 12代永楽善五郎(和全)
桃香合 9代楽吉衛門(了入)
桃花絵茶碗 9代大樋長左衛門
夜桜棗 千家2代小庵好、7代中村宗哲
画賛「奈良朝の」伊藤深水画、吉川栄治賛  
鷺香合 真葛長造            等が

割引も効きて500円で呈茶や偶然にも解説も聴くことが出来
もう少し時間を作り、忘れないで伺わなければなりませんね。