気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

月ヶ瀬と文人達、特に富岡鉄斎の関わり

2017-03-27 15:33:02 | 美術館・博物館
先日のこと月ヶ瀬梅渓を訪れておりますが、27日現在の
開花情報は、湖畔沿いは「散り始め」、山手は「見頃」に、
文人達も訪れた月ヶ瀬へ一度おいで下さい。

はじめて世に紹介されたのは神沢基蜩「翁草」1773年で、
天下の名勝として知らしめたのは伊勢津藩の儒学者
斎藤拙堂で、1830年に「梅渓遊記」、1852年に
紀行文「月瀬記勝」が特に広まった紀行文とされております。
続き日本外史を著された頼山陽 も1831年に訪れておられ、
扁額『萬玉亭』頼山陽・作も残されており、
萬玉亭の由来を示す「萬玉亭楳帖」で梅花図は小石樫園さん
扁額梅の資料館蔵
明治に入り、1870年に田能村直人「墨梅図」画幅や
梅の資料館蔵 
福沢諭吉や伊藤 博文、そして
明治大正の儒学者・文人画家の富岡鉄斎の名も
1836年~1924年、天保から大正まで10の元号を生き抜き、
座右の銘は『万巻の書を読み、万里の道を往く
死ぬまで読書を欠かさず全国を旅され、この月ヶ瀬には27歳で
初めて足を運ばれ、月ヶ瀬梅渓に魅せられたお一人です。
45歳、56歳、62歳と三回も絵を描くため来られており、
代表作として
月瀬図巻(50歳代、清澄寺蔵)や
月瀬図巻一部
月瀬図巻(複製)梅の資料館蔵
梅渓放棹図(70歳1905年、助成院蔵)
梅渓放棹図
賛は”月ヶ瀬梅渓を描こうと何度も仙境(月ヶ瀬)を訪れ、
 再三描いたが納得のいく画はひとつも描けていない。
 人は徒労を笑うが、私はひとりそれを楽しんでいる。”と

名士観梅図(81歳1916年、奈良市資料保存館蔵)
名士観梅図
10年程前に月ヶ瀬村に「清荒神・清澄寺」さんの好意により
梅の資料館へと寄贈されていましたが、奈良市との合併に伴い、
奈良市資料保存館での保存になっております。

鉄斎は、生涯二万点に及ぶ絵画作品に上るそうですが
清澄寺には、37世法主・坂本光淨師のコレクションによる
鉄斎美術館』も併設されています。
また奈良県の大和文華館にも60点ほど所蔵されており、
昨秋の『鉄斎』生誕180年記念・大和文華館コレクション展も
催されるほどで、隠れた美術館になりますね。

鉄斎漬け、そんな訳ではないのですが、明日のお稽古にむけ
玄関の色紙は、『伊勢海老図』富岡鉄斎筆、明治37年69歳に
4月に海老を贈られた御礼に書かれておりますが、
現在伊勢海老の旬は、10月から1月までなのです・・・?
 
賛は、程敏政(ていびんせい)の詩で、鉄斎の心情が・・