退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1008: うわべの丁寧。

2018-04-18 08:32:03 | アメリカ便り
生きてます。
皆さん、いや皆様、さぞご心配でしたでしょうね、なんてことはないだろうね。
私の気まぐれブログは周知のごとくでしょうから。

毎日、御世話をしなくてはいけない母がいなくなったと言うのに、忙しいのです。
母の87歳のお友達がさびしいと言えば、小雨降る中、峠越えをして往復2時間かけて、小樽に行ったり、死にそうな95歳のおばがいると言えば、伊達でいとこを拾って、函館に行ったり。
ちょっぴり“宮沢賢治’をやったり。
でもほとんどが、交友関係の遊びに時間を費やしています。
明日は卓球部の飲み会だし。
とにかく毎日がFullです。

先日の続き。

縁の下様、患者様と相伴って、私が“ばかじゃなーい”と感じる昨今の日本における、“丁寧”にコンスと呼ばれる韓国お辞儀もあります。
へその上に重ねた両手をおいて、へ面笑いを浮かべて、条件反射的にお辞儀をする。
今やどこででも見かける風景となりました。
少なくとも私がアメリカへ渡った1970年代後半には、聞いた事も見たこともなかった。

いつから始まったのか、誰が始めたのかはあちらにおいて、私が思うのは、この条件反射的お辞儀、そしてなんにでも“様”をつければ、丁寧と感じている日本人、何かを忘れている。

うわべ社会のアメリカで生活している私は、日本でしばしば出くわすようになったこの丁寧さ、アメリカで見かけるうわべ社会を思い出させる。

つまり中身がない。

本当に感謝しておじぎしているの?
患者様なんて、変だな~、病気になってくれたことを感謝しているの?
縁の下様、これはまるっきり“変”な日本語。

“様”をつければ丁寧になると言う単純な考えは、複雑な意味合いを持つ日本語、そしてそれを使う、特異な思考回路を持つ日本人はやめて欲しい。
言葉に含まれる、意味合い、感情。
丁寧と言う、単純な言葉では説明できないのが日本語なのです。

しかし“患者様、こちらにいらしてください”と“患者さーん、こっちに来て。
私だったら、きっと後者の病院にいくだろうね。

函館





羊蹄山(蝦夷富士)







駒が岳



成田新勝寺にて



ハブグレジュンタノマミー