退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1004: 故郷は母だった。

2018-04-01 02:15:07 | アメリカ便り
水曜日、朝10時の成田発千歳行き、そして千歳からレンタカーで1時半ごろ実家に着きました。
途中、道路わきから転がり落ちた雪の固まりと言うより、氷の塊にぶつかりフロントバンパーが引っ込んでしまった。
右にも後ろにも車がいて逃げれなかったんです。
家についてすぐレンタカー会社に電話をして、事故を知らせました。
もう5年ほど利用しているやさしいお兄さんが個人で経営している会社でなので申し訳ないことをしてしまった。
修理代とか払わなくてもいいのかな~、とも思うけど、免責から100%出るんでしょうかね。

木曜日の朝は友達一家が筑波からやってきました。
さびしいから、是非泊まってくださいと、ホテルに泊まると言うのを無理やり泊まってもらいました。
以前勤めていた、アメリカの会社に2年間だけ勤めて、一緒にリストラに会った仲間です。
リストラの後、日本で就職。
もう8年たちました。
女の子3人、3,5,12歳と大変にぎやかでした。
やはり女の子はいいですね。

ジンギスカンを気に入ったパパの要望で2日間ジンギスカン。
後はパックの寿司。

今日の題ですが。
さびしいのです。
母のいない実家は。
呆けて、同じことを言ったり聞いたりする母。
足が悪く、よたよた歩行器につかまり歩く母。
車椅子でしか外に出かけることができない母。
1時間以上かけて食事をする母、終わった頃には次の食事が始まるなんてことも。
お風呂に入れるのも大変だった母。
どこに行くにも、行き先、戻る時間を書いて出かけなくてはいけなかった。

それが全部なくなった今、故郷がなくなった、と言う気がしてきました。
やはり故郷とは母がいての故郷だったんですね。

成田山の写真です。

桜がきれいでした。




















ハブグレジュンタのマミー