退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#863:父方の思い出。

2017-06-01 21:40:09 | アメリカ便り
2回にわたって母方の祖父母へ行った時の思い出を書いたので、今度は父方です、風は吹かなかったけど。

私の父方の祖父母は相馬から移住してきました。
母方のほうは貧農で食えなくて青森から移住してきたのだろうけど、飛びっきり良い家柄(アル中親父が言ったことです)の祖父母がなぜ北海道のとある漁村兼農村に移り住んだのかは定かではありません。
というか私が思うに、きっとこれまた大酒のみの祖父が問題を起こし、15代も続いたと言われる相馬の家を引き払い、移り住んだと思います。
噴火湾に面したこの小さな漁村兼農村で、私の見たこともない祖父は町医者をしていたそうです。
この祖父は52歳で往診中に脳溢血で亡くなったそうですが、大酒のみが災いしたのでしょう。
祖母についてはどういうわけか写真も見たことがありません。
私が小さいときは大酒のみの親父に連れられて、海のそばに建っていた診療所兼住宅に何年かに1回ぐらいは来ていたのではないでしょうか。
どういうわけか兄が一緒に来たという思い出はありません。
しかし、アル中の親父は親戚中で嫌われ者だったので、そこでも私は肩身のせま~い思いをしていました。
私にとっては大して楽しくもなかったけど、親父が身内と酒を飲める口実のためだけに引きずられていった感じでした。
といってもその親戚たちも嫌がっていたのは明らかでしたが。
その診療所兼住宅には、祖父が亡くなってからもう何年もたっているというのに、ケースに入った医療器具が並べられていました。
ピカピカとお日様にあたって光っているそれらの器具を今でも覚えています。

こんなもんでしょうか父方との思いでは。
皆無に近いですね。
さびしいですが。


4年前に書いた祖父の思い出です。

私の親父は、小さい頃からろくでなしで家族の鼻つまみだったそうです。
そんな親父が父親(私の見たことのない祖父)の死後、形見分けでもらった唯一の品物が祖父が着ていた着物でした。

私は、その着物を2年ほど前にもらってきて、今リフォームをしている最中ですが、今日非常に良いものを綿ぼこりと一緒にその着物の袂から見つけました。
祖父が吸っていたと思うわれるきざみタバコです。
かき集めても耳かきひとすくいくらいしかなかったけども、なんともいえない哀愁が漂ってきました。
そしてこれを吸っていた人は、会うこともなかった私の実の祖父なんだと懐かしく思いました。

祖父は、52歳で亡くなったのでもう75年くらいは経っているでしょうね。
匂う訳がないと知りながらそのタバコの匂いをかいでみました。

若い時は、先祖とか親戚とか我関せずでしたが、私自身が先祖と呼ばれる年に近づいてきたせいでしょうか、最近、富に先祖、親戚のありがたみを感じてきました。

今日は、一日中嵐が来たり去ったりの日でした。今、大雨が降っています。豪雨です。そのせいで我家のテレビが映らなくなってしまった。
見ても見なくてもいいような番組でしたが。

今日は庭に咲いた大輪のあやめ(の一種)です。



ハブグレジュンタのマミー