退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#727: ジョー

2016-08-17 21:36:13 | アメリカ便り
主人の姪の結婚式の後、3人の友達に会うことになったと昨日のブログで書きました。
そのうちのジョーとは31年ぶりで会うことになります。
ジョーは私が会社に勤め初めて1年たったころに、新卒としてやってきました。
私の卒業した3流大学とは格が違うコーネル大学卒業で、一緒に働いていても頭がいいと思わせる人でした。
おまけに性格も非常によい人で、190センチはある長身で、それに比例して手も長かった。
歩き方に特徴があり、その長い手をぶらぶらさせながら、首をかしげて歩くのでした。
それにしても31年もたっていて、おまけに1年しか一緒に働かなかったのによく覚えているでしょう。

ジョーとは仕事以外でも一緒につるんでいました。
他の仲間とキャンプに行ったり、パーティーやったり、ハッピーアワーに言ったりと楽しかった思い出ばかりです。


ジョーが勤め初めて1年、私が勤め始めて2年目で、私にとってはこの先果てしない数となる首切りの第1回目を経験しました。
私達のグループ130人のほぼすべての人、125人ほどが首を切られたのです。
私は運よく、最先端のバイオテックをやっていたと言うことで、首切りは免れましたが、農業系から製薬部門に移されました。

このときの首切り方法に、会社はコンサルタントを雇ったと言うことでしたが、この首切り方法は後々の“最悪首切り方法”と言うことで、後世まで知れ渡りました。
その方法とは先ず、一人一人ボスのオフィスに電話で呼ばれそのまま自分のオフィスにも戻れず、玄関までガードにエスコートされ、パスと奪い取られ、追い出されると言う非人道的なものでした。

今でもボスに呼ばれたジョーが、“まだ勤め始めて1年だもん。俺は絶対大丈夫だよ”と言いながら、ボスのオフィスに行ったのを覚えています。
そして、そのままジョーはオフィスには戻ってこなかった。
女の人はバッグを取りにオフィスに戻ることは許されたそうですが。

次の日にジョーから電話がありました。

その後ジョーと婚約者のメリーはオレゴンに移り、しばらくして元のコーネルに戻って博士を習得し、それ以来アップステイトニューヨークに住み続けているそうです。
今は自分のオフィスを持ち、環境コンサルタントみたいなことをやっているそうです。

あの時の首切りで、アメリカの会社(日本も今はそうなんでしょうが)は利益追求のためには無情であると思い知らされました。
後世に残る悪名高き首切り方法はその後中止されましたが。

ジョーにとっては結局は、あの時首になってよかったかもしれません。
それによって自分の能力をもっと出せるように博士を取り、自分のオフィスを構えることもできたし。
いろいろ苦労をしたとは思いますが。

会ったらいろいろ積もる話がいっぱいです。

ハブグレジュンタのマミー