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ヤマボウシと皿倉山と雨情まつり


     (八合目、皿倉平より)

 5月の最終日曜日、
皿倉平のヤマボウシ(山法師)を見に皿倉山へ
2週間前見たときは、まだ小さくクリーム色だったが、
大きく開いて見事な純白となっていた。

これは花弁(はなびら)に見えるようだけど、苞(ほう)と言います。
つぼみを包んでいた葉のことです。

まあ、普通は花ですね。(ヤマボウシの花)
今年は花のつきが、ちょっと少ないような気がする。

この花は上を向いて咲くのが特徴で、下からは撮り難いです。
(初秋になる実も上を向いています。)
この花が咲くと、当に初夏、梅雨入りも、もうすぐかな?





山頂で、久しぶりに八幡の町を撮ってみました。
(クリックで大きくなります。)

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桃園から黒崎方面





八幡駅方面  八幡駅が確認出来ますか?
(真ん中の円形が平和の像のロータリーです。)




中央町・スペースワールド方面




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この日、ケーブル山上駅から、
山頂に登る道の途中にある「雨情詩碑」の前で、
「野口雨情まつり」が行われました。

    帆柱山の歌
   くきの海辺の船もよい
      船も帆がなきゃ行かれない
   お供についたくまわにが
      山で帆柱きりました
   その時きったほばしらは
      帆柱山の杉でした


 くきの海辺とは、「洞海湾」、
 くまわにとは、土地の豪族「熊鰐」のことです。

 野口雨情は、昭和7年ここ皿倉山に登られた時、
案内人から、洞海湾を眼下に眺めながら、
当地の伝説(八幡に伝わる神功皇后西征の話)を聞くと、
いたく感動されて、即座に詩を作られました。
それが、この「帆柱山の歌」です。

 昭和32年に「雨情詩碑」が建てられた以降、雨情を偲んで
毎年、誕生日に近い5月の最終日曜日に行われています。

八幡の児童文化の関係者と、一般参加者で20人程度でしたが、
厳かに、帆柱山の歌による舞や記念碑にまつわる講話等があり、
最後は全員で、
「あの町この町」「七つの子」を合唱して式典は終わりました。

八幡の児童文化と関係深い偉大なる詩人野口雨情を偲んだこの祭り、
雨情詩碑がある限り、帆柱山がある限り続けて行こう。
とのことでした。




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