心の風景 認知的体験

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パスワードの変更

2006-11-06 | Weblog
11月を期して、あちこちの変更をやった
早速、ある銀行のパスワードがおかしいとの
メッセージが返ってきて泡をくった
電話でやりとりしているうちに、なんとか
接続できた
変更しないままのものが、あと10個はあるはず
また混同を起こすだろうなー
使えなくなったらどうしよう
パスワード管理を皆様はどうしているのですか?

無料ならなんでも登録は危険

2006-11-06 | 心の体験的日記
いつのまにか、メルマガとスパムで
メールが占領されるようになってしまった
スパムはともかく、メルマガは自分の責任
おもしろそうな無料メルマガがあるとつい
登録してしまう
その結果が、ほとんどみないメルマガだらけとなる

無料メルマガも注意したほうがよいらしい
請求詐欺に使われることもあるらしい。



メタ認知研究を支えるドグマ

2006-11-06 | 認知心理学
06/11/6 海保メモ

メタ認知が科学方法論的には、こうした危うさかかえながら、これほど長く生きながらえて、今や流行語の如くなりえていられるのには、次のような3つの理由が指摘できる。
 一つは、認知科学には、表象主義や計算主義ほどの強いドグマではないが、研究テーマの選択に当たって実感主義と呼ぶにふさわしいドグマがある。心について人々が実感していることは研究テーマとして積極的に取り上げていくべし、というドグマである。意識にしても誰しもがその存在を実感している。メタ認知もそうである。もう一人の自分が頭の中にいる実感は誰にもそれなりにある。科学的な扱いの難しさゆえにそれを無視してしまわずに、ともかく、研究してもみようというドグマが研究者の間で共有されるようになったのである。
 2つ目の理由は、アナロジー的な制約である。認知科学はコンピュータ・アナロジーの科学である。心をコンピュータになぞらえて理解していこうとするのであるが、その時、メタ認知の役割が想定できたのである。これによって、メタ認知が概念としての明確な制約が与えられ、安心して使えるようになったのである。
 最後に、実証性である。ブラウンの著書にも多彩な心理実験の知見が紹介されているのをみてもわかるとおり、メタ認知という概念を導入することによって、新たな心の領域が発見され、多彩な実験研究が蓄積されるようになった。

身体の復権

2006-11-06 | 教育
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20文字x26行x3段 タイトル4行を含む
     (78行)
01/11/17海保
指導と評価  学会の動向

教育における身体の復権

●からだの復権
 最近、身体あるいは身体活動への関心があちこちで急速に高まっている。それを示すエピソード的な事例を3つ。
・ホンダ・ASIMOという人間の形をした、人間のように歩くロボット(ヒューマノイド)が開発された。
・斎藤孝氏著「声に出して読みたい日本語」(草思社)がベストセラーになっている。
・「ものつくり大学」の設立にみられるように、職人の高度な熟練技能の継承の必要性が顕現されている。           
●なぜ今身体なのか
 コンピュータが出現して半世紀がたつ。人の知的活動の支援に強力なパワーを発揮し続けてきただけでなく、思いもよらなかった仮想現実の世界を身近なものにしてくれた。
 コンピュータが時代を先導する技術にまでなったのは、そのシンボル処理能力に負うところが大きい。
 コンピュータ技術のこの特性は、当然のこととして、人のシンボル処理特性への関心を高めることになり、認知の科学が隆盛を極めることになった。これが、50年代から70年代のことである。
 しかし、80年代になると、シンボル処理ロボット(人工知能)もその限界が見えてきた。また、人間の知的活動も、シンボル処理以外の部分で支えられていることがわかってきた。
 こうした流れの中で、シンボル処理パラダイムへの対抗勢力の一つとして、身体の復権があるとみることができる。教育との関連では2つの動きがみられる。
●体験教育の意義
 道路の分離線には一定間隔ごとに隙間がある。その隙間は車が動くことで、運転手にスピードを実感させる。
 このように、動くことによって環境は意味をもってくる。というより、意味は動くことによって発見される。これが、アフォーダンス論の主張の骨子である。
 体験教育も、子供に身体を動かすことによって見えてくる世界の意味とおもしろさを体得させようとする試みとみることができる。 机に座ってのシンボル処理の世界の高度化だけでは知の世界は充分なものにはならない。身体を動かすことで得られる自分なりの環境の意味づけと取り込みが知の世界を豊潤なものにするには必須である。
 東大・佐々木正人氏グループの広範かつ精力的な研究が注目されている。
●身体の動かし方の教育
 シンボル処理偏重の教育を正すには、さらに、身体の動かし方にまで立ち入って教育する必要がある。
 体育でのスポーツ技能の訓練はもとより、国語科での朗読、技術家庭科での生活技能の習熟、さらには、音楽、美術、演劇といった身体を使った表現活動を質量ともに充実させることになる。
 しかしながら、身体の動かし方の指導は難しい。教師が身体の動かし方の師範(モデル)となれなければ、効果的な指導はできないからである。教師養成のカリキュラムにまで遡っての検討が必要となる。
 明治大・斎藤氏の「腰はら文化」と「息の文化」をめぐっての実践的な提案が教室の中で活かされることが期待される。
 また、東京大学・福島真人氏の身体をめぐっての人類学的な考察も注目してよい。
●関連する主要な文献をそれぞれ一つ
斎藤孝 2001「身体感覚を取り戻す」NHK  ブックス
佐々木正人 1994 「アフォーダンスー新し い認知の理論」 岩波書店
福島真人編 1995 「身体の構築学」ひつじ 書房