一青窈ジャーナル

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朝日新聞 一青姉妹と顔家②

2008年11月18日 00時02分26秒 | 一青ジャーナル・顔家
◆『朝日新聞』(2008年10月29日夕刊)1頁
                      <野島剛>【朝日新聞社】

*アジアズームイン 一青姉妹と顔家② たばこと雪山父の記憶
  酒とたばこと雪山と。
    一青姉妹の父親、顔恵民の思い出を尋ねると、
          知人は決まってその三つを挙げる”


“「恵民は無言でした。その後、彼の眉毛が抜け始め、すっかりなくなった」”「ところが戦争が終わったら、きみは敗戦国日本、ぼくは戦勝国民。日本人じゃなくなったんだ」。恵民は、そう言ったきり、授業に出てこなくなった”
  ・犬養康彦(元共同通信社長、犬養毅の孫)奥日光で恵民と玉音放送を聞いた学習院中等科の同期

“日本人として育ち、皇室の藩屏を育てる戦前の学習院で学んだ。戦後は台湾人となり、悩みも多かったと思うが、おくびにも出さなかった”
  ・柴瑞陽太郎(早稲田大学鉱山科・学友)

“堅苦しいことは大嫌い。ネクタイも締めず、都心を登山靴で歩くような山男でした”
  ・郭林双霜(恵民の叔父の妻)

“優しい兄だったが、学者肌で経営には向かなかった”
  ・顔恵卿(恵民の弟)

恵民の回顧録『雪山の楽しければ…』(一青姉妹の「髪がふさふさしていたころのお父さんを、見たことがないんです」という一青姉妹の言葉をきっかけに、自費出版される。なお、タイトルの「雪山の楽しければ」は、1937年製作の映画『スキーの寵児』の主題歌歌詞からとっている。)

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