三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

どのツラ下げて・・ メディア、その無節操な暴走癖

2006年01月31日 08時26分57秒 | 教育 
『毎日新聞』1月30日付 コラム「発信箱」  山田孝男
《 毎日新聞西部本社(北九州市)が発行した1945年8月16日付朝刊は1面の一部と2面が真っ白だった。当時の新聞は表裏2㌻しかない。前日まで焦土決戦をあおった挙げ句、「国民も今日から転換するのだなどと、どのツラ下げて言えた義理か」という高杉孝二郎編集局長の判断で終戦勅語と行政報告しか載せなかった。彼はまもなく社を去った(毎日新聞130年史)。
 検察の尻馬に乗った鈴木宗男バッシングを競いながら、今や彼を評論家としてもてはやすメディア。前日までホリエモンをもてはやしながら、検察次第で怒とうの堀江たたきに走るメディア。むかし軍部追従、いま検察追従で、変わらぬものといえば俗論迎合の卑しさしかないお前が、どのツラ下げて明日を語り、針路を説くのか、そう感じている読者が少なくないと思う。
 小泉純一郎首相はホリエモン選挙に肩入れした責任を問われて「批判は甘んじて受けるが、メディアはどうなのか」と切り返した。「新聞批判は甘んじて受けるが、テレビ、週刊誌こそ」と言ってしまいがちな私どもと似ている。
 今や政治に対する観察者、批判者であるという以上に、政治権力を生み出す装置の感のあるメディア。その無節操な暴走癖、過剰な存在感・圧迫感と加害性を省みず、「悪いのはオレではない」と逃げ腰の醜さが読者の失望を誘っているようだ。どうにも旗色が悪いが、毎日新聞は署名記事を原則にしている。だから許せとは言わない。白紙の新聞をだす予定はないが、それを出した先達の存在を肝に銘じて進みたい。 (編集局) 》

 こういう記者魂がまだあったということに驚く。
 救われる思いである。山田孝男氏に拍手。メディアに巣くう者どもよ、この気概をこそ肝に銘じよ。


   

堀江貴文の手口

2006年01月29日 08時21分41秒 | 教育 
堀江貴文容疑者が逮捕されてから、関連記事の中で難解な経済用語がたくさん使われ、さっぱりわけが分からない。それらに関する情報を整理してメモしておきたい。

●株式分割
株式分割とは、こんなやり方です。たとえば一株100万円の株式を100株に分割します。これで一株1万円となり、小口で株式を買いやすくします。ライブドアはこの方法を利用して、多数の個人投資家をマネーゲームに誘導しました。分割した株式が実際に発行されるまでに時間がかかることもあって、株価の値上がりが加速。ライブドアの株価がどんどんつり上がりました。

●株式交換
株式分割とは、企業買収の際、現金を使わずに自社株を買収先企業の株式と時価で交換することです。ライブドアはこの制度を使って自社株を値上がりさせて数々の有利な企業買収をやりました。株式の時価総額が高ければ高いほど企業買収が容易になります。
 
●投資事業組合
投資事業組合とは、複数の企業・個人から資金を募り、投機的な運用をして高い利益をあげる組織です。民法上の任意組合という形態をとるものが多く、登記や情報公開義務がありません。このため、出資者や出資企業の構成も分からず、粉飾決算や脱税など不正の温床になっています。

●規制緩和のおおもと
 商法「改正」などの金融の規制緩和や企業再編の簡素化は、米国政府が繰り返し日本の政府に要求してきたものです。米政府が2000年10月にだした「年次改革要望書」には次のような記述があります。「新規発行株式の最低発行価格(5万円)及び株式分割時の1株あたりの基準価格に関する規制を廃止せよ」。これは株式分割の規制撤廃を求めるもので01年6月の「商法の一部改正」で日本の国会で可決成立しました。
04年10月の「年次改革要望書」はさらに露骨な記述が載っています。「米国は日本に対して次の措置を講ずることを要望する。三角合併(外国企業がその子会社を通じて日本企業を買収すること)や株式交換(日本企業買収の代金として外国株式を認めること)などを認める法案を次期通常国会に提出すること」。そしてこの要求どおりの法案「会社法」が05年日本共産党以外のすべての政党の賛成で可決成立しました。

 意見 証券問題研究家 佃善博さん
株式分割するにしろ、株式交換をするにしろ、ライブドア株のような無配(配当がないこと)の株式は一般的には価値は低い。企業にとって株主に対する配当は当たり前の義務です。そうした義務も果たさず、堀江氏は、テレビに出たり、選挙に立候補したりして株価をつり上げ、それを使って企業買収に走りました。無配の株式はいずれ下落して、多数の個人株主は大幅損になります。結局、ライブドアは、個人投資家に価値の低い株式を買わせ、それを食い物にすることで成り立っていたのです。ホリエモンを全面的に支援した小泉・竹中コンビの罪は重いと思います。
 
 以上は『しんぶん 赤旗』日曜版 1月29日号より

しかし、まだ分からないところがあるなあ。詳しい方のコメントなど頂ければうれしいのですが。

堀江容疑者をめぐる小泉語録 PARTⅡ

2006年01月27日 09時32分18秒 | 教育 
●「人を選ぶとき、細かいところまでわからない。なぜこんなに責められるんだ。わんわん騒いだマスコミにも罪があるんじゃないか」堀江容疑者逮捕から一夜明けた24日、首相公邸での与党幹部との会食で。細かい所まで分からなくても、お金をたくさん持っていることだけは知っていた。
●「「私も党本部で会って写真を撮った。幹部も応援した。総裁・小泉の責任と批判されるなら甘んじて受ける」26日衆院予算委員会。
●「私が応援に行かなかったとしても幹部が応援した。それが総裁・小泉の責任と批判されるなら甘んじて受ける。小泉改革とは別問題だ」とも。これまで「事件と選挙応援は別問題」と繰り返してきたのを「この問題と小泉改革とは別問題」と微妙に変化。26日衆院予算委員会。
●「メディアが(衆院選の際に堀江社長)持ち上げ、他の候補者に比べてはるかにテレビに出させた。逮捕されると手のひらを返すのもどうか」とメディア批判。




堀江容疑者をめぐる小泉語録

2006年01月26日 09時59分08秒 | 教育 
堀江容疑者をめぐる小泉首相の発言
●「法的には合法だ。株式市場の健全性、透明性を高めるならば、必要な改正をすればいい」
  (05年3月3日、ライブドアの時間外取引によるニッポン放送株大量取得に  ついて)
●「時代の変革なのかなあという気がする。ああいう方が政治に意欲を持ってきたというのは」
  (同年8月16日、堀江容疑者が立候補に意欲を見せたことについて)
●「私はエールを送りたい気持ちだ」
  (同年8月19日、同容疑者の無所属出馬について)
●「その時点(衆院選)で郵政民営化賛成の方は応援するということなので、今の問題とは別問題。会社でも採用し た方が不祥事を起こしたから採用が間違っているといえるのか」
  (06年1月17日、ライブドアの家宅捜索について)

以上は、『毎日新聞』2月25日付の記事より。

24日の衆参両院本会議での各党代表の質問に対する答弁も同じ言葉の繰り返し。開き直り、はぐらかしばっかり。
自民党がどんな党首を選ぼうと知ったことではないが、これが日本の総理大臣をやるのだ。もううんざりだ。

武部幹事長の馬鹿さ加減もあきれ果てるが、こんなものがなにを言ってもほっとこう。

民主党も、少しは堀江担ぎに色気があったんだろうが。自民党とはやり合っているが所詮はひとつ穴の狢。


「政界地獄耳」なぜ伊藤は問題ありで安倍は問題なしか!?

2006年01月24日 08時45分58秒 | 教育 
《 政界地獄耳
★その昔、東京・新宿が始発の小田急線車内でしばしば見掛けた光景である。電車が町田市近くになると、その人が現れる。小柄な体をきちんと上下で包み、物腰も柔らかく、乗客ひとり一人に自分の名前を名乗って名刺を渡して歩く。またこの人かと事情が分かっている乗客もいるが、一瞬けげんそうに引いてしまう人もいた。それでもめげずに名刺を差し出し続けた。誰あろう、元国土庁長官・伊藤公介(64)の若き日の姿だった。今は自民党代議士だが、当時は新自由クラブから初出馬したころで、そこまでやるのかと思わせる伊藤の売り込みはちょいと話題になった。
★それから時が移って今は疑惑の主になった。伊藤は当選9回を重ね、森派幹部として勤続25年の永年議員表彰を受けようかという矢先、耐震強度偽装事件の渦中の会社から献金を受けていたと同時に、その経営者と一緒に国交省の担当課長、局長に面会していた。伊藤は自ら記者会見を開き、政治的関与の意図はなかったと釈明した。
★が、会社社長の証人喚問で、官房長官・阿部晋三(51)の名前が出て様相が一変、党内の伊藤に対する風当たりが強くなった。「阿部の場合は問題ないが、伊藤の釈明には不自然さが残る。証人喚問もありうる」と執行部筋。
★「安倍はよく、伊藤は悪い」とは変すぎる。両方喚問がいい。(W)(敬称略) 》

以上は『ニッカンスポーツ』1月23日付、コラム「政界地獄耳」より。筆者はイニシャルのみ。

伊藤氏、長年代議士として、いかにも自民党代議士らしく過ごしてきたようだが、哀れではあります。


はからめ ちょっと変わった植物

2006年01月23日 08時44分13秒 | 教育 
「はからめ」というそうです。葉から芽です。和名を「灯籠草」、「セイロンベンケイソウ」という呼び方もあるようです。 この植物の仲間は葉から芽が出て増えます。芽も根ものびてきました。これからどうなるのか、花は咲くのか、楽しみです。 出ている小さな芽は、1㎝ぐらい。





「さもありなん」ホリエモン騒動

2006年01月22日 08時54分58秒 | 教育 

ある新聞でのジャーナリスト斉藤貴男さんの発言

《 正直「ひとの心は金で買える」なんて言う堀江さんに反発を感じていました。
だから強制捜査となると「さもありなん」と思ってしまうのですが、「オカミが引っ張ったから」といっしょになってたたくようなことはしたくない。
むしろぼくには捜査当局の狙いがどこにあるのかよくわからない。
堀江さんの「カネがすべて」という考え方はこの国の政府が目指している方向なんですから。堀江さんは、小泉さんと竹中さんの「構造改革路線」の優等生なんですよ。堀江さんはこの国の「理想的な青年像」だったのではなかったのですか。
ライブドア問題だけではありません。耐震強度偽装問題とか、大規模店舗の規制緩和の見直しとか、「自由化」「構造改革」のやり方があんまりひどすぎるものだから、今大きな揺り戻し、混乱、矛盾が、この国を支配している”オカミ”の中にも生まれていることの表れでしょう。》

ライブドア強制捜査に関して、一番共感した発言でしたので、無断借用しました。

       ※ 斉藤貴男さん 「安心のファシズム」「安心のナショナリズム」(岩波新書)その他多数。


ここまで堕ちた『文藝春秋』

2006年01月21日 10時56分02秒 | 教育 
1月15日付『毎日新聞』に次のような記事。
《「バターン死の行進」検証記事に抗議
第二次世界大戦中にフィリピンを占領した旧日本軍が捕虜を長距離歩かせ、多数が死亡したとされる「バターン死の行進」を生き延びた元捕虜の米国人が13日、米ロサンゼルスで記者会見し、同行進を扱った昨年12月号の「文藝春秋」の記事について「史実をわい曲しようとする記事だ」と批判、発行元の文芸春秋社に謝罪を要求した。記事は捕虜が行進させられた約100㌔の行程を日本人女性ジャーナリストが4日間で歩いたルポルタージュで、「『バターン死の行進』女一人で踏破」という題名。「この距離を歩いただけでは人は死なない」と結論づけ、旧日本軍の組織的な残虐行為だったとする欧米の定説に疑問を投げかけている。記者会見で記事に抗議したのは「死の行進」を体験したレスター・テニーさんら2人の元捕虜。テニーさんらは「現実は(記事内容からは)かけ離れていた。記事は無神経で侮辱的だ」などと批判した。文芸春秋社長室は今回の抗議について「書面が届いていないので、コメントは出来ません」としている。【ツーソン(米アリゾナ州)国枝すみれ】》
 
 そこで、『文藝春秋』05年12月号を探した。が、最近は滅多に見かけない(これはよいことでもあるのだが)。やっと県都の市立図書館でコピーしてもらって読んだ。タイトルは、
「バターン死の行進」女一人で踏破」である。
 一読して驚いた。このルポを書いた笹幸恵という「女性ジャーナリスト」の発想の軽薄さ、イマジネーションの貧困。
「私はジャーナリストである」と名乗ればジャーナリストであるのだろうが、あまりにもお粗末である。
 結局彼女は102㌔歩いたそうだ。出発前の数日間、お腹をこわして「食べ物をほとんど受け付けなく」「はからずも、栄養失調状態だったのだ」そうである。が、それにもかかわらず、出発する。以下彼女の文章から、
《さて、実際に歩いてみて分かったことがある。それは、第一に「この距離を歩いただけでは人は死なない」ということである。今回、私は、準備はおろか栄養失調状態でこの行進に臨んだが、無事に歩き終えた。筋肉や関節が痛み、足の指には三つのマメが出来た。しかしそれでも、脚は惰性で動くのだ。このことは、移送計画自体が、そう無理なものでなかったということを示している。実際に道をたどると、なるべく目的地まで近い道を選択しており、組織的な虐待という指弾はあたらない。》
 歩いて分かったことの結論はこれだけである。あほらし。
わずか102㌔ぐらい歩いて普通の人ならば死ぬわけがない。そんなことを検証してもらわなくても誰でも知っている。私も60歳を過ぎてから、1300㌔ほどをひたすら歩いた。
 さらに、現代の人間が3日や4日まともに食べなくても栄養失調になるわけがない。栄養失調状態と栄養失調は全く別のものである。
そのわずか100㌔ほどの距離を、歩かせ、その中で約1万7千人を死なせたという地獄絵図を想像するとき、魂も凍る思いをするのがまともな人間の感覚ではないのか。
 お腹こわしてたけど、歩いてみた。どうちゅうことなかったで、こんなん虐待と違うでなどと、「ジャーナリスト」のすることか。笑止と言うほか無い。
 別紙の報道の中では、行進の生き残りの元捕虜レスター・テニー氏は抗議文で「非常に屈辱的な結論だ」「行進の最初の4日間は食料も水もなかった。当時捕虜の多くはマラリアや赤痢をわずらっていた。日の出から日没まで歩き、昼食休憩も夕食もなく、寝るときは倉庫に詰め込まれた」と行進の実態を証言しているそうである。

 要するに、この笹幸恵という「ジャーナリスト」は、「南京大虐殺はでっちあげ」「従軍慰安婦は虚構である」などと主張する一部の人々に擦りより、ついには「バターン死の行進」まで虐待ではなかったと、歴史のわい曲に与するために書かれたルポと断ぜざるを得ない。

 こんなものを載せる『文藝春秋』はどこまで堕ちていくのか。 


ひとつだけ赤い丸ある星条旗

2006年01月20日 09時41分50秒 | 教育 
『毎日新聞』仲畑流万能川柳(仲畑貴志選)に選ばれた川柳
   ひとつだけ赤い丸ある星条旗    神奈川 カトンボ さんの作品
 もうすぐこういう国旗が出来るのではないか、と思いますね。

 神奈川県横須賀市の雑居ビルで三日、近くの派遣会社員、佐藤好重さん(56)が殺害された事件があり、複数の米兵が在日米軍の調べに対して犯行を認めている。

 東京都八王子市で22日(12月)、米海軍厚木基地(神奈川県)の女性水兵(23)が、小学生の男児3人に重軽傷を負わせるひき逃げ事故を起こし、警視庁八王子署が業務上過失傷害と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで逮捕していたことが28日、分かった。
 米軍が「公務中だった」としたため、日米地位協定に基づき、水兵は即日釈放された。

 04年8月、沖縄国際大学のキャンパスに米軍機が墜落した。このときも日本の警察は一切手を触れることは出来なかった。
 
 先日も沖縄県うるま市沖で米軍機が墜落した。

 これら米軍の事件、事故についてはつねに日米地位協定が壁となり、日本人が被害にあっても日本の警察が自由に裁くことはできない。
 民間の心ある人たちは抗議行動などを行ってきたが、政府はいつも及び腰。
 「愛国心」を説き「愛国者」を名乗る人たちはどう思っているんですかね。



 



被害に遭う子どもたち

2006年01月19日 08時12分30秒 | 教育 
 
 警察庁の統計では、04年までの過去20年間に12歳以下(90年までは13歳以下)の子どもが被害にあった略取・誘拐事件は計2054件に上がった。女児が被害となる事件は1599件と、全体の77.8%を占める。宮崎被告が最初の事件を起こした88年の発生件数は87件、89年には103件の被害があった。90年は77件にまで減少したが、92年には過去20年で最多の150件を記録、その後も100件前後で推移している。
 宮崎被告は午後3~6時に、女児を自宅近くで誘拐したとされる。
 03年に起きた事件の分析結果によれば、発生地域は被害者宅から1キロ未満が最も多く74.1%。時間帯別では午後4~6時が最多で18.3%。最も多い動機は「わいせつ目的」の59.4%だった。(以上は『毎日新聞』1月18日付より)

 宮崎勤の被害にあった子どもたちは生きていれば成人になったところ。
 彼が病気であるのか、それを装っているのか、演じているのかは分からないが、責任を負う能力を持っていると思わなければ、やりきれない。いずれにしても、彼を再び、野に放つことは出来ない。



 

「恨み雪」

2006年01月18日 09時03分21秒 | 教育 
 『毎日新聞』コラム「発信箱」1月18日は、「恨み雪」 元村有希子記者(科学環境部)。
 私はこの記者のファンです。
「発信箱」というコラムは記者の本音が吐露されているというか、自由に思ったことを書いている。エッセイと言ってもいいか。

《「恨み雪」 
 降りしきる雪にため息をつき、寒さが緩めば緩んだで恨めしい。
 この冬、落雪や屋根からの転落、雪による家屋倒壊などで亡くなった人が100人を超えた。本誌集計によると、平均年齢は65歳を超える。
豪雪地帯の多くは山あいの、いわゆる「過疎地域」にある。子ども世帯は仕事を求めて街へ出て行き、老夫婦や一人暮らしという世帯が少なくない。過疎地域の高齢者比率は、全国平均17%をはるかに上回る28%(04年度、総務省)だ。4㍍近い積雪を記録した新潟県津南町も3人に1人が高齢者。「雪には慣れているが、今冬は雪が早かった。長びけば体力や注意力も衰える。二次災害が心配です」と役場の担当者は言う。
 若い世代が必要なのは雪かきにとどまらない。若年層の減少は、少子化と税収不足を招く。財政力が弱いと社会基盤整備が滞る。医療や福祉へも影響が出かねない。非常事態はその不安を浮き彫りにした。
 といって私たちは、積もった雪をたちどころに解かす知恵も、雪雲を追い払う技も持たない。雪は降り続くだろう。せめて通信や輸送や先端技術で、お年寄りの孤独と不安を癒せたらと思う。
 一人暮らしの祖母を家族で訪ねた正月を思い出す。小雪の舞う朝だった。別れの挨拶を済ませて車は走り出し、私は後部座席から手を振った。曲がり角に差し掛かったとき、笑顔で両手を大きく振っていた祖母が、その両手で顔を覆ったのが見えた。
 今も忘れない。祖母は泣いていた。そろそろ両親が、その祖母の齢に近づく。 (科学環境部)》



冬の山

2006年01月17日 15時18分36秒 | 教育 
      冬の山人通ふとも見えざりき  夏目漱石
 
 大層な山道のように見えますが、うちの裏山への道です。
 ほとんど人が通りません。実はこの落ち葉の下はコンクリートです。
 四輪駆動の軽トラか、キャタピラーの運搬車以外は無理。
 散歩にはいいです。