三流読書人

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ドングリ小屋住人 

ノーベル物理学賞の小柴雅俊さん 日本の教育を語る 「文明国として悲しい」

2008年06月30日 20時00分54秒 | 教育 
 
 
【日本では、若者が教育を受けるのに大金を払わなければなりません。これは情けないことですね。文明国として悲しい。
 「こんなに学費がかかるのでは、子どもは一人で精一杯。二人目なんて考えられない」という声を耳にします。教育費の高さは、少子化の一因にもなっています。
  
 ぼくは一九九八年から九九年にかけて一年間、学術交流で招かれ、ドイツに暮らしたことがあります。ドイツの大学では、入学金も授業料もただでした。
 招いてくれたフンボルト財団は、僕たち夫婦の往復の旅費を出してくれ、好きなところで好きなように滞在させてくれました。日本では、外国の学者を招くと「どこそこでいくつ講演してほしい」などと事細かに要求しますが、ドイツではそうしたことは一切ありませんでした。そのくらいゆとりある学術交流というのが大切ではないかと思いましたね。
 
 二〇〇二年、日本の国立大学を独立行政法人にするかどうかをめぐり大きな議論が起こっていました。このとき僕には心配がありました。大学が「独立採算」に躍起となり、利潤をあげることに一生懸命になるかもしれないということです。産学協同をやるあてがない学部もあります。そういう〝稼げない〟学部が冷や飯を食わされることになれば、若い人がそういう分野に進まなくなる。最近の流れを見ていると、心配したとおりになっています。地方の大学は地元の産業との連携に血眼になっています。

 かつては国立大学に、国から教授一人当たり年数百万円の講座研究費が出ていました。これである程度、基礎的な実験や研究がやれたのです。
 ところが、法人化後は大学への交付金が年々減らされているうえに、学長や学部長が特定のプロジェクトに使う予算などに優先的に回されてしまう。ある大学では、教授が受け取る基礎研究費が年間二十数万円だといいます。これでは郵便代にしかなりません。

 ドイツでは、政府がマックスプランク協会という組織に多額の資金を出し、基礎研究の振興に当たっています。その協会から指名を受けた研究者は、年間一億円ほどの研究費が出ます。日本とは全然違います。
     ・・・中略・・・
 若い人をきちんと教育するということは、次の時代の、その国の繁栄を約束するものです。これをちゃんとやらないというのは、ばかげた話だと思う。国家としては「国のさらなる繁栄のための投資だ」と考え、若い人の教育のために予算をしっかり使うべきです。】
 
 (6月29日付 「しんぶん 赤旗」より)



桔梗

2008年06月28日 21時18分18秒 | Photo





桔梗は秋の季語です。
秋の七草に言う朝顔はこの桔梗のことだと考えられています。
しかし、まだ6月いかにも早いですね。
もっとも図鑑などでは6月はじめから開花するとあります。

近所の畑のふちに咲いていました。
何となく涼しげではあります。

  きりきりしゃんとして咲く桔梗かな  一茶


さくらんぼ

2008年06月26日 19時10分19秒 | Photo



【 さくらんぼを一個、真っ白なテーブルクロスの上に置いてみてください。
  そしてそれをじっと見つめて下さい。
  あなたは少しずつ、自分の心が洗われていくのを感じるはずだ。
  そして、自分の心が、いかに汚れてしまったかに思いを致し、うつむいて頬を染めるはずだ。
  赤く、丸く、愛くるしく、清楚、そして可憐。
  この世のけがれを知らぬげな、鮮紅色の無垢の魂。
  〝初夏のルビー〟と言われる、その張りつめた皮肌は輝きに満ちて、あたりの風景を映さんばかりだ。
  丸くて可憐で赤い果実に、突きささるような薄緑色の細くて長い柄。
  完結したデザイン。実在するメルヘン。エンゼルの玩具。
  気品にあふれ、優しさに満ち、そのたたずまいは宗教的ですらある。
  さくらんぼの皮は意外に強靱で、
  「輸送に強い」と言われているくらいだ。
  皮を破って果肉を噛んで、歯がタネに当たるまでのちょっとした不安感。
  歯がタネにあたってからの、口中の急な忙しさ。
  その忙しさの中で味わう、ほのかな甘みと、ほのかな酸味。  
  さくらんぼの味は、はかない
  何も主張しないし何も訴えない。
  ほんのちょっとさくらんぼです、と小さくささやくだけだ。 】(「東海林さだおの味わい方」筑摩書房)

  と、凄いことになっていますが、これは東海林さだお氏の文? 詩? です。
  今夜は、わが家でもぜいたくなデザートとなりました。

北の犠牲者

2008年06月25日 21時48分31秒 | 平和

宗谷です。

沖縄で多くの民間人が殺されたことの記念の式典が23日にあった。
この北の果てのさらに北に樺太が天気が良ければ見えるそうだが、この日は晴れていたが見えなかった。
そこでも多くの民間人が犠牲になっている。

電話の交換手の若い女性たちが、情報を一番よく知る立場にあるとして自決した。
これは戦争終結後、8月15日以後の出来事。
稚内にその碑が立っている。

南と北の果ての犠牲者たちよ。 
今の日本人は平和はまもりうるだろうか。
教えてくれ。




摩文仁の丘で 6月23日

2008年06月24日 17時36分54秒 | くらし
昨日、6月23日は沖縄戦が終結した日。1945年6月23日、日本の軍として沖縄での組織的戦闘が終結した。
沖縄県内各地で慰霊祭などが行われた。
那覇市では、摩文仁の丘で「沖縄全戦没者追悼式」が行われた。

1945年4月1日、米軍54万8000人が上陸。日本軍は現地招集の防衛隊、学徒隊含めて10万2000人。
地獄の戦争がはじまる。日本軍は日本本土への上陸を食い止めるとして沖縄を盾とし、持久戦をとった。
そのため数多くの民間人を巻き込んだ。
この過程で日本軍のスパイ視による虐殺、壕追い出し、食料強奪、集団自決などがおこった。
犠牲者は日本軍9万4136人、米軍1万2520人、沖縄県民9万4000人。県民の死者数は推計であり、12万~16万人とする見方もある。

あまりにも絶望的な戦いであった。非戦闘員の年寄り、女性、子ども含めて県民の4分の1が殺された。

この日挨拶した福田首相は、その中で「私は、無念にも散って行かれた人々の思いを、今の政治に反映する責務を負っている。戦没者の方々のその思いを、平和の尊さの礎として、引き継いでいく」と述べた。

本当のそう思っているのか。
「散って行かれた人々の思い」を捏造してはいけない。真実を伝えなければならない。
しかし、昨年の教科書の記述の問題に見るように、真実を伝えたくないと思っているのではないか。
自民党をはじめ、あったことをなかったことにしたい。という人々がたくさんいる。
歴史を歪曲し、憲法を変え、日本を再び戦争する国にしたいという動きはただならないものがある。

監視の目をゆるめてはならない。
繰り返すが、戦争では、非戦闘員で武器を持たないもののほうが圧倒的に数多く殺される。
戦って死ぬのではないのだ。





宮崎勤の死刑執行について

2008年06月20日 17時17分56秒 | 事件
17日、死刑囚宮崎勤の死刑を執行したと法務省は発表した。「こんなやつさっさと殺してしまえ」とつい叫びたくなるような事件が多い。
無惨な残虐な幼児殺害は憎みてもあまりある。おおかたの世論は執行されてよかったということである。
現鳩山法務大臣になって13人が執行されたという。それを世論は支持する。
世の中全体が死刑執行ということについてハードルが低くなっているような気がする。
あいつは悪い。こんな残虐な人殺しをやった、殺されてあたり前だ。だから殺せ。
そして政府権力が殺人を犯す。権力側は、国民がそれを支持したという。
命の重みを軽く見る今日の状況がこうした犯罪を生むということもありうると思う。
殺人という刑罰をつくったのは政治権力だろう。
そしてその政治は国民によって選択されたという言い訳を権力側は使うことができる。
そのしくみの恐ろしさを忘れてはいけない。
最終判断を下す法務大臣が歴代どんな人物がであったか。それも思い出す必要もある。

一方、権力側の犯罪はいかにも刑が安過ぎはしないか。
社保庁の乱脈極まる税金の使い方を見るまでもなく、政治的、経済的力の強いものによる将来どれほどの人的被害をもたらすか計り知れない危険性をふくむ大型公共工事における手抜き、人類の生存にも関わる公害、政治的判断による国際紛争への関わりこれらはどんな過ちを犯そうと日本で絞首刑になることはない。

宮崎勤の死刑執行はやむを得ない、。
が、もっと巨大な悪もある。



利尻山

2008年06月19日 20時07分59秒 | Photo


利尻・礼文・稚内へ利尻山を見に行ってきました。
このすばらしい快晴のもとで見る機会を与えてくれた天に感謝したい。
利尻山は別名利尻富士ともいうが、利尻山は利尻山であって富士などという名を冠することはない。
標高1700㍍あまり。頂上付近の灰色に見えるのは万年雪。
美しくも厳しい山である。
利尻山へは登ってはいないが、登山道にはどこにもトイレを設置していないんだという。
簡易トイレを持っていって排泄物は自分で持って帰るんだとか。
これは大賛成。自分の排泄物を自分で持って帰るのが嫌な者は来なくていい。







さくらんぼ 桜桃忌

2008年06月15日 09時07分45秒 | くらし
 「すべての芸術は、社会の経済機構から放たれた屁である。」とは太宰 治の言葉である。(道化の華)
 
 だから経済機構に支配され、毒された側は、芸術を屁の如く、敝履の如く捨て去ろうとするのか。
 橋下某のように。
 
 桜桃忌はおとといであった。忘れていた。
 先日、スーパーマーケットでさくらんぼをわずかばかり買って、その宝石の如き実を配偶者と食べた。
 美味しかった。



 

中国という国 その人権感覚

2008年06月13日 08時56分12秒 | 地球環境
   
 北京五輪組織委員会は今月2日、「五輪期間中における外国人の出入国、中国滞在期間に関する法律指針」を発表。入国が禁止される場合として「精神病・ハンセン病・性病・開放性結核の伝染病にかかっている」ことを挙げている。(『毎日新聞』6月12日付より)
 ハンセン病回復を支援する市民団体などが撤回を求める運動をはじめているという。
 この指針、さまざまな問題を含んでいるように思う。
 一言で言えばおそるべき無知というべきか。

 オリンピック大丈夫なんだろうか。



大阪大丈夫でっか

2008年06月11日 22時00分30秒 | やめてくれ
08年1月末、橋下徹という弁護士資格を持ったタレントが大阪府知事に当選した。芸もないくせに聞いた風なことをよくしゃべる男だとは思っていた。
大阪はどうなるのか。
タレント知事、故横山ノックよりましか、いずれにせよ大阪府民は何かを期待して選んだのだろう。
大阪というところは中央の権力に抗して、政治がなんぼのもんじゃい、わしらは金稼いでなんぼやと、独自の文化と価値観を築いてきた。
こんなとんでもない知事を選んだ大阪府民のみなさんにはまだそんな気風が残っているのだろう。
堺屋太一氏などは、「日本人の待望する蛮勇の挑戦者『進取の文化風土』は大阪の精神基盤」などといって持ち上げている。(『毎日新聞』5月30日付)
堺屋氏に聞きたいが、日本人が蛮勇をどこに期待しているというのか。
勝手なことをいって惑わしてもらっては困る。
権力の男妾たちの常套手段であるが、大阪府民が橋下を選んだからといって日本人が蛮勇をふるう人間を期待しているとすり替える。おおかたの日本人はそんな馬鹿ではない。
橋下がやろうとしている大阪維新たるものは何か。
大阪府の職員がラスパイレス指数が常にトップクラスであったことからみて賃金の引き下げは或程度やむを得まい。
しかし、ワッハ上方、大フィル、国際児童文学館、障害者施策の切り捨て、教職員の数へらしなど。
先日の発表では一応継続、切り捨て先送りとなったものもあるが蛮勇をふるおうとしている対象は弱いものばかり。
が、大型公共事業は堅持するというもの。
与党自民党、公明党がひたすらつくそうとしている大企業、大資本の言いなりの政治である。
文化施設やら、障害者施策を蛮勇をふるってバッタバッタと切り捨ててどないすんねん。
大阪の反骨精神、反中央はそんなもんと違うやろ。
「大阪府民にとって40人学級も各種の文化センターや文化団体の助成も大事だ。大きく開いた東京都の格差を埋めるためのイベントや人材育成も大切である。しかし、惰性に流れず非難を恐れず、新しい状況に挑戦する進取の気性こそ、最も重要な大阪文化の精神基盤だ。・・・」(同紙 堺屋太一氏)
と弱いものたたきを擁護する。
大阪府民はファシストの登場を望んでいるのではないと思う。
ここらのすり替え、堺屋太一の怖いところである。
同じところ(同紙の記事)で藤本義一氏はこういう。
「今ある文化資産の価値についての無知が暴力を生む。知事のいう文化は考えれば考えるほど、一つ口が多い。吝嗇(けち)によって、大阪の豊かな文化が、余計な口が付いた『吝化』になってしまわないよう願う。」
文化、弱者を切り捨てずに財政再建はほんとにできないのか。
大阪の驚くべき巨大な赤字の原因は何によってもたらされたものかに立ち返って考えればよいのだ。
大阪府民の庶民のぜいたくか、ええめをしたからなのか。だから我慢せえ、しんぼうせえ、痛みをこらえいうのか。
5兆円の負債残高。これほど借金が増えた原因は、決して福祉・や社会保障・教育・中小企業支援・文化施策にあるのではなく、バブル崩壊後国は景気対策と称して何次にもわたる公共事業を地方自治体に押しつけた。政府は単独建設事業などは後で地方交付税で財源は補填するといい、大阪府などはそれを当てにして借金をしてゼネコンを儲けさせる仕事を続けた。しかし結局は小泉内閣の「改革路線」はその約束を反故にする。残ったのは借金だけ。
失敗だらけの大型開発はよく知られるとおり。
嗚呼!





山櫻桃 ゆすらうめ

2008年06月04日 17時26分17秒 | Photo


ゆすらうめ。山櫻桃とも書くようです。
「・・・葉がくれのそのその紅さはじつに深く濃く、宝石めいて透きとおったところは子どもをよび集める美しさばかりでなく、大人も寄りそうて指をふれたくなる。」(『新撰俳句歳時記』明治書院)
とは、歳時記子の文章である。
しかし、今は子どもはあまり興味を示さない。食べると美味しいということも知らないのではないか。
喜ぶのは大人である。

      姉妹や麦藁帽にゆすらうめ         高浜虚子
 
      やむとみせてまた降る雨のゆすらうめ    木下夕爾

          姉妹と書いて〈おととひ〉と読ませるようです。