三流読書人

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ドングリ小屋住人 

ルイ・アラゴン 「青春の砂の なんと早く」

2006年01月03日 10時54分23秒 | 教育 
「青春の砂の なんと早く」 ルイ・アラゴン  大島博光 訳

青春の砂のなんと早く 
  指の間から こぼれ落ちることか
私は ひたすら踊り狂っていて  
  夜が明けたのに驚く男にも 似ている
わたしは 無我夢中に むだ遣いした
  わが力に溢れた 春の季節を
あのころ 生活という女には ほかの恋人がいて
  わたしは そこからしめ出されていたのだ
時間をむだにすることほど にがにがしく
  ありふれて ありがちなことはない
いったいそれを 誰のせいにしようというのか 
  失われた時を なぜ 君は思い出すのか
ふと気がつけば 若い頃のことをよく考えていて
  わたしはいつも びっくりするのだ
それがわたしであり そのようにわたしは
  あの 退屈な春を 生きてきたのだ
あの春は 風変わりで 突飛に見えようが
  話すようなおもしろいことは何もない
わたしは あの時代の 泥道にはまりこんだ
  まったくの通行人でしかなかったのだ
遠く過ぎさってみれば あのころは冒険に満ち
  冒涜に満ち 陶酔に満ちて 見えるのだ
新しい連中がきて あの頃のことを語り草にし
  数々の物語が つくられる
きみたちは大いに笑っただろう
  あのドラマの 幕間 幕間で
それは 値ぶみするだけのものはあったかも知れぬ
  たとえ肉体や魂ではあっても
きみたちは 夢みることも自由だっただろう
  またやっつけることも自由だっただろう
しかも 今日のあの若者たちは 夢みているのだ
  すべてが明らかになっている いまもなお
彼らが惜しむのは われらの過ごした暗い夜であり
  われらの叫んだ 怒りなのだ
ああ 蝋燭の光で 永遠なるものを読みとるとは
  すばらしい たのしみだ
かれらはイデオロギーを投げ捨て
  不合理を手に入れようというのだ
不幸な若者たちよ きみらには見えぬのか
  わたしらが 何をしてきたかが
きみらの前には 悪い霧が立ちはだかって
  きみらの前進を はばんでいるのだ
わたしらは おのれの過去の償いを果たした
  ひとの思う以上の苦しみを支払って
見るがいい 雷にうたれて 胸の中には
  ひとの心ももたずに 行く者たちを
彼らは どんな星 どんな祭りを夢みていたのか
  だが それはやって来なかった
あの足跡は 人間のものか けだもののものか
  きみらは どちらだと 思うだろうか
彼らは ほかの地平線を こころに思い描き
  ほかの歌のしらべを 思い描いていた
しかもきみらは かれらの形而上学を克服し
  うち勝つことを 悲しみ嘆くのだ
君らが行くべき道をよく知ってくれるようにと
  わたしは すべてをつくした
それなのに君らは 仏頂面を空に向けて
  ふてくされて 灰を 撒きちらしているのだ
わたしは わたしの幻覚や 生活や 恥など
  みんな さらけ出して見せたのだ
君らが とどのつまり われらと同じような
  嘲笑を受けずに すむようにと
われわれは 結局 われわれの悪を 不幸を
  後生大事に まもっていたのだろう
そんなものは 鞄に入れて 屋根裏に投げすてた
  紙も黄色くなった 手紙のたぐいなのだ

      ※ルイ・アラゴン(仏1897年~1971)