まだ恥を さらすか 生きて おおみそか 三流
(なんちゃって)
というのが今の心境であります。
そんなのどかなことを言っていられることが後ろめたいのですが。
2008年は大変な年でありました。
しかし、「変」えましょう。
労働者の皆さん団結しましょう。
それ以外、人間としておのれを取り戻すことは
できないのではないでしょうか。
2009年は私たちがスクラムを組むとどれほど怖ろしい存在になるか
思い知らせましょう。
日本を危うくする奴ら 2008年総括 PARTⅠ
2008年を総括するうえで最も記憶に残しておかなければならないと思うことは、やはり田母神という自衛隊の人間のことだろう。兵器自身が意思を持ちしゃべり始めたということだ。兵器の筒先をどちらに向けるかは、兵器自身に決めさせてはならない。
それが日本が先の世界大戦によって学んだ大きな教訓であり、。憲法9条という財産として残っている。
憲法9条を踏みにじって現実に存在することになってしまった自衛隊という軍事力は、その存在を合理化するためには、第二次大戦当時の軍部の暴走を是としなければ解決できない矛盾をはらんでいる。
そこにまともではない歴史認識を捏造しなければらない理由がある。と私は思う。
辞めてからも厚顔というか、べんべんと、のうのうと、ずうずうしく、稚拙な歴史認識を披瀝するこの男は浅ましくもあり、哀れでもある。あまり切れ物ではないと思うが、こういう人間のほうが怖いのかもしれない。利用しやすいから。
今年の総括としては、毎日新聞の社説とコラムに表れた記者の意見を切り抜き、貼り付けさせていただいて記憶しよう。
彼、田母神とそれを泳がせて利用してきた政財界の連中の意図をしっかりと見すえておかねばならぬ。
12月28日付け 毎日新聞社説 田母神事件 論説委員 岸本正人
◇容認する政界の風潮こそ問題
イージス艦の漁船衝突事故に始まり、田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長(更迭・定年退職)の論文問題に暮れた今年も、防衛省にとって不祥事の1年だった。特に、田母神氏の問題は、文民統制(シビリアンコントロール)の機能不全を象徴する事件だった。
田母神論文は、閣議決定された、戦前の植民地支配と侵略を謝罪する「村山談話」を否定し、集団的自衛権の行使などで政府方針に異を唱えた。制服組最高幹部が政府見解・方針に真っ向から反する内容を公然と主張する行動は前代未聞だった。 田母神氏は「表現の自由」を根拠に論文発表を正当化する。しかし、表現の自由も、公務員の政治的行為を制約する法的規制の対象となる場合があるほか、厳しい規律を持った実力組織・自衛隊は、文民統制の制約を受ける。政府見解・方針への見解表明には、これらの制約がもたらす限界がある。田母神氏の特異な歴史認識だけでなく、この「表現の自由」をはき違えた言動にも強い違和感がある。 そして、誰もが衝撃を受けたのは、田母神氏のような人物が実力組織のトップに上り詰めることができる「現実」だった。 田母神氏の過去の言動をチェックできなかった人事権者・防衛相ら政治の側に責任があるのは間違いない。また、制服組の人事案がOBら内輪の意向で事実上決まり、内局(背広組)や防衛相はこれを追認するだけという構造上の問題もある。 しかし、同時に、田母神氏の主張を許容・支持する政治潮流の存在を指摘せざるを得ない。 実際、田母神氏は論文の発覚直後、辞職を迫る防衛省幹部に対し、元首相2人の名前を挙げて「私の考えは支持されている」と辞表提出を拒否したという。 歴史認識をめぐっては、過去、閣僚が侵略や植民地支配を正当化する発言をし、辞任する事態が繰り返されてきた。田母神氏の空幕長就任を閣議で了承したのは安倍内閣だったが、その安倍晋三元首相は、首相就任後に村山談話を踏襲する考えを表明したものの、就任前は日本の戦争責任への明言を避けていた。その落差は本音と建前の使い分けと見られていた。そして、集団的自衛権の行使を可能にするため、政府の憲法解釈を見直す目的で有識者懇談会を発足させたのも安倍首相だった。論文と同じ内容の言論を隊内で繰り返していた田母神氏が、そうした「政治の風」を背中に受けていたのは間違いないだろう。 政治家は、今回の問題で、統制する側である自らの「文民としての資質」こそが問われたことを自覚しなければならない。
2008年11月30日毎日新聞 「発信箱」:論文クーデター 広岩近広(編集局)
わが国は、まぎれもなく軍事費大国である。防衛庁は昨年、防衛省に格上げされた。自民党の憲法草案では自衛隊は自衛軍にすると明記されている。そうした実態から憲法を変えて軍隊を持てる国にすべきだ、との声が出るのである。 ここで私が強調したいのは、軍隊と自衛隊は根本的に異なるということだ。軍隊について今春、作家の半藤一利さんからこう聞いた。「統帥権が独立していないと国防の徹底は図れませんから、軍隊は三権の外にあるべきだと考えたがるものです。行政、司法、立法から独立するので、軍隊の権限は原則として自由です」。戦前の日本軍がそうだった。 しかし自衛隊はちがう。自衛隊は行政組織のなかにあるので、政府の制約を受ける。政治の指示に従わねばならない文民統制(シビリアンコントロール)下におかれる。半藤さんはこう強調された。「自衛隊を軍隊にするのは反対です。なぜなら、どの国もクーデターは軍隊が起こしているからで、自衛隊を武装クーデターを可能にする軍隊組織にしてはなりません」 日本が先の戦争に突き進んだ原因は軍隊の暴走だった。その反省にたっての文民統制下の自衛隊である。ところが文民統制の危うさが露呈された。 いうまでもなく田母神俊雄・前航空幕僚長の懸賞論文問題だ。これは言論の自由とは別問題で、政府見解と異なる発言をしたいのなら、立場を返上してから行うべきところを文民統制に挑戦するかのようにやってのけた。しかも、かの懸賞論文の応募総数の約40%が自衛官だった。私は「論文クーデター」の疑念がぬぐいきれない。